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埼京

 ベイル達はさっそく、辺りを巡回していた兵士の一人を捕まえた。彼らに声をかけられた兵士はすぐに足を止め、「なんでしょうか」と事務的な返事を返した。

 

「失敬。ちょっとここら辺の道を教えてほしいんだが」


 そんな兵士に対して、ベイルが例のペンデュラムを見せながら尋ねる。兵士はそれを受けて、まず最初に見知らぬ男が見せてきたペンデュラムに意識を向ける。

 日光を浴びて黒く輝く意志が視界に入る。直後、兵士の態度が一変した。

 

「し、失礼しました!」


 兵士は両足を揃え、背筋を伸ばし、直立不動の体勢を取った。そして息つく間もなく敬礼をし、よく通る声でベイル達に言った。

 

「セルセウス様の御使い様でいらっしゃいますね。そうと気づかずに無礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ありませんでした」

「い、いや、そこまで偏屈にならなくても」

「私に何の御用でございましょうか? どうぞなんなりとお申し付けください」

「ええ……」


 突然恭しくなった兵士を見て、ベイルは困惑した。そのベイルの横にいたベーゼスが、彼の脇腹を肘でつつきながら声をかける。

 

「前に聞いたろ? アタシらの世界じゃ、セルセウスは救世主みたいなやつなんだ。お前、自分が思ってるよりずっと強力な権力を持ってるんだぜ」

「俺が?」


 驚いたベイルがベーゼスを見返す。半竜人は意地の悪い笑みを浮かべていた。声をかけられた兵士は直立で敬礼したまま微動だにせず、遠くにいたメリエは暇そうにあくびをした。

 このままで埒が明かない。ベイルはその件について考えるのを保留し、目の前のことに意識を集中した。

 

「とりあえず君、楽にしていいよ。取って食ったりはしないから」

「は、はあ、そうでありますか」

「そうそう。敬礼もしなくていいし、気を張る必要もない。ただちょっと、質問に答えてもらいたいんだ」

「わ、わかりました」


 ベイルにそう言われた兵士は、しかしそれでもまだぎこちなさを残しながら、その後のベイルの質問に答えていった。緊張していたからか、時々呂律が回らなくなったりもしたが、それでもその兵士はしっかりとベイルの要求に応じた。どこに何があって、どう行けばいいのか。兵士は右も左もわからないベイルに、帝都の歩き方を懇切丁寧に教えた。

 

「ここに行けばレストランがあります。こことここにホテルがあって、ここに服飾店が。武器や防具が欲しければ、ここに顔を出してみてください。仕事を引き受けたいときは、この酒場に寄るのが一番ですね」

「他にも店はあるのか?」

「ええ、もちろん。ここでは説明しきれないほどに大量にありますよ。そこはご自分で探してみるのが一番かと」

「わかった。色々回ってみるよ」

 

 おまけに彼は、ベイル達に帝都一帯を記した地図までプレゼントしてきた。最初ベイルは受け取るのを躊躇ったが、それでも兵士の熱意とベーゼスの横槍に折れてそれをもらうことになった。手に入って助かるのは事実だが、権力を盾にやりたい放題やっているような気がして、ベイルは少し嫌な気分になった。

 しかし彼は、それを顔には出さなかった。兵士の好意を素直に受け取り、その後も黙って話を聞いていた。

 

「あん?」


 ベーゼスがそれに気づいたのは、ベイルが恐縮しながら地図を受け取ったその時だった。彼女はその幾重にも折り重なって響く足音に気付き、その音のする方、大通りに視線を向けた。

 そこには今彼らが話している兵士よりずっと立派な身なりをした兵士達が、整然と列をなして行進していた。数は全部で百人ほどであり、その全員が同じ形をした黒い鎧を纏い、同じ形をした長剣を携えていた。四隅の位置にいた兵士は旗を両手で持ち上げ、帝国の紋章を刻んだその旗は風を受けて大きくたなびいていた。

 そしてそこを行く百人単位のグループは、それ一つではなかった。同じ規模のいくつものグループが、一定間隔を開けて次々と姿を現してきた。彼らはみな右から左へ、一糸乱れぬ動きで行進を続けていた。

 

「あれは今から何しに行くんだ?」


 ベーゼスが兵士に問いかける。兵士もそれに気づいてそちらに視線を向け、そしてすぐに「ああ」と理解したような声を上げてから口を開いた。

 

「あれは討伐軍ですよ。ブラックフォーチュン撃滅作戦の主力部隊です。今から帝都を離れて、前線拠点に向かうところなんです」

「前線拠点? それはどこだ?」

「ここからずっと北に行ったところです。埼玉の大宮って言ったかな? そこに拠点を作って、そこから敵拠点を攻撃する段取りになってるんです」


 兵士は淀みなくそう答えた。なぜそんなに詳しいのかとベーゼスが問うと、兵士は「随分前からアナウンスされてたからです」と答えた。

 

「帝国軍はこの作戦を大々的に公表したんですよ。我々はこの日にこんなことをするから、腕に自慢のある奴はぜひ参加してくれって感じで。もちろん本当はもっと詳しい話とかしてましたよ? 作戦概要を書いたパンフレットとかも配られてましたし」

「極秘作戦とかじゃないのか」

「これは正義の戦いであり、後ろめたいものは何もない。だから一般にも公表する。それが軍上層部の見解らしいです」


 兵士が肩を竦めて答える。ベイルは納得し、隣にいた半竜人が兵士に尋ねる。


「つまりは作戦のことをおおっぴらに宣伝して、傭兵とか冒険者とかをかき集めたのか」

「そんな感じです。有志の協力者を請うってやつです」

「人数不足なのか? それとも万全を期したいだけなのか?」

「その有志の協力者っていうのは、まだ募集してるのか?」


 考え込むベイルの横で、ベイルが思い出したように尋ねる。問われた兵士は暫し黙考し、すぐに頭を上げてそれに答えた。

 

「帝都じゃもう打ち切ってると思いますよ。作戦司令部はもうみんな前線拠点に移っちゃってますからね」

「直接埼玉に行けばどうにかなるか?」

「たぶんどうにかなると思います。今回の作戦の指揮を執ってる人、かなり大雑把なことで有名ですから」


 正確には細かいことは気にしない人である。兵士はそう言い直した。それから兵士はベイル達を見て、「ここには志願しに来たんですか?」と尋ねた。

 ベイルは「そうだ」と即答した。ベーゼスもつられて頷いた。兵士は二人を見ながら言った。

 

「なら、埼玉に行ってみるのが一番ですかね。もうここでの募集は終わっちゃってる感じですから」

「そうか。ありがとう。助かったよ。そうしてみる」

「ところで、この作戦のトップって誰なんだ? せっかくだし教えてくれよ」


 今度はベーゼスが尋ねる。兵士は彼女の方を向き、嫌な顔一つせずにそれに答えた。

 

「トーレン将軍です。豪放磊落で部下思いな方です。きっと気に入ると思いますよ」

「わかった。じゃあそのトーレンって人に会ってみるよ」


 ベイルはそういって、兵士に別れを告げた。兵士は再度敬礼し、彼らを見送った。それからベイルとベーゼスはすぐに馬車に戻り、暇を持て余していたメリエにこれからの動きを説明した。

 

「埼玉ですか」

「ああ。そこに向かうことになった。今から行けるか?」

「もちろん可能ですよ。でも東京観光はお預けになってしまいましたね」

「また後で行けばいいさ。さ、出発だ」


 ベイルの頼みをメリエは快諾した。それからベイル達は馬車に乗り込み、メリエは埼玉に向かって馬を走らせた。

 しかしどこに何があるのかを聞いていただけに、ここまできて東京観光が出来ないのは、ベイルにとって心残りではあった。

 

 

 

 

「東京に報告はしたのか! 増援はまだか!」

 

 東京から埼玉へはスムーズに行けた。道はよく整備されており、通行を邪魔するものも無かった。道中には田園風景が広がり、穏やかな空気が流れていた。


「敵第六波接近! 来ます!」

「構えろ! 怯むな!」


 唯一気になったのは、埼玉に向かう道中で遭遇した人の群れだった。彼らはベイル達とは逆に東京を目指して、一列になって道の端をとぼとぼ歩いていた。彼らは見るからに憔悴し、また恐怖の感情を顔に貼りつけていた。大量の荷物を背負った者もいれば、着のみ着のままでここまで来たような者もいた。

 避難民か? 反対車線を走りながらそれらを横目で見て、ベイルは無意識のうちにそう思った。結論から言うと、彼の推測は当たっていた。

 

「わざわざここに来るなんて、酔狂な奴もいたもんだ。私はメッサー・トーレン。今回のブラックフォーチュン討伐作戦の指揮を任されている。お前達はここに何をしに来た? 観光か? それとも自殺志願者か?」

「将軍! 最終防衛ライン突破されます! もうすぐこっちに来る!」


 旧大宮区。遥か昔に生物が死に絶え、文明の残骸だけが残る荒れ地の一角。その放置された瓦礫の山の間に築かれた前線拠点――野営地とも呼べるテントの群れ――にある中央司令部の周りから、悲鳴と怒号が響き渡る。あちこちから爆発音が轟き、至る所で兵士と怪人が火花を散らせている。

 状況は芳しくなかった。怪人は数で圧倒し、物量に物を言わせて兵士達を倒していっていた。

 

「まあいい。お前達、戦う気はあるか? あるなら手を貸してほしい。帝都から増援が来るまで、奴らを食い止めるのだ」


 メッサー将軍が力強く言い放つ。既に目と鼻の先で爆発が起きている。獣の遠吠えがテントの布地のすぐ向こうから何重にも響き渡る。

 逆三角形の上半身を持つ、筋骨隆々の将軍が面白そうに目を光らせる。

 ベイル達はもう断れる状況にはいなかった。

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