1−06 第六話~覚悟
スーパーを離れ、今度は駅近くの商店街へと移動した。
商店街の一画に『楼蘭古刀店』という店舗を構えていた。
彰二さんは挨拶をしながら扉を開けて入る。
続いて俺がのれんをくぐると店内には数多の日本刀が棚に飾ってあった。
「いらっしゃい。あら、貴方ここ来るの初めてかしら?」
店の奥からチャイナドレスを着た妙齢女性が話しかけてきた。
「はい、そうです。でもどうして」
「刀に魅了された客は固定客が多いの。だから自然と顔と名前を覚えられるわ」
艶やかな藍色の長髪を垂らして魅惑する美しさを醸し出しながら女性は答えた。
そこに彰二さんが付け加える。
「刀というより霞夜さんに魅了された客も多いけどね」
「あら、そうかしら?」
「佐々木さんとこの次男坊があの刀買うために倉の骨董持ち出したってもっぱらの噂だよ」
彰二さんが見つめる視線の先には桁が違う値段の脇差しに対の太刀が陳列してあった。
セットで買えば家が一軒建ちそうな金額だった。
その刀を横目で流しながら女性はこともなげに言った。
「刀に魅了されてしまったのね。でも良き縁を結ぶのが私の役目。佐々木さんはこの刀に釣り合わないわ。それに比べて貴方、刀に縁がありそうね」
「お、俺ですか?」
急に話を振られ俺はたじろぐ。
その様子を見つめて薄い微笑みを浮かべながら女性は手前の短刀を手に取ると俺に見せてきた。
「この短刀なんてどうかしら。安くしとくわよ」
「え? いや、その」
俺が短刀と女性を交互に見つめてあたふたしていると彰二さんが霞夜を窘めた。
「霞夜さん、恵祐君で遊ばないでくれよ」
「貴方の連れということはこの店の常連になるかもしれないでしょ。営業の一環よ」
「あまりあくどいようだとこの店に刀を持ち込まないぞ」
「冗談よ。私は相手が不幸になるような売り方はしないわ。貴方もそれが分かっているからこそ、この店を選んだのでしょう?」
「そりゃあね。刀剣の流通に信用おけない店に刀なんて持ち込めないよ。その点ではこの店は一流だね」
「お褒めに預かり光栄だわ。ではその一流の店で何をお望みかしら?」
「いつもと同じ無銘刀を一振り頼むよ」
「わかったわ。丁度入荷したところなのよ」
霞夜と呼ばれた女性は店の奥から刀を持ってくると彰二さんに手渡した。
「今回は中々興味深い刀が手に入ったわ」
彰二さんは刀身をかざすため刀を抜き放つと思わず感嘆し息を漏らした。
「これは……身幅広く重ね厚い、特徴的な八雲肌に見事な直刃。刀の造形も申し分ないし倶利伽羅竜の刀身彫りまで入ってる。本当に無銘刀かい?」
「ええ、恐らくここ百年以内に造られた現代刀みたいなんだけどね国、流派、系統全て不明よ」
「不明?」
「ええ、正確に言えば使える技術を取り入れすぎてて分類できない刀ね」
ふたりの専門的な会話について行けないが、聞く限り目の前の刀が凄いことは解る。
本来、志向性の違う技術はベクトルと同じで増幅するとは限らない。
ましてや門外不出、一子相伝の秘伝技能があるのが常である。
それを高水準で纏め上げる刀匠が存在すれば人間国宝どころか世界遺産レベルの才能である。
そんな才の結晶を彰二さんはじっくりと眺める。
「確かに……。しかし、かなりの業物みたいだ。どうやって入手したんだい?」
「お得意先の倉の中に眠っていたのを譲り受けたの。一緒に保管されていた手記に寄れば先々代が直接刀匠から購入したらしいのだけれど、その刀匠の素性は一切記載されていなかったわ。唯一、記されていた手がかりはその刀匠は二代目と呼ばれていたらしいけどね。ああ、筆跡鑑定もして手記の信憑性も高いわよ。一応独自に調べてみたけど過去の流通形跡もないし、類似品の噂もないわ。裏に手を伸ばせば何か出るかもしれないけどそうすると完全に足が出るわね。別途調査費出してくれるのならやるわよ。この刀……どうします?」
「頂こう。久しぶりに名工の技を見て心が躍ったよ」
取引が成立し彰二さんは刀を受け取ると刀袋に包んで俺に渡してきた。
「はい、君の刀になるかもしれないからしっかり持ってね」
未だ仲間になるか迷っているが、見事な業物を渡されて俺は驚く。
「俺の刀に? 良いんですか?」
「うん。霞夜さんの言葉を借りれば、その刀は恵祐君を選んだんだと僕は思うよ」
「そうね、これだけの業物にいきなり巡り会えるのは縁があるからだわ」
俺は手にある刀をじっと見つめていた。
その様子を彰二さんは優しく見守りながら霞夜と商談の話をしていた。
「じゃあ霞夜さんまた来るよ」
「またいらしてください。刀の加護がありますように」
彰二さんの後について重量感のある刀を落とさないように気をつけながら俺は古刀店を後にした。
次に彰二さんが向かったのは大熊猫運送という運送屋だった。
店の前に車を止め店舗に入ると、店員は彰二さんの姿を見つけるやいなや小走りに近づいてきた。
「いらっしゃいませ。彰二さん、どんなご依頼で?」
「荷物の運送を頼みたいんだ」
「わかりました。ではこちらでご記入を」
受付の椅子に座り、彰二さんはペンで必要用紙に書き込んでいく。
俺は横に座り用紙を眺めていた。
達筆だが読みやすい文字で空欄が埋まっていく。
文字には人柄が表れるというがまさに彰二さんの気遣う心を表しているようだった。
「それでは荷物をお預かりします」
店員は手際よく車から荷物を次々運び出していった。
「では、またよろしくお願いします」
帽子を取って深々とお辞儀をした店員に見送られ、俺達は車に乗り込んで樹海へと戻っていく。
帰り道、俺は何気なく訊ねる。
「あの荷物何処へ送るんですか? 俺はてっきり樹海へ運ぶもんだと思ってましたよ」
「何言ってんだい? 樹海に運ぶよ」
「へっ?」
彰二さんの発言に思わず面を喰らう。
「二人じゃあの大荷物を樹海の深部まで運べないでしょ」
当たり前のように平然と話す彰二さんに俺は疑問をぶつける。
「え、でも、樹海ですよ? まさか運送屋が樹海までお届けするんですか?」
「そうだよ。だってあの人たち樹海関係者だもの」
「樹海関係者……あの人たちが」
あり得ないと疑っていたが運送屋が樹海関係者と知らされ俺は妙に納得した。
「彼らは職を失って樹海に入ったけどおんじに諭され第二の人生を歩んでいる人たちさ。中には夜目一族になった人たちも居るよ。だからあの人たちは樹海のことは良く知っているんだ」
「えっ! 夜目一族の仲間になっても元の社会で生きられるんですか?」
「もちろんだよ。制約はあるけれど、外の世界に戻って家庭を作った人もいるよ」
鈴音に非現実な暮らしと聞かされて不安だったが、そう悲観するようなものでもないらしい。
「そんな生き方もあるんですね」
俺は全く違う生き方をしている人たちに思いを馳せた。
すると今まで頭が煮詰まっていて周りが見えなくなっていたことに気付いた。
頭の中でもやもやしていた思考が取り除かれ冷静に自分を見つめられるようになっていた。
青嵐おんじの言っていた心に余裕を持つと言うことはこういうことなのかもしれない。
「因みにさっきのは鈴音の実家が経営している運送屋さんだよ」
「へぇ〜、鈴音の実家運送屋さんなんですね」
鈴音の親は社長さんかな、と思い浮かべていると彰二さんは意外な言葉を告げた。
「運送屋は一事業だよ。ひょっとして、恵祐君聞いてないのかな? 鈴音は小宮グループの御令嬢なんだよ」
「へぇ〜、小宮グループの……って! 小宮ってあの小宮っ!」
俺は目を見開いて彰二の方へ振り向いた。
小宮グループといえば農林水産業を主とした地方都市に根付く大企業で、この烏丸市では日常食品から冠婚葬祭まで全て小宮グループが関係しているといわれている。
鈴音がそのお嬢様と知って俺は驚きのあまり言葉を失った。
「ついでに言えば元々樹海の所有者も小宮家だから僕たち夜目一族も広義の意味では小宮グループの一員と言えるね」
俺はしばらくの間茫然としていたが、我に返るとひとつ疑問が生じた。
「そんな環境にいる鈴音が何で樹海で生活しているんです?」
「色々あるんだけどね。一番の理由は実家との確執かな」
「……そうですか」
明るく人を引きつける笑顔をする鈴音にも悩みがあることを知って俺は自分の状況を改めて考えていた。
車は高郷町を隔てる彼岸橋を渡って神原町を走る。
喧騒の多い町並みから次第に山林の多い景色へと変わる。
いつしか無言になり車内は暑さを和らげる空調の音だけが響いていた。
そのまま静かな雰囲気が車内を満たしていた。
日没前に樹海が見える国道に差し掛かる。
その頃には迷いは晴れ、俺は固く決意していた。
やがて樹海に到着すると付近の駐車場に車を停めて荷物を取り出した。
彰二は傷み易い食品などを背負い、俺は購入した刀と雑貨を持って樹海に踏み入れた。
「どうだい恵祐君。気晴らしにはなったかい?」
「はい、おかげさまで気持ちが固まりました」
「そうか、それは良かったよ」
カンテラで仄暗い森林を歩いて行く。
昨日のように不安な気持ちは沸き上がらず、終始心は静かで穏やかだった。
心なしか足取りは軽く、昼に出かけたときと比べて樹海の景色が澄んでいるように思えた。
足下を照らしつつ、和やかに談笑しながら歩いて行く。
やがて数十分後、修験洞が見えてくると鈴音と真矢の姿を捉えた。
鈴音はこちらに気がつくと近づいてきた。
「彰二買い物ありがとう。恵祐もお疲れ様」
「ああ」
「構わないよ。それじゃあ僕は荷物を置いてくるね」
俺に預けた雑貨と刀も彰二さんは持つと真矢と一緒に修験洞内に潜っていった。
その場には俺と鈴音だけが残される。
鈴音は俺の顔を真っ直ぐ見つめ続けた。
それに対し俺も見つめ返すと静かに口を開いた。
「俺、契約することにするよ」
鈴音は答えを予想していたようで特に驚いた様子もなかった。
「そう、覚悟は決まったのね?」
「ああ」
「それじゃあ私からの最後の忠告。私たちは貴方にまだ言ってないことがあるわ。それは契約してからじゃないと言えないことなの。もしかしたら貴方の都合と合わないものかも知れないわ。それでも契約する?」
「……ああ、契約する。色々悩んだけどこの選択はきっと俺の状況を変えるための第一歩なんだって思ってる」
流されて決めたわけじゃない、と自分の決意を鈴音に告げると彼女は静かに頷いた。
「わかったわ。それじゃあ、おんじのところに行きましょう」
俺は静かに「了解」と答えると鈴音と一緒に修験洞に入っていった。
そして青嵐おんじの住まう洞部屋で俺は再び問いかけられる。
「決まったかね?」
「はい、鈴音にも忠告されましたが気持ちは変わりません。どうか、俺を夜目一族の仲間にして下さい。お願いします!」
土下座ではなく武道の最上礼として俺は青嵐おんじに頭を下げた。
長い沈黙がこの場を満たした。
お互い微動だにせず、冷涼な空気だけが流れていた。
ぱちっとたいまつの炎が一際大きく弾けると、沈黙を破りおんじは口を開いた。
「あい分かった! これより大森恵祐を我ら夜目一族の仲間として迎え入れる儀式を執り行う」
青嵐おんじは立ち上がると篠懸を着込み儀式の支度を始めた。
その間、後ろに控えていた鈴音と話をする。
「良かったわね、恵祐」
「ああ、ここまで来て断られたらどうしようかと思ってたよ」
「これまででそんなこと……あったわね、一度だけ」
「あるのかよ!」
反射的に突っ込みを入れる。
すると鈴音はこめかみに指を当てながら記憶を掘り起こしてそのときの状況を説明した。
「ええ、確かあのときは優柔不断な男が契約直前になって迷い始めたからなんだけれどね。自信なく承諾してはちょっと待ってくださいの繰り返し。あまりのヘタレっぷりにさすがのおんじも激怒して追い払ってたわ。あんなに怒ったおんじを見たのはそのときだけ」
「良かった。俺、決断しといて」
話に聞く男ほどではないが、迷っていた俺に決断のきっかけをくれた彰二さんに対し心の中で感謝を贈る。するとふと疑問が湧いてきた。
「でもさ、その男の態度が悪かったのが一番の原因だけど、おんじの見極めも足りなかったってことじゃないか?」
そんな問いかけに対して、鈴音は指を口許に添えながら思案を巡らせた。
「そうとも言えるかな。おんじも人間だからね。でもトラブルになったのはかなり前の話だし今のおんじの手腕は確かよ。私の知る限り、そのとき以外でトラブルになったこと見たことないわ」
「まあなんにせよおんじが認めてくれて良かったよ」
俺はほっと胸を撫で下ろしていると後ろから声がかかる。
「恵祐。そろそろ行くぞ」
支度を終えた青嵐おんじが洞部屋を出ていく。青嵐おんじの姿を目で追いながら鈴音の方を振り向く。
「それじゃあ、行ってくる」
「わかった。恵祐、また後でね」
「ああ、またな鈴音」
見送る鈴音を残し、俺は冷涼な洞穴内を歩いて行った。
ようやく女性が出てきて良かった……。
次回でようやく序幕の一区切りかも。