1-03 第三話〜樹海の長[前編]
ルビ振りに時間がかかりました。
「起きろ恵祐、着いたぞ」
かけられる声に気づき、俺はゆっくり瞳を開けた。
真矢の背中が瞳に映り、自分が眠っていたことに気づく。
すぐさま降りて真矢にお礼を言う。
「すまん、真矢寝てた。あと、運んでくれてありがとう」
「気にすんな。もう大丈夫そうだな」
真矢に言われ身体の体調を確認しながら軽く背伸びをする。
そして大きく深呼吸をして肺の隅々まで酸素を取り込んだ。
先ほどとは違ってすっきりとした爽快感があった。
俺が体調の確認していると鈴音はカンテラをかざして洞穴を示した。
「ここが私たちの住み処、修験洞よ」
俺は眼前を眺める。
樹海の深部に厚く降り積もった枯れ木や落ち葉の隙間から堅い岩肌が覗いていて、そこから隆起したような岩と岩の間に小さな洞穴が開いていた。
「洞窟なのか?てっきり野外でキャンプしているものだと思ってた」
「まあ、普通はそうよね。でも中は凄いわよ。さ、行きましょ」
鈴音はカンテラを持って先導するとその後ろに俺が続き、遅れて真矢が追従する。
洞内を進んでいくとコウモリの住み処になっているのか時折羽音が聞こえて来た。
ごつごつした剥き出しの岩壁で体を支えながらゆっくりと奥へと進む。
洞内を流れるひんやりとした空気が肌を撫でる。
多少の肌寒さを感じながらお互い無言で歩いて行く。
進むにつれて洞内特有の閉塞感が薄まり、胎内にいるような雰囲気に包まれる。
未知の場所なのに安らげると何故か思わせるものがあった。
奇妙な高揚感に包まれながら進んで行くと次第に洞穴が広くなり、三人横に並んでもゆるりと通れる広さになっていた。
地面の凹凸も少なくなり、歩きやすくなる。
左曲線の洞内を壁伝いに歩き、そのまま緩やかな下り坂を進んでいくと前方に仄かな明かりが漏れていた。
明かりに近づくにつれ、導かれるように大きな灯火になっていく。それはずっと暗闇を歩いていた俺に安心感をもたらせ、足取り軽く、光射す方へ向かっていった。
「ここが……洞窟?」
俺は目の前の光景に息を呑んだ。
鍾乳石の柱が乱立したその空間は幅広く、ゆうに学校の体育館の三倍はあった。
洞内には微かに空気の流動があり、壁面に規則正しく並べられた松明が揺らめきながら空気を焦がしていた。
自然と調和した文明。
その様子は古代遺跡を彷彿させ、俺の心に衝撃を与えていた。
「どう? 恵祐」
「ああ」
「凄いでしょ」
「ああ」
考古学の教授が未知なる文明を発見したときの心情にも似た感情が俺の中で湧き起こり、鈴音の問いかけにも単調な返事しかできないでいた。
「やれやれ、此処にあらずだな。ま、これでアタシの役目も終わりだな。それじゃあ鈴音、また後でな」
真矢は後ろ向きのまま手を振って別の方向へ歩き出して行った。
鈴音が振り返り俺を見る。
「こっちに長が居るわ。付いてきて」
鈴音は俺を促すと奥へ進んでいく。
心が浮ついていた俺はしばらくの間、辺りを見回していたが、遠ざかる鈴音に気付き慌てて追いかけて行った。
曲がりくねった洞内通路を通り抜けると一段と低い冷気が肌を撫でた。
新しい空間は清浄の空気が満ちていた。
そして水流の音が鳴り響く。
そこはいうなれば礼拝堂の間だった。
岩壁はなだらかな質感を見せていながら天井と地面に数多の鍾乳石を生やしていた。
厳かな雰囲気を感じつつ俺は滝の元へと足を送り出した。
正面の滝に近づくと轟音が体を震わせ始める。
飛沫で濡れないところから滝を眺めると、排出口から圧倒的水量で五メートルほどの高さから落下していた。
流れに沿って目線を落とし、白波溢れる滝口の周りに目を凝らすと、人工的な造りをした岩肌の中に数多の刀が鎮座していた。
俺は刀に近づいていく。
「これは……日本刀?」
触れそうな距離にある刀を見つけ、俺は思わず手を伸ばす。
「駄目ッ! 触らないで!」
「あ、おう」
ぴしゃりと彼女に言い制され、俺は驚いて手を引っ込める。
しかし、どうしても気になり、しげしげと刀を見つめていた。
ゆうに数百を超える日本刀が抜き身のまま地面に突き刺さっている。
刀は三つの郡に分かれ右壁、左壁、そして正面の滝が流れる水辺にあった。
特に正面の刀は水に浸かっているのに錆ひとつない。
刀は松明の明かりを反射しているのか赤みを帯びた輝きを放っていた。
まるでここだけは神聖でなければならないような特別な印象をこの場から受けた。
「見とれてないで行くわよ」
「あ、ちょっと待ってくれ。この刀は一体何なんだ?」
「長の造った……持ち主の居なくなった刀たちよ」
「居なくなったって手放したってことなのか?」
「答えは是でもあり否でもあるわ。ただここにある刀は色々と事情があるから触れないこと。抜き身のもあるし危ないからね」
「ああ、わかった」
「さあ、こっちよ」
何となく後ろ髪を引かれつつ、刀の礼拝堂を通り過ぎて洞内通路に入り込んだ。
そして数分歩いて行くと左右に分岐した道に差し掛かった。
目印のない分岐路を見つめる。
「案内がなかったら迷いそうなところだな」
「そうね、ここは先人たちが少しいじって、人が住めるようにしただけの元は天然の洞窟よ。全長、深さ共に全国五本の指に入る規模だからうっかりしていると遭難の可能性もあり得るわよ」
「マジ?」
「ええ、大マジ。だから頭を働かせて記憶するか無闇に歩き回らないことね」
それを聞き俺は若干鈴音との距離を縮めてすぐ後ろを歩くことにした。
それを見ていた鈴音はクスリと口許に笑みを浮かべながら俺を案内していく。
数カ所の分岐点を通り抜けながら細々とした枝道の脇を通り過ぎると鈴音は手前の洞穴で立ち止まった。
「長が居るのはここよ。面会の準備は良い?」
視線で促され俺は自身を見渡す。
制服は泥と埃まみれだった。
とりあえず軽く制服を叩くとたちまち汚れが舞い散った。
まあ、やらないよりはマシだろうと思い何度もYシャツも叩く。
しかし結局叩いても見た目はまったく変化ないので諦めて鈴音に頷いた。
そして俺たちは左の洞穴に入っていった。
洞穴の内部は十二畳ほどの広さの袋小路になっていた。
中央は囲炉裏になっていて微かに薪が燻っている。
端には青いテントが張ってあり、人の生活を思わせる食器や衣服といった品々が地面に転がっていた。
「青嵐おんじ。客を連れてきたわ」
鈴音が声をかけるとテントからのそりと初老の男が這い出てきた。
年齢はおそらく還暦近くだろう。
顎髭をたくわえ、ぼさぼさの長い胡麻白髪を後ろで無造作に束ね、小じわだらけの目元から瞳を覗かせると窪んだ頬を振るわせた。
「客とな? それは表か裏か?」
「まだ保留中。でも危険な状況だったんで連れてきたの」
「そうか、霊刀は使用したのか?」
「ええ、緊急だったからとっさにね。まだ弁解もしてないわ」
「わかった。まずはそこから話そう」
青嵐おんじと呼ばれた男は法衣の着崩れを直すと、姿勢を正して俺と向き合って座った。
そして促されて俺も姿勢を正して座り込んだ。
同じように鈴音は俺の後ろにゆっくり腰を下ろした。
青嵐おんじは部屋を灯しているカンテラの明かりを使って囲炉裏の火を付けると、自在鉤に薬缶をかけた。
沈黙が続く。
しばらく無言のまま青嵐おんじの行動を見ていた。
やがてぱちぱちと小気味良い音が聞こえ始め、新しくくべた薪に炎が移るのを確認すると青嵐おんじは静かに話し始めた。
「少年よ、ワシは青嵐という。仲間内からはおんじとも呼ばれておるがの。この戦場ヶ原樹海を管理している夜目一族の頭領じゃ。少年の名は?」
「……恵祐です」
俺は名前だけ告げる。そのことに対して気にした様子を見せず頷くと、青嵐おんじは生い茂った長い髭をいじくっていた。
「ワシと同じ姓なしか。なにやら言えぬ事情がありそうだが、とりあえずよかろうて。ワシの説明をする前にお主の疑問を解消しておくことにしよう。恵祐よ、訊きたいことはあるかね?」
俺はこくりと頷くと思案を巡らせた。
洞窟特有の肌寒い冷気のお陰で俺の頭は冴えていた。
すぐに考えを纏めあげると俺は落ち着きを払っておんじに訊ねた。
「質問は二つあります。まずは俺の身に起こったことの状況説明、特に刀で襲われたことが知りたいです」
「ふむ、その答えは当事者である鈴音が一番知っていよう」
青嵐おんじから視線を外して、俺は後ろを振り向いた。
それを合図に鈴音は静かに頷くと俺の隣にやって来て座り直した。
「鈴音、説明してやれ」
青嵐おんじに話の続きを促された鈴音はこほんと咳をすると説明を始めた。
「まず、貴方を刀で襲ったのは私であり現実にあったことよ」
鈴音の言葉に黙して語らず、俺は朧気な記憶を思い起こしていた。
そして襲った人物と彼女を照らし合わせてみた。
じわりと浮き上がったイメージが噛み合い鮮明な映像になって蘇る。
かちりとはまった映像と記憶が脳の芯から自分の体験したことだと伝えていた。
鈴音の言ったことが事実であると感じ取り、俺は襲ったことについて訊ねる。
「でも何故襲ったんだ?」
「それは……恵祐が悪霊に取り殺されそうになっていたからよ」
いきなりオカルトめいたことを言われ、俺は手で制し口を挟む。
「ちょっと待ってくれ。悪霊? そんなもの――」
「ありえない? でも貴方は自分の意思とは関係なく自殺しそうになった」
鈴音の言葉はまるで自分の気持ちを見透かされたようで鼓動が高鳴った。しかし俺はあくまで客観的に判断しようとした。
「それは……たぶん俺が鬱だったから」
鈴音は俺の言葉を否定せずに頷いた。
「そう、鬱だったのかも知れない。おそらく恵祐は一度絶望して死を覚悟したことあるのでしょう? それで思わず死にたくなった。今回のことはそんなふうに解釈することも出来るわ」
鈴音は私情を挟まずたんたんと語った。
そのお陰で俺は狼狽えず冷静のまま議論を交わせていた。
「その言い方だと鈴音の意見は違うのか?」
「ええ、私の見解では貴方が絶望したとき心身のバランスが崩れて魂が一部剥き出しになってしまった。そこに悪霊が棲み着き死へと誘った。弱り目に祟り目という奴ね」
「しかし俺は悪霊なんて一度も見たことないぜ」
「それは貴方に霊能力がないからでしょう」
「そんな! それじゃあ本当にいるか確かめられないじゃないか」
「そうよ、大抵の人は視えないから霊がいることを証明は出来ない。だから今、私は貴方に見える形で示すことも出来ない。でも、害を及ぼす霊は誰彼問わず襲ってくるわ。もちろん時と場所を選ばずにね」
俺は言葉を紡ぐ口を開けたまま押し黙った。
それは彼女の言葉が異論者に対して説得するモノではなく、有り体の事実を告げているようにしか見えなかったことが逆に話の真実味を帯びていた為であった。
その様子を見た鈴音は一呼吸おいて優しく問いかけた。
「ねえ、恵祐。実害にあった恵祐自身の身体は、心は、どう思っているのかしら?」
「それは……」
理論ではなく自分の心を問い詰められ思わず言い淀んだ。
客観的にはただの妄言だの一言で終わりだが、俺自身の身体や心に刻まれた記憶が鈴音の言った通りだと訴えていた。
「今はある程度憑依状態のときの記憶も思い出しているんでしょう? ……ここまで訊いた貴方の見解は?」
俺は真摯に話しかける鈴音の顔を見つめていた。
彼女の表情には確固たる意思が宿っていた。
恐らく俺が彼女の言葉を拒絶したとしても変わらず語りかけるだろう。
説得ではなく説明という形で。
数分の沈黙。
やがて俺は深く息を吐くと両手を挙げて降参した。
「はあ〜。実際に体験していなければ新手の霊感商法かカルト宗教の勧誘と思うぜ、実際」
「まあ否定はしないわ、胡散臭さは一緒だし。でも、たったこれだけの説明でどうして信じたの? 一日かけたって信じない人も結構いるのに」
鈴音の疑問はいたって当然なものであるため、俺は苦笑しながら自分の気持ちを素直に答えた。
「鈴音の説明は正直まだ信じられない。だけど鈴音自身は信じられると思う。たった数時間だけど話して、見て、聞いてわかったんだ。真矢は悪い人じゃないし、鈴音は思いやりのある人だって。だからどんなこと言われても事実として受け止めてみようとは思ってる。納得するのは時間かかるけど」
「そ、そう。なら良いけど」
鈴音はいそいそと髪をいじり始めた。急に慌てた彼女に俺は首をかしげる。
「どうしたんだ?」
「何でもない。ちょっと休憩するわよ」
鈴音はぶっきらぼうに言い放つと、立ち上がって茶器の置いてあるところへ向かった。
そして彼女は囲炉裏で沸かしたお湯の温度を確認すると、日本茶を淹れ始めていた。
俺はとりあえず一つ目の疑問は解決したので、足を崩して鈴音の言った通り少し休憩を挟むことにした。
囲炉裏の熱と洞内の冷たい温度が相まってとても心地よい空間が広がっていた。
そうしている内に鈴音はお茶の入った湯飲みを各々に配った。
俺は熱い日本茶をひと啜りすると素っ頓狂な声を出した。
「あ、霊の存在は一応認めたけどさ、肝心なことを忘れてた」
「何かしら?」
「俺、鈴音に間違いなく斬られたはずだけど」
鈴音はそうね、と答えると荷物から白鞘拵えの刀を取り出し構えた。
そしてゆっくりと鞘走りをして刀を抜き放つと俺に刀身を見せた。
「私たちが持つ刀は霊刀といって人に仇なす霊体を斬って浄化するものなの。その中でも私の刀は少し特殊でね。この刀で斬ると憑依、つまり悪霊に取り憑かれた人間を傷つけずに悪霊だけを取り除けるのよ」
「そう……なの……か?」
「どう。本当かどうか試してみる?」
鈴音は抜き身の刀身を返して刃を見せると悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
それを見た俺は上半身を刀から遠ざけながら全力で頭を振った。
「遠慮しときます」
「因みに恵祐には樹海の浮遊霊五体と別の場所で拾ったモノとで計六体憑けてたわ。完全なる憑依体質ね」
鈴音はたんたんと話していたが内容が重すぎて俺は何も言えなかった。
後編は本日遅くに投稿します。
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