VR
真っ白な球体の底部は、その一部がエレベーターの機能を有していた。表面から地上まで細長い半透明のチューブが降りてきて、それが接地すると、今度はそのチューブの中を通って白い円盤状の台座が降りてきた。
「よし。これに乗るのだ」
そうして台座が地面に着陸し、チューブの表面が音も無く左右に割り開かれるのを見た後、シュトゥルカーがその台座に足を踏み入れる。さして驚いた様子もなく、平然とそのチューブの中に体を入れていく。
「本当に大丈夫なのかよ」
グリディアからあまり外に出たことのないベーゼスが、渋面を浮かべて口を開く。蛇人間はそれを聞いて苦笑し、「そんなにビビるな」と言い返す。
「前にも言ったが、これはアリューレの保有する施設だ。罠なんてものはないし、中に敵もいない。普通に使って大丈夫だ」
「だ、そうですよ」
メリエがそれに反応し、シュトゥルカーに続いて台座の上に乗る。ベイルは少し躊躇った後、腹を括ってメリエの後に続く。
「お前はどうする? 留守番か?」
「いかねえとは言ってねえだろ」
そしてベーゼスもまた、ベイルの発破に力強く言い返してから、負けじと大股で台座に乗る。四人が台座に収まるとチューブが閉まり、台座が音もなく浮遊を始めていく。
「これ、どんな原理で動いてるんだ?」
「魔法の力だろ」
「日本人が独自に魔力を研究して、自力で作り出したものらしい。さらにその上から不可視化の魔法をかけて、普通の人間には見えないようにしていたそうだ」
台座のエレベーターが上昇を続ける間、ベイルからの問いにベーゼスとシュトゥルカーがそれぞれ答える。そんな二人の返答を聞いたベイルは、すぐに「なんでこんなもの作ったんだ?」と続けて尋ねる。
「そんなの知らねえよ」
ベーゼスが口を尖らせて即答する。一方のシュトゥルカーは、何かを思い出そうとするかのように遠くを見つめ、その後おもむろに口を開いた。
「他社とのコミュニケーションを円滑に行うための実験施設、だったかな。連邦の調査班がこれを見つけて中に入った時、その部屋の一つに多くの資料が残されていて、その一つにそう書かれていた気がする」
「詳しいんですね。前にここに入ったことが?」
メリエがシュトゥルカーに尋ねる。蛇人間は一つ頷き、彼女に顔を向けながら答える。
「これを見つけた調査班に私も加わっていたからな。中で散乱していた資料を編纂したのも私なんだぞ」
「なるほど、詳しいわけだ」
嬉しい偶然である。未知の領域に足を踏み入れるにあたって、その内部を熟知している者が一緒にいるというのは非常に心強い。ベイル達の顔に一筋の光が射しこみ、シュトゥルカーは彼らの期待を肌で感じて「あまり期待してくれるなよ」と念を押す。この蛇人間は繊細な男で、プレッシャーには弱い方であった。
台座が停止したのは、蛇人間がそう言い返した直後だった。
台座を降りて割り開かれたチューブを抜け、エレベータールームを出て細長い通路に出る。エレベータールームも細長い通路も、球体の表面と同じように真っ白に塗り潰されていた。
「こっちだ」
その通路の中を、シュトゥルカーは迷いのない足取りで進んでいく、通路の両側には規則的にドアが並んでおり、ドアの上部には小型の電光掲示板が貼りつけられていた。
その掲示板の大半が「利用中」と表示していた。何のことだかさっぱりわからなかった。
「なんなんだよここ」
「少し待て。実物を見せながら説明するから」
戸惑うベイルにシュトゥルカーが答える。その後シュトゥルカーは三人を引き連れて通路をしばらく進み、やがて一つのドアの前で立ち止まった。
何も知らないベイル達がそのドアに注目する。ドアの上部にある掲示板には「空室」の文字が表示されていた。
「ここにしよう」
シュトゥルカーが呟き、ドアノブに手をかける。鍵はかかっておらず、シュトゥルカーは苦も無くそのドアを押し開いた。
ついて来い。シュトゥルカーがそう言いながら室内に入る。ベイル達も遅れまいとそれに続く。
中はやはり真っ白だった。正八角形をしただだっ広い部屋で、天井に据えられた白色灯によって室内は程よい明るさが保たれていた。壁にはどうやって使うかもわからない機械やら基盤めいた物体やらが付けられており、それらに混じって付属していたメーターやグラフが小刻みに揺れ動いていた。
そして最後に入ったメリエがドアを閉めると、そのドアの中からガチャリと音が響いた。
「心配いらない。オートロックがかかったんだ」
先頭にいたシュトゥルカーがフォローする。それから彼は続けて「こっちを見てくれ」と三人に促した。
「今から我々はこの中に入る。心配いらない。ちょっと眠くなるだけだ」
そう言ってシュトゥルカーが指さしたのは、楕円形をした細長い物体だった。そのカプセル状の代物の中には、人間がゆったりくつろげるように折れ曲がったシートが置かれ、上半分の透明なカバーは上下に開閉するようになっていた。
そんな同じ形をしたブツが、室内に八つ、規則正しく放射状に並べられていた。
「これ、本当になんなんですか?」
不安になったメリエが問いかける。壁沿いに据え付けられたスイッチの一つを押し、カプセル状の物体のカバー部分を一斉に押し上げながら、シュトゥルカーがそれに答える。
「これが本当の入口だ」
「は?」
「これを使った先に、あの種族の坩堝が待っているのだ。さ、中に入って」
「そんな説明で入れるかよ」
ベーゼスが難色を示す。メリエもそれに同意するように、うんうんと何度も頷く。
しかしその中で、ベイルは臆することなくカプセルの中に身を乗り上げていた。
「何してんだよお前」
それに気づいたベーゼスが声を上げる。ベイルは何事もなくカプセル内のシートに背を預け、くつろいだ姿勢を取りながらそれに答えた。
「大丈夫だ。シュトゥルカーの言う通り、これは無害な代物だよ」
「なんでそう言い切れるんだよ。お前これが何か知ってるのか?」
「ああ。仮想現実ってやつだろ。アメリカで同じものを見たことがある」
「あ?」
言葉の意味がわからなかった。しかし当のベイルはそれだけ言って、カプセルの中で目を瞑った。
「彼はその気みたいだな」
それを見たシュトゥルカーが呟く。それから彼はなおも外で立ち尽くすベーゼスとメリエを見ながら、続けて口を開く。
「さて、そちらはどうする? もしやらないというのであれば、我々だけで向こうにお邪魔するが」
「それは……」
ベーゼスが複雑な表情を見せる。ここまで言われて引き下がるのは、正直言って彼女のプライドが許さなかった。
「……わかったよ。行きゃいいんだろ行きゃ」
そして彼女は、そんな自身のプライドに身を任せることにした。
ベイル達はこうして、全員がカプセルの中で横になった。中に寝たシュトゥルカーが内部のスイッチを押すと、次の瞬間、ベイル達は目の前が急激に明るくなるのを感じた。
「なん――!」
唐突な展開にメリエとベーゼスは揃って面食らった。しかし驚きに声を上げる間もなく、彼女達の意識は遠のいていった。カプセル上部のカバー部分が白く発光したことにも気づかなかった。ベイルとシュトゥルカーも同様に意識を失い、彼らの意識は現世を超えて遥か遠くへ飛翔していった。
「……ん」
意識が遠のいて後、段々と目の前の光が和らいでいく。眩しさが消えていくのを感じたベーゼスがゆっくりと目を開けていく。
そして目の前にある光景を見て絶句する。
「な」
眼前に広がっていたのは、一面の花畑だった。よく見る花もあれば、見たことも無い花もあった。そんな多種多様な花々が、三百六十度、地平線の彼方まで延々と咲き誇っていたのであった。
自分はそれまで、宙に浮く球体の中にいたはずだ。カプセルの中で横になったはずだ。ベーゼスは意味が分からず、軽く錯乱した。
「なんだよ、これ。どうなってんだよ」
「落ち着け。何もおかしなことは起きてない。いたって正常だ」
そんな時、後ろから声がした。ベーゼスが振り返ってみると、そこには自分と違って平然と立ち尽くすシュトゥルカーとベイルの姿があった。メリエはそんな二人の横で、未だ呑気にぐうすか寝息を立てていた。
「ここはどこだ? アタシらどうなったんだ?」
「意識だけが別の世界に飛んだんだ。あのカプセルは我々の心を肉体から引き離し、心をこの別世界に連れていくための装置だったのだ」
シュトゥルカーが返答する。ベーゼスはわかったようなわからないような曖昧な表情を浮かべ、蛇人間はそれを見て苦笑しながら彼女に続けて言った。
「まあとにかく、我々はまだ狂ってない。我々は正規の方法で、この球体の持つ本当の領域に足を踏み入れたのだ。アリューレの他の種族も、皆同じ方法でここにやってきている」
「本当の領域? ここは何て名前の世界なんだ?」
辺りを見回しながらベーゼスが問いかける。シュトゥルカーは自分達の前方に白いドアが浮き上がっていくのを見て取りながら、その機械に疎い半竜人に答えた。
「仮想現実。バーチャルリアリティだ」
「……なんだそれ」
「VRと言ってもいいかな」
「意味わかんねえよ」
機械に疎い半竜人は、その言葉を聞いてもピンとくることは無かった。




