02 少しだけ落ち着いて
リーシェとホムラの突然の出会いから三日が経った。しかし、リーシェの生活は平和そのものだった。
これまでの生活との違いといえるのは、リーシェの周りを楽しげに飛びまわるホムラの存在だけである。そんなホムラは今、リーシェのお菓子に夢中だった。
『リーシェ、このさくさくクッキーを食べたいですわ!食べてもかまいませんわね!』
ホムラは弾けるような笑みを浮かべ、リーシェに問いかける。今すぐにでも噛りつきたいと、ホムラの瞳は雄弁に語っていた。リーシェが小さく頷くと、ホムラはその小さな口を満杯にした。
(一生懸命に食べていてかわいいわ)
リーシェは自然と頬がゆるむのを感じていた。リーシェにとってホムラと過ごす時間は楽しいものであった。家族とあまり一緒に過ごすことができないことをリーシェは寂しく感じていた。
リーシェは発育の遅い子供だった。
兄ラルフや他の子供と比べてなかなか成長しない小さな体。一人で歩くこともできず言葉もうまく身につかないリーシェは家族にとって心配の種だった。
母アルミーナの献身のおかげで、リーシェは少しづつ遅れを取り戻していった。しかし、二年前、アルミーナは流行り病にかかって亡くなった。父ルドルフは流行り病への対応にかかりきりとなり、兄ラルフは侯爵家の跡取り教育のために、リーシェと過ごす時間は少なくなっていった。
リーシェにとってアルミーナが自分の傍にいることは当たり前のことだった。アルミーナが病に伏せたと言われて急に引き離されたと思えば、次には亡くなったと伝えられる。お父様とお兄様ともあまり過ごせずにいた幼いリーシェにとっては、信じられないことの連続だった。
寂しさに耐えらえずリーシェは何度も泣きわめいた。そんなリーシェを心配してラルフが面倒を見るようになり、次いでルドルフも流行り病の終息に伴い、リーシェと過ごす時間を増やすようになる。そして、ようやくリーシェは笑うようになった。
アルミーナの死をきっかけにリーシェは変わった。
リーシェは寂しさを嫌うようになった。
リーシェは愛されたいと思うようになった。
リーシェは傍にいて欲しいと願うようになった。
ホムラはこの三日間ずっとリーシェの傍にいた。リーシェに満面の笑みを向けてくれた。そんなホムラにリーシェの寂しさは埋められていた。アルミーナと過ごしていたころの温かな気持ちを思い出していた。
『リーシェ、こっちのほろほろクッキーも食べますわよ!――柔らかくて美味しいですわ!美味しいですわ!』
ホムラと一緒に過ごすことで、リーシェはホムラについて分かったことがいくつもある。
一つ目はホムラの存在を知覚できるのがリーシェだけであることだ。
ホムラ常にリーシェの周りを飛びまわり、リーシェに声をかけてくる。侯爵令嬢であるリーシェの傍には、多くのメイドが仕えている。だが、ホムラの存在に気づいたメイドは一人もいない。
二つ目はリーシェの考えはホムラに話しかけることで伝わることだ。
リーシェが心で考えていることはホムラには伝わらない。ホムラと会話をするためには、声を出す必要がある。リーシェがホムラに話しかける光景は独り言をつぶやいているようにしか見えないため、メイドにぎょっとした目で見られて恥ずかしかった。
三つ目はホムラがお菓子好きであることだ。
ホムラは何にでも興味を持つようで、リーシェの一挙一動に注目している。その中でもお菓子を美味しそうに食べた表情にお気に召したようだ。お菓子を口にしたホムラは無我夢中で食べ続けた。ホムラからのお菓子の催促はまだ止みそうにない。
(私のパートナーというのはどういう意味だったのかな?)
現時点でリーシェがホムラのことで理解しているのは三つだけだ。
分からないことの方が多くある。それでもリーシェにとって大切なことはホムラが傍にいてくれることだけだ。リーシェが寂しさを感じないでいられる――それだけでリーシェは満足していた。
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『リーシェはお勉強ばかりですわね……。お外では遊びませんの?』
ホムラとの出会いから三か月が過ぎたころ、ホムラは不満そうにリーシェに問いかけた。
リーシェは侯爵令嬢としての基礎教養を身につけるべく、家庭教師からのレッスンに励む日々を送っていた。
「どうしたの、ホムラ?退屈しているの?」
『退屈ですわ!リーシェはお勉強ばかりですわ!お外で遊びたいですわ!』
ホムラはそう言い、リーシェの目の前で仁王立ちした。
リーシェの体は丈夫ではないため、お医者様から無理せずに少しづつ慣らすことを勧められていた。リーシェ自身もそのことは十分に理解していたため、体調の良い日に限り外出していた。
自然、リーシェには室内で行える趣味が多くなった。読書や刺繍をすることが多く、アウトドア派のホムラにとって大いに不満だった。
リーシェとお医者様との定期健診の様子ものぞいているホムラが、リーシェの体のことに気づいていないわけではない。それでも、我慢できなくなりワガママを言ったのだ。
ホムラのワガママは主にお菓子に関するものばかりだったので、リーシェは困惑した。
「……ごめんなさい。こんな体でなかったらホムラと外で遊べるのに……」
『リーシェを責めているわけではないですわ!…………リーシェが良くなっているのは分かりますもの。ホムラのワガママですわ……』
いつになく眉尻を下げるホムラの様子にリーシェは申し訳ない気持ちで一杯になった。太陽のように輝いていたホムラを曇らせてしまったことに、胸が締めつけられるようだった。
(大切な友人のホムラにこんな顔をさせるなんて……嫌だな)
ホムラはリーシェのはじめての友人であった。家から出かけたことのないリーシェの世界は、家の中で完結していた。家族を除けば、身分差のある従者たちしかおらず、リーシェの友人にはなりえなかった。だからこそ、身分を気にせず関われるホムラはリーシェの特別だ。
「……ホムラは友達っているの?」
ポツリとリーシェは言った。
『お友達ですの?……おりますわ!――そうですわ!お友達を呼びましょう!』
ホムラは急に顔を上げて、声を張り上げた。ホムラの眼にも力がこもり、所狭しと飛びまわり始めた。
『お友達を紹介しますわ!紹介しますわ!リーシェとも仲良くなれますわ!』
「私も友達になれるかな?」
『当然ですわ!当然ですわ!リーシェの新しいパートナーですわ!』
ホムラは腰に手を当てて、自信満々に言った。