1−07 第七話~霊刀の銘は?
洞内廊下を歩いて刀が鎮座する滝広間まで一旦戻ると右側の二叉洞穴へと入る。
左奥に進むと彰二さんがタバコを吸って待っていた。
「おんじ、恵祐君、準備は出来てるよ」
「ご苦労。用が済んだら退出しろ」
「はいはい、恵祐君それじゃあね」
彰二さんは気安い口調で答えると去って行った。
それを見送り、とある洞部屋に進んだ。
「大森恵祐、そこに座れ」
言われるままに腰を下ろして部屋を眺める。
通された部屋は一言でいうと奇怪だった。
天井は風穴になっていて外界まで通じていた。
周りを見渡せば岩壁一面に見たことの無い紋様と文字で刻まれ埋め尽くされていた。
地面には洞部屋を横断する人工堀で整備された小川が流れ、鍛冶屋の金床と槌が無造作に置かれている。
そして中央には三角の護摩壇が組まれていた。
青嵐おんじは護摩壇の炉に火を入れ準備を始める。
その様子を眺めながら俺は訊ねた。
「俺はどうしていれば良いんですか?」
「恵祐はそこで座っていれば良い。ただしこの部屋から出てはいかんからの」
青嵐おんじは結跏趺坐のまま、微動だにせず瞑想に入る。
護摩焚きの炎がぱきぱきと燃え始める。
流れる空気を飲み込んで、炎が炉を満たしていく。
やがて炎が安定して燃え盛ると青嵐おんじは祈祷を捧げ始めた。
読経を唱えている青嵐おんじが香油を注ぎ込むと炎が立ち昇り一際大きくなった。
そこに黒炭を投げ入れる。
青嵐おんじは威風堂々と読経を唱えながら霊符を投げ込み炉に呪力を与えていく。
洞内を吹き抜ける読経の声。
―――――――――――――――。
気がつけば読経が勝手に頭の中で反芻されるほどの時間を過ごしていた。
「えあっ!」
裂帛の気合いと共に青嵐おんじが護摩壇を指し示すと炎が爆発的に天まで立ち昇った。そして青嵐おんじは懐から『水呪』とかかれた木札を取り出すと護摩壇の炎に投げ入れた。
「水炎招来!」
規則正しく揺れていた炎が一際大きく蠢く。
すると赤々と燃えていた炎は次第に透過し変色し始め、やがて澄み渡った蒼炎になった。
青嵐おんじは祈祷を中断し、傍らにあった無銘刀の柄を外して刀身だけにすると左手で握りしめながら炎の中へ刀を左腕ごと投じた。
「おんじ! 何を!」
「黙ってみておれ! 気が散るわ! ――ノウマク・サラバ・タタギャテイ・ビャクサラバ……」
青嵐おんじは俺を一喝すると真言を唱え始めた。
そのとき目の前で不思議なことが起こった。
護摩焚きの火力程度では変質しない刀が徐々に赤みを帯び始める。
それは鍛冶炉の中で熱せられた鉄の色と同じだった。
しかし青嵐おんじの腕は焦げ付かず変化はない。
俺は奇妙な光景をただ見つめていた。
青嵐おんじは刀身全体が熱せられるのを視認すると、今度は金床に置き槌で叩き始めた。刀の形に打ち延ばす素延べのように完成された刀を叩くなど百害あって一利なし。
それは変質や歪みを招くだけの蛇足すぎる行いだった。
これがただの真似事なら大したことないが、近くで見ていた俺の肌が空気を伝って熱を感知する。
本当に熱い鉄を打っていることを嫌が応でも自覚させられる。
そんなあり得ないことを目の前で見せられ思考が散り散りになっていた。
ただ目の前の事象を見続ける俺をよそに、青嵐おんじは刀を射貫くような視線で睨み付けている。
青嵐おんじは汗みずくになりながら刀に息吹を注ぎ込もうと作業をしていた。
そして炉で熱しながら打ち付けること数十回、青嵐おんじは槌を置き刀を小川の冷水に漬け込んだ。
水を焼く音と水蒸気が立ち昇っていく。
やがて刀が静まると青嵐おんじは引き上げて刀身の表裏眺めていた。
刀身は砂鉄の粒子がこびりついたように全身黒ずんでいた。
すると青嵐おんじは刀を護摩壇の前に突き立てると呪印を組み叫んだ。
「大森恵祐の魂よ。刀に宿りてその力を示し給え!」
洞窟内に声が反響していった。
すると卵が孵化するかのようにぽろぽろと表面の黒ずみが剥がれ落ちていく。
中から光輝く刀身が現れた。
「お主の銘は何じゃ!」
青嵐おんじが刀に呼びかけるとペキペキと音を立ながら柄元に銘が刻まれていく。
その刻まれた銘ははっきりと『断理』と印されていた。
「断理か。これよりこの無銘刀は大森恵祐の霊刀『断理』と相成った!」
洞窟内全てを振るわすような大音声が風穴を突き抜けていった。
それと同時に護摩壇の炎が元の色に戻り不思議な光景は消滅した。
柄を直して一本の刀を組み上げると青嵐おんじは鞘へと納めた。
すると鞘が一瞬青白く発光し黒塗りの鞘が青塗りの鞘に変わっていた。
全てを見ていた俺はあまりのことに一言も声を発せられなかった。
青嵐おんじの霊刀造りは何もかもが出鱈目であり得ないことの連続だった。
仮に普通の刀匠がこの場にいたら斬りかかるくらい憤然とするだろう。
しかし結果として青嵐おんじは一振りの霊刀を誕生させていた。
「受け取れ。夜目一族の証である霊刀じゃ」
霊刀を掲げる青嵐おんじに仰々しく礼をして授かる。
霊刀に触れた瞬間、魂が吸い取られるような軽い目眩が生じた。
しかし、それは一瞬の感覚で身体は特に何の変調も見られなかった。
無銘刀を購入してから樹海に運ぶまで結構重かったのに今では軽く感じられた。
しかしそれでも鉄は鉄。ずしりとのし掛かる真剣の重み。
それが契約完了の証として肌に感じた。
契約後の高揚感はあるが心に重みは感じず、まったく後悔はなかった。
「これで儀式は終了じゃ。夜目一族の一員として改めて歓迎する。仲間として活動して貰うのは明日からにして、今日はゆっくりと休むが良い。霊刀は肌身離さず持っておけ。盗難はないだろうが紛失に気をつけろよ」
俺は「はい」とだけ答え、儀式の間を退出した。
ここに霊刀を持った新たな修験者が誕生したのだった。
青嵐おんじと別れて鈴音の洞部屋に入る。
中では鈴音と彰二さんが話し込んでいた。
二人は俺の姿を確認すると笑顔で迎えてきた。
「恵祐、お疲れ様。どうだった?」
「無事、契約は完了したよ」
「そう、これが恵祐の霊刀なのね」
「ああ、『断理』っていうらしい」
俺は青塗り鞘の日本刀を見せて言った。
「断理……大丈夫そうね」
鈴音は何かを確認するように呟いた。
それを聞き取った俺は鈴音に尋ねる。
「ん? 何が?」
「何でもないわ」
鈴音は慌てて手を振りながら答えた。
俺は首をひねりつつ追求しようとしたとき彰二さんが割って入ってきた。
「恵祐君。刀を見せて貰っても良いかな?」
「え? あ、はい、どうぞ彰二さん」
俺は霊刀を手渡した。
それをしっかり掴みながら彰二さんは霊刀を眺める。
「恵祐君は青塗りの鞘になったか。……うん、見事だ。それでは刀身を見てみよう」
彰二さんはゆっくり鞘走りしていく。
松明の灯りを浴びて赤く濡れたような輝きが放たれる。
彰二さんはゆっくりかざしながら刀身を見ていく。
「身幅広く、柄との比重も良い。使いやすい刀身になっている。限界まで呪力が編み込まれているが刀身に歪みや負担がない。おんじの技も匠の域に達してきたな」
彰二さんはゆっくり刀身を鞘に納めると俺に返却した。
「恵祐君、この霊刀にはある特性があるんだ」
それを聞き、霊刀を見ていた視線を彰二さんに移して問いかける。
「特性? 何ですか?」
「この霊刀は決して曲がらず折れない。どんなに乱暴に振るっても刃毀れひとつつかないんだ」
「そんなことあるんですか?」
俺もある程度は日本刀に関する知識を持っている。
振るう人間の技量にも左右されるが曲がらず折れない刀は存在しない。
オーソドックスな西洋剣のように叩きつぶすような造りならあるかもしれないが、日本刀は斬ることを目的としている。
触れるだけで切り裂くような刀を造るためには刀身は自然と薄くなり脆くなる。
そこにしなやかさを取り入れた職人の技術に恐れ入るが、それでも折れる物は折れる。
だからこそ日本人はそこに神業ともいわれる斬る技術で補いながら剣術を修めたのだ。
その常識を凌駕した刀が自分の手にあることに少し驚きを感じていた。
「もちろん、この技術が外部に漏れたら大変だからね。霊刀は全て夜目一族の管理下に置かれ、使われない刀は全て滝のある部屋に置かれている」
「あの刀の礼拝堂にあるのが全部霊刀……」
「刀の礼拝堂か。中々上手いことを言うね。使われない霊刀はあの場所で折れも朽ち果てもせず眠っているんだ。使う人が居なくなってもね」
「そうなんですか」
「まあ、夜目一族になったけど日常生活に戻るため霊刀を返却した人も多いからあそこに置いてるんだけどね。恵祐君もそういう選択もあるってことは覚えておいてね」
「はい」
「それじゃあ、恵祐君が僕らの仲間になったことを祝して乾杯といきますか」
「お茶だけどね」
鈴音は新たに注いだ湯飲みを手に持ってにこやかに笑う。
「では、乾杯〜」
彰二さんの音頭に合わせて俺もお茶を掲げて一口飲む。
祝福してくれる2人を見つめていると、何だかお腹の中から温かな気持ちになる味だった。