1-02 第二話〜新たな女性
今更ながら、ルビ振り忘れてました。余裕があるとき挿入しておきます。
とっぷりと日が暮れ、上弦の月がか細く樹海を照らしていた。
鈴音は立ち上がると、荷物を背負い込んだ。
「日も落ちたようだし場所移動したいんだけど大丈夫かな?」
鈴音は未だ地面の上に足を伸ばしたまま座っている俺に向かって訊ねる。
「…………」
「ん?」
俺を見つめながら、きょとんとした表情で鈴音は首を傾げる。
正直困った問いかけだが、こうしていても仕方がないので、俺は短髪を掻きながら呟いた。
「え〜あの、鈴音さん。その……足に力が入らなくて」
「立てない? そうね、じゃあ助っ人を呼ぼうか」
「助っ人?」
「ええ、近くに仲間が居るからここに来てもらうわ。それで彼女に恵祐君を背負ってもらうから」
「え! 女性なんですか?」
「そうよ、何か問題あるの?」
「いや、無いけど恥ずかしいし。俺重いですよ」
「体重いくつ?」
「たしか54キロだったかな」
「じゃあ大丈夫よ。米俵より軽いじゃない」
「まあ、そうですけど」
「とにかくこのままでいるよりずっとマシでしょう。連絡入れるわよ」
話を切り上げると、鈴音は胸ポケットからスマートフォンを取り出して、誰かと連絡を取り始めた。
すぐに繋がったらしく相手にこの場所を伝え、来て貰うように告げるとそのまま鈴音はたわいない会話をしていた。
時折冗談でも言っているのか彼女は笑っている。
その姿を横目で眺めると鈴音はさっきまでとは違う雰囲気を出していて、何というか通話中の彼女はかなり幼く見えた。
ふと自分の腕を見ると手当の跡があった。
今まで気付かなかったが、気を失っている間に処置してくれたんだな、と思い鈴音の方を向いた。
彼女は樹にもたれかかりながら通話していた。
何気ない仕草も絵になるなと見つめていたが、声をかけるのが|躊躇われた為、心の中でありがとう、と呟いた。
程なくして通話を終えた鈴音は俺の元に近づくと体調を気遣ってきた。
その気持ちをありがたく受け取りつつ、その場で10分ほど待機していると、がさがさと草木をかき分ける音が背後から聞こえた。
振り返ると木々の向こうから女性がひょっこりと現れた。
「鈴音お疲れ、待ったか?」
「問題ないわ。真矢、今日はこの子を見つけたの」
真矢と呼ばれた成人女性は鈴音に促され一歩前に出た。
彼女はTシャツにデニムズボンといった飾らない格好をしていた。
そして典型的なモデル体型で170センチはあろうかというすらりと長い背丈が印象的だった。
セミロングの赤髪を後ろで束ねているのだが、カンテラに照らされてより深みを増している。
そして彼女も美人顔で整っているが、人懐っこく少し幼さを残した目鼻立ちをしていた。
俺は真矢を見つめながら訪ねた。
「鈴音さん、この方ですか?」
「ええ、彼女は葛樹真矢。私の仲間よ」
「ああ、よろしくな」
「……よろしくお願いします」
気軽に握手を求めてきた真矢に対して俺も自己紹介をしながら手を差し出すと真矢はその手を挙げハイタッチを要求してきた。
戸惑いながらも応じるとそのまま肩に腕を回され、ばんばんと背中を叩かれた。
左脇がとても痛かった。
「何だ? かたっくるしいのは憑いてたせいじゃないのか」
「?」
俺は意味がわからず首を傾げる。
「鈴音、説明してないのか?」
「恵祐君の疲労が激しかったから後でゆっくり話そうと思ったの」
「ふ〜ん。まあ、良いんじゃねえの」
真矢は軽く同意しながら俺にあれこれちょっかいを出してくる。
童顔なのも相まって時折、同級生と接している気分になってくる。
彼女はどうやら気さくな人柄のようだった。
「お前中学生だろ。そんな老けたしゃべりかたすんなよ。枯れたサラリーマンか」
初対面で歯に衣着せぬ物言いに少し面食らったが、そんな素振りを見せずに俺は応対した。
「目上の人にそんな失礼なしゃべり方出来ませんよ」
「目上って……まあそうだけどよ」
真矢は俺の態度に苦笑していた。しかし、直ぐに悪戯を思いついた様な表情に変わり俺に尋ねてきた。
「なあ、恵祐。鈴音の年齢っていくつだと思ってる?」
「えっ!」
促され、俺は隣の鈴音を見上げる。
白いブラウスに濃紺のタイトスカートを着こなした格好は清楚な印象を受ける。
そして大人びた顔つきに意志の強そうな瞳は年上を思わせた。
更にあおりのアングルから眺めるボディラインは、滑らかでありながら女性特有の膨らみが否応なく目に付いてしまう。
カンテラから照射される灯りによって映し出される陰影が彼女のメリハリをより強調していた。
完成された美しさだなと思う。
あまりじろじろ見るのもどうかと思うので意を決して俺は予想した。
「真矢さんよりも若く、20歳くら……あ、いや!」
俺が言葉を紡ぐ前に鈴音の怒気が周りを包み込む。
思わず怯む俺に対し、鈴音は冷笑を見せながら手招きする。
「恵祐君、ちょっとこっちに来て話し合おうか」
「あ〜あ、鈴音の逆鱗に触れやがって。こりゃ死んだな〜」
俺は真矢に説得してもらおうと振り向くが、大笑いしていて役に立たなかった。
すると突然がっしりと後ろから右手首を捕まれた。
背後に鈴音の気配を感じる。
ふふふ、なんて笑いながら、きりきりと手首を極めにかかっているのが恐ろしく怖い。
振り向くことなんてもちろん出来ない。
そのままの体制で命をかけた問答を繰り広げることになる。
そして濃厚な悪夢の3分間をくぐり抜け、ようやく鈴音は和解に応じてくれた。
「すいませんです、はい、申し訳ありません。鈴音さんは17歳の未成年です。綺麗じゃなく可愛いという言葉が似合うお年頃です」
しばらくの間ジト目で睨んでいた鈴音はまあいいわ、と呟くと大きな溜め息を吐いた。
「まったく……、『さん』付けの敬称で不快な気分になったのは初めてだわ。恵祐君、私のことは呼び捨てで良いわよ」
「いや、ふたつとはいえ年上だし」
「あら、恵祐君はもう私のことを鈴音って呼び捨てにしてたわよ」
「え、いつ?」
「それはね、熱い抱擁を交わしていたとき」
「抱擁? お前らそんな仲だったのか?」
鈴音の言葉に真矢はわざとらしく驚いた仕草をして俺の頭をつつく。
驚いて俺は勢いのまま叫んだ。
「違うって、あれは俺がパニックを起こしたからであって、その……不可抗力だ!」
「うん、そっちのしゃべり方のほうが断然良いわよ」
あっさりと俺の地が出て鈴音は満足そうだった。
そこで初めて謀られたことに気付く。
己の行動心理を易々と見抜かれたことに若干たじろぐが、彼女ならありそうだと心のどこかで納得している部分があり、頭を掻いて肩を落とした。
「はぁ〜、これでいいだろ。鈴音も俺を呼び捨てで良いよ」
「わかった」
「恵祐、アタシも呼び捨てで良いからな」
「了解、真矢」
俺が答えると真矢は良し、と言って笑みを見せた。
そんな彼女たちとの相互理解が深まったところで鈴音は立ち上がった。
「さて、そろそろ出発するけど良い? 真矢は恵祐を頼むわね」
「ああ、それじゃあ恵祐、背中に負ぶさりな」
「お、おう」
少し恥ずかしかったが動けないのは事実なので黙って従う。
真矢は俺を背負うと鈴音と共に歩き出した。
真矢と鈴音は軽く話をしながら進んでいた。
心なしか樹海の更に奥深くに向かっているような気がしたが、俺には今何処に居るかさえわからない。
そこまで考えて俺はある疑問が沸き上がっていた。
「鈴音」
「何かしら?」
「ふたりとも何も見ないで歩いているけどGPSでも持っているのか?」
「いいえ、持っているのは地図とコンパスだけよ」
「じゃあ一度地図を広げないとこんな暗闇だし迷わないか?」
「大丈夫よ。真矢が居るから」
話を聞いていた真矢が首を回し俺の方へ呼びかける。
「アタシが案内しているんだから迷うことはないぜ。だから安心して身体を休めてな」
自信のある声で真矢は言い切った。
鈴音も頼りにしているみたいだし、俺も彼女を信じることにした。
「まあ樹海の外に出られるなら問題ないけど」
「もちろん、ちゃんと出られるわよ。でもその前に立ち寄るところがあるからまずはそこへ行くからね」
「こんな樹海にか?」
「ええ、こんな樹海によ。私たちが拠点にしている場所なの。そこで長に会ってもらうわ」
「ふ〜ん。わかった」
俺は拠点と聞いてベースキャンプのようなものを思い浮かべていた。
たぶんそこで休憩を兼ねて俺の保護説明でもするのだろう。
俺はこの森に迷い込んだことをどうやって話そうかとぼんやりと考えていた。
闇に沈む樹海の中を俺たちはカンテラで照らしながら進んでいく。
――――。
一瞬、視界の隅の黒い影が動いたような気がした。
何気なく振り返る。
そこには――――何の変化もなかった。
奇妙に思ったがカンテラの炎に揺られる影を動いたモノと見間違えたのだろうと思って前を向く。
――――――――。
「っ!」
ふいに影を生やした大木が気になり再び振り向く。
何てことのないツタの垂れた樹木がそこにあった。
「どうした?」
真矢が呼びかける。
「いや、何でもない」
嫌な感じを振り払いながら俺は視線を戻す。
誰かに見られている感じがした。
こんな場所で他の視線を感じるなんてあり得ない。うなじをさすり気のせいだと思い意識を紛らわす。
しかし、この樹海にはもうひとつ負のいわれがあることを思い出した。
死霊の樹海。
俺が今感じているのは樹海を彷徨う死のうとするモノの視線なのか、それともこの世ならざるモノの視線なのか。
そこまで考えて背筋にぞくっと悪寒が走った。そして――。
「くしゅん」
「おいおい、頭の後ろでくしゃみするなよ」
「ごめん、でも何だか寒くて」
初秋に近いとは言え残暑厳しい街の暮らしと裏腹に樹海は暗く肌寒い。
しかしこの肌寒さは樹海のせいというより地面から冷気が沸き上がっている感じだった。
そんなとき真矢が告げた。
「鈴音、今日は闇が濃い。走るぞ」
「判ったわ。恵祐も良いわね」
「え、良いけどって、うわぁ!」
カンテラの明かりが消え、辺りが暗くなる。
闇に包まれた樹海の中を鈴音と真矢は走っていく。
その足取りに淀みはなかった。
俺は微かに驚いた。
密集する木々、滑る岩肌、でこぼこな地面。
前後左右の見通しが効かなく動くことさえままならない暗黒の樹海を風を払いながら疾走する二人。
俺の目には深みのある黒色の世界にしか思えなかったが、二人には別の何かが見えているらしかった。
今、目の前で起こっている現象が非現実すぎて思考はかなり麻痺していた。
だからなのか俺は未知なるものへの驚きや不安をあまり感じていなかった。
クッションの効いたリズム良い振動と肌を撫でる風が人肌の温かさと相まって何だか心地よかった。
不意に緊張が解けたのか、突然押し寄せる眠気。
思わずまぶたが重くのし掛かり頭が垂れ込む。
限界だった。
本当は今すぐにでも問い質したいが、後できちんと説明してくれると言うし何故か急いでいるようだ。
目的地に着くまで今はただ休もうと思い、俺は真矢の背中の温かさに身を委ねたのだった――――。
不定期にちょぼちょぼ投稿していきます。