ドラゴン王子
冒険者ギルドでは当時王子と依頼をこなしたメンバーがいて、話を聞く事ができた。
女が馴れ馴れしく話しかけてきた事、その時に偶然モンスターが現れ、王子が少し怪我を負い、女が差し出したクリームを塗った事。
その後王子が女と親しげに話をしていた事、女を送ると二人で帰って行った事。
クリーム。
宰相もこの辺りまでは調べていて、クリームを調べようとしたが、既に破棄されていたそうだ。
ああ、やはり。これが原因なのは分かった。媚薬が入っていたのだろう。
王子を誑かした罪で、あの女は処罰されるだろう。
でも。
2日間二人が一緒だった。
たとえ薬の所為とはいえ、城にまで連れ込んだのだ。
もう彼を信じる事が出来なくなっている自分がいた。
王家と公爵家、家同士の婚姻。貴族なら当たり前だ。
でも我が親は娘が幸せになれる様、色々考えてくれた。
王子の両親である王と王妃も息子の為、鑑みてのお相手選びを経ての繋がりだったのだ。
せめて城には連れ込んで欲しく無かった。
この時には既に拐かされていたにしろだ。
庶民で冒険者の女が悪いとは言わないが・・・
「私と比べたのかしら」
悔しいとか、怒りは何故か無かった。
ただ、虚しかった。
彼女は家のため、国のため、王妃になるため、そして王子のため、全力で頑張ってきたのだ。
はぁ、と溜息を吐く。
「・・もう元には戻れないかも」
アガサはポツリと呟いた。
気持ちがもう戻れない。
友情より上の気持ちはあった。
王子が正気に戻って、果たして自分は彼に対して前の様にいられるか。
・・・出来ない気がした。
「ミドラ様・・どうしているかしら」
まだ媚薬で惑わされているだろうか。
媚薬には色々あって、男女の性交時に使う物と惚れ薬的な物、そして両方の成分を持つ物がある。
あの下種な女は両方の成分の物を使用したのなら・・そういう事だ。
もう彼に触れる事など出来ない。
手を繋ぐことすら想像するだけで怖気が立つ。
王子が、庶民の、それも顔見知りでさえ無い者から、薬をもらって使うなど、不用心にも程がある。
もしも毒が入っていたらどうするのだ。
もしかしたら女がさっと塗りつけ、文句を言う間も無かったのかも知れないが。
ばさっ!!ばさっ!!
突然大きな羽撃き音が、上空から聞こえた。
見上げようとしたその時、ふわりと体が浮いた。
「え、え?」
身体に何か当たる感じがして、風を全身に受けて、上昇する圧を感じて・・・
はっと正気に戻ると、上空高くにアガサはいた。
何かに跨っていて、それが飛んでいるのだ。
これは・・ドラゴン?ど、っ!!!
「きゃーーーー!!」
必死で身体にしがみつくと、ドラゴンの身体がユサユサと震えた。
『くすぐったいぞ、娘!やめろ!』
少し低めの声が聞こえた。耳障りの良い声だった。
「だ、だって!落ちてしまう!風も強いわ!怖い!!降ろして!!」
アガサの目から大粒の涙が溢れ、風にポロポロと飛ばされていく。
『大丈夫だ。座っていれば落ちはしない。普通に大人しくしていろ』
「風が強いの!飛んで行っちゃわ!!」
『仕方があるまい。降りるぞ』
そして急降下!
アガサはついに手が外れて空中に投げ出された。
「きゃああああ・・・」
「こらこら、落ちるではない」
キュルンとドラゴンは急旋回、アガサを背に受け、そのまま着地した。
彼女は失神してグッタリとしている。
「はっ」
気が付くと地面に寝かされていた。
(ここはどこ?)
辺りを見渡すが、木々が生い茂っていて、ここが林か森程度の理解しか出来ないでいた。
ふと気配がする方を見ると、一人の男が胡座をかいて座っている。
「起きたか。嫁御殿」
「え?嫁?」
「我が見初めた。お前は我の嫁御となる」
「お待ちください!私は既に婚約者がいます!それに家族に何も告げずに決められることではありません!」
「我は竜族の後継となる。お前は妃だ。何が不満だ」
「攫った上、私の気持ちも無視ですの?お断りします!」
「我の妻だぞ?光栄な事であろう?」
「ご冗談を。勝手に決めないでくださいませ!私を元の場所に戻してください!」
「我を拒否するか。勝手にしろ」
姿は人からドラゴンに変化すると、急上昇して飛び去ってしまったのだ。
(お、置いて行かれた)
アガサは呆然とした。
だが戻らなくては。こんなところに何時迄もいる事は出来ない。
魔物や獣がいるのだ。
彼女は剣などは使えない、体力にもあまり自信は無かったが、魔法は上級者だったので草を掻き分け進み始める。
時期がまだ寒い季節だったので、草もあまり茂ってはおらず、蜘蛛やヒルなどの虫類も見当たらなかったので、歩みはぼちぼちだが進んでいく。
リュックの様なベルトバッグには水筒と携帯食料、ロープなどが入っているので数日は大丈夫だ。
腰には短剣も装備しているし、公爵家だから手に入るポーションや毒消も完備。用意周到なのだ。
時折自分に『回復』を唱えつつ、太陽の向きを確認しつつ進むが、夕暮れ、そして夜を迎える。
夜の星座を見て、方角を確認すると、彼女はさらに進む。
体力はかなり落ちているし、眠たくもなっているが、ここでは眠れない。
獣除けの術を唱え、光明の灯りでどんどん進む。
夢中で歩くと、ついぶり返される迷い。王子とあの女の顔を思い出す。
「迷っていられない。進まなくちゃ」
自分の声に、今発した言葉に、なんとなく気持ちがストンと落ちて収まった。
そうね。迷わず進む、それね。
「おい。お前、凄いな」
「きゃっ?!」
気配も無く、急に声をかけられて、アガサは小さな悲鳴を上げる。
先程のドラゴン男が苦笑して後ろに立っていたのだ。
「反省させるつもりで少しほっといたら、いないのには驚いたぞ」
「家に帰るつもりでしたから!私の両親が心配していますもの」
「むぅ・・・送る」
「結構です。私、こう見えて強いんですの」
「そうだな。ますます我の嫁御に」
「いいえ、婚約者がいますから」
ズンズン進むアガサの後を、ドラゴン男はムッとした顔でついてくる。
二人は黙ったまま進み続け・・
チラッと前方に光を認めた。
お嬢様ーーーーお嬢様ーーー・・
微かに呼ぶ声も聞こえた。
「うちの騎士達だわ!ここよーーー!!」
数分後、公爵家の騎士達と合流する事が出来た。
「お嬢様、どうしたのですか!いなくなって、公爵様も奥方様も大変心配されています!」
「ああ、本当ごめんなさい。ドラゴンに誘拐されたの。この者よ」
アガサが後ろを振り返ると・・ドラゴン男はいなかった。
「んまあ!謝罪もしないで消えたのね!礼儀知らず!!」
彼女にしては珍しく、というより初めてだろう。大声でドラゴンを詰ったのだった。
この様子に、騎士達も目を見開いて驚くのだった。
公爵家に戻ると両親に謝り、顛末を語ると、
「ドラゴンの王子、だと?これは大変な事になった」
父である公爵は王に先触れを送ると、書斎に篭ってしまった。
「お母さま、どういう事なのです?」
「この国の紋章を知っているわね、アガサ」
「はい」
「この国はドラゴンを国の象徴にしているの。おおよそ100年おきに、ドラゴンの後継が人間の娘を嫁に迎える風習があるのよ。100年の間があるから知らない人も多いけど」
「まあ!でも私はアルミドラ王子の婚約者で」
「王家よりも優先される事なのよ、ドラゴンの花嫁は」
「え・・」
母である公爵夫人に説明され、アガサは吃驚した。そんな歴史、知らなかった!
風呂から上がるとそのまま部屋に戻り、ベッドに寝転がるが眠気は全然。目は冴えたままだ。
風呂に入るために退室しようとしたアガサに、母が苦笑して言ったセリフを思い出していた。
「王子様との婚約も、この理由で破棄できるわ。これで良かったのかもしれないわ」
母はあの件を、父よりも怒っていたのだ。
父親というか、男は愛人を作ったり、王家なら側室なんて公然と何人だって囲えるのだ。
貴族にはよくある事例ではあるが、母は父に愛人が出来たら離婚すると公言している。
父は有能なので、愛人をこっそりと囲っているかもしれないが、母に知られない努力をしているなら、まだ良い方か、そんな風に娘は思っているが・・
因みに公爵には愛人はいない。夫人を心底愛しているのだ。
王族だからと言って、婚約中の不始末には黙っていられなかった様だ。
母は側室になんてさせるつもりはなかった。大事な娘が愛人枠なんて絶対に赦さない!
女側には結婚するまで貞操を守る様に言いつつ、男はこれか?しかも相手は庶民だ。
貴族教育もしていない下賤な女とは、娘を舐めている!
病気をもらっていたらどうするのだ!大事な娘に移す気か!母の怒りは未だ収まらない。
母はアガサ、娘をそれはそれは大切に育ててくれたのだ。
生まれた彼女を見て、
「私は宝石を産んでしまったのね!」
涙を流して抱きしめたそうだ。
その大切な娘を蔑ろにした男、たとえ王子でも許せなかった。
だから王家よりも地位が上になるドラゴンの花嫁になる事で、彼を貶めてやりたいのだ。
私の大事な大事な宝石、アガサを失ってから後悔すれば良い、と。
母の怒りを知って、アガサは心底有難いと思った。母の、自分への愛情を感じて嬉しかった。
だが、10年の付き合いであるアルミドラと、今日初めて会ったドラゴン王子。
不義理はあれど、長い付き合いの方が愛情は優っている事は確かだ。
目を瞑ると不思議と眠気が思考を緩やかにしていくのを感じ・・・
アガサはそのまま眠りの淵に落ちていった。