これからの動向
メリエに完全敗北を喫した後、ベイルはそこにいた下っ端団員から手当てを受けつつ、シャオリンに今後自分が取るべき行動について話を聞いていた。なおこの時、彼らはまだ白薔薇騎士団の地下訓練場におり、彼らの周りでは他の団員達がいつも通り訓練に勤しんでいた。
先ほど行われていた模擬戦に感化されてか、彼らの訓練はいつも以上に熱がこもっていた。。
「まずは東京に向かってちょうだい。今現在、グリディア帝国主導で、ブラックフォーチュンの本拠地を殲滅する大規模作戦が計画されているの。あなたは帝国首都の東京に向かって、その作戦に参加してほしいの」
シャオリンは彼に対してそう述べた。それを聞いたベイルは怪訝な表情を浮かべた。
「余所者がいきなり飛び込み参加とか出来るのか?」
「もちろん。帝国はこの作戦にかなり力を入れているみたいでね。正規軍を集めるだけじゃなくて、冒険者や傭兵も広く募集しているのよ。志願兵として使うためにね」
「そこに参加しろってことか」
「そういうこと」
納得したベイルに、シャオリンは頷いて答える。その横で、帝国公認道場出身者のグラズが兄貴分のゾリに話しかけていた。
「兄貴、知ってたの?」
「ああ。ずっと前に計画要綱をもらってるぜ」
「なんで教えてくれなかったんだよ」
「聞かれなかったからな」
ゾリはきっぱり言ってのけた。牛頭の大男はそれを聞いて、不満げに唸り声を上げた。
ゾリはそれを無視して、腕に包帯を巻き終えたベイルに話しかける。
「そういうわけなら、どうだ? せっかくだし、俺が紹介状を書いてやろうか? お前らは知らんだろうが、小田原コロシアムのゾリっていやあ、帝国じゃちょっとした有名人なんだぜ。それなりに顔も利くから、そいつの紹介状を見せて回りゃあ動きやすくなるはずだぜ」
「申し訳ないけど、そこまでしてもらう必要はないわ」
しかしそれにベイルが答える前に、シャオリンが横から割って入る。そして彼女は懐をまさぐり、そこから取り出した物をベイルに手渡しながら口を開く。
それは黒曜石で作られた、ひし形のペンデュラムだった。ペンデュラムの一端からは紐が二本付けられており、その紐は金の糸で編み込まれていた。
「これは?」
「使徒の証石。死神セルセウスが使徒と認めた者にのみ与えるとされる、特別なアイテムよ」
「使えるのか?」
「ええ。帝国の中じゃ、セルセウスは救世主のような扱いを受けてるからね。しかも彼らはセルセウスが実在して、自分達と同じ世界に生きていることも知っている。だからそれを見せれば、大半の場所を素通りできる」
「死神が人間と一緒に暮らしてるのか。不思議な世界だな」
今更か。そう思いながら、ベイルはペンデュラムをまじまじ見つめた。それから彼は紐を首の後ろに回し、首筋で先端部分を固く結んだ。そうして証石を装備した後、ベイルは続けてゾリの方を見た。
「それから、やっぱり紹介状も欲しいな。万が一ってこともありそうだし」
「そうか。じゃあちょっと待ってろ。ささっと書いてやるからよ」
「ねえゾリ。それって時間かかる?」
そこで妖精のミチがゾリに声をかける。ゾリは妖精の方を向き、少し考えてから「そうだな」と肯定した。
「いろいろ形式とかあるからな。綺麗に清書もしないといけないし。それなりに時間はかかると思うぜ」
「じゃあその間さ、ベイルを借りてもいいかな?」
「は?」
ゾリが怪訝な表情を見せる。周りの面々も同じような顔で妖精を見る。ミチは怯むことなく言葉を続けた。
「さっきベイルが使ってた、ボーンソーって言ったっけ? それをちょっと調べてみたくなってね。今後の改造の参考になるかもしれないし」
「バラしたりしないだろうな?」
「大丈夫よ。そんなことしないわ。本当にちょっとだけ確認してみるだけ。ね、いいでしょ?」
そう言って詰め寄って来るミチの目は輝いていた。ベイルはどうにも断り切れない気配を感じていた。
「じゃあ、ちょっとならいいけど……」
「お待ちを」
しかしベイルがそれに同意しようとした瞬間、白薔薇騎士団団長のオベットが声を上げる。関係者全員が彼女を見据え、一方でその幼げな少女は、彼らの視線を受けながら言った。
「もし良ければ、我々騎士団の方でもベイル様をお借りしたいのですが」
唐突な宣言だった。当事者のベイルは一番に驚いた。ミチとオベットは目線を交錯させ、互いに牽制するように睨みあった。
すると今度は、ゾリが必死な口調で言い放った。
「おい待て! じゃあ俺のところにもベイル持ってこい! お前らだけでそいつ独占するんじゃねえ!」
「なんだよいきなり」
横から飛んできた言葉に、ベイルは再度驚愕させられた。一方でそれぞれ宣言をした三派閥の代表者たちは、ベイルそっちのけで互いを睨み合っていた。ベイルは渡すものか。そう言わんばかりに、三人は敵意を剥き出しにしていた。
シャオリンはそれを見て、愉快そうに笑みをこぼした。それから彼女は件の三人を無視し、混乱するベイルに近づいて彼に言った。
「それだけあなたが期待されているのよ」
「どういう意味だよ?」
「あなたは謂わば、磨けば光るダイヤの原石。自分の所に引き入れて修行させれば、必ずや切り札となれるだけのポテンシャルを秘めている。だから皆欲しがってるのよ」
「モテモテだな」
ベーゼスが他人事のように茶化す。ベイルは不愉快そうにそのベーゼスを睨むが、当の半竜人はそっぽを向いて口笛を吹く。どこまでも他人事のようであった。シャオリンはそんな二人の反応を見て、さらに愉快そうに笑った。
「本当、あなた好かれてるわね」
「こっちとしちゃ、あまり嬉しくないんだがな」
「でも人脈って結構大事よ。私も外の世界で学者やってた時、結局ものを言うのはコネだって痛感したし」
「そうか……ところで、お前は元の世界に戻る気は無いのか?」
日本の外、「自分達が元いた世界」の話が話題に上ったところで、思い出したようにベイルが問いかける。シャオリンはいきなりその話題を振られ、あからさまに狼狽した。
「突然ね」
「いや、さっきお前が外の話をしたから、ついでに聞いてみたくなったんだよ。駄目だったか?」
「別に駄目じゃないわ。でも、そうね……」
シャオリンはそう言って、考え込む素振りを見せた。オベットとミチとゾリはベイルの占有権を巡って口論を始めていた。メリエとベーゼスが彼女に注目した。
それからシャオリンはまず、喧々諤々と口喧嘩をする例の三人を視界の隅に捉え、それから肩を落としてベイルに答えた。
「こっちで死神のお使いしてるほうがずっと楽しいわね」
あなたはどう? シャオリンが問い返す。ベーゼスとメリエの視線が即座にベイルに移る。
ベイルはすまし顔で即答した。
「まだ帰る気は無いかな」
「理由は?」
「色々と気になることがあるし、それに」
そこまで言ってから、ベイルがおもむろに右手のボーンソーを起動させる。刃を纏う骨板をゆっくり回転させ、それを見つめながらベイルが口を開く。
「借りを返したい奴もいるんでね」
「ここを嗅ぎつけられたようです」
闇の中で声が響く。その声はまだ若く、変声期を迎える前の少年のようなハイトーンボイスであった。
「帝国の人達も、どうやら馬鹿ではないようで」
「そうか。厄介なことになったな」
その少年の声に応えるように、闇からまた別の声が聞こえてくる。そちらも少年の声であったが、こちらの方はそれなりに成熟したような落ち着きを持っていた。
「では、どうする? 何かいい考えはないか?」
大人びた少年の声が響き渡る。すると間髪を入れずに、低いトーンをした少女の声がどこからか返ってきた。
「ここを引き払う以外に方法は無いかと思います」
「それしか無いのか?」
「無いですね。本気になった帝国軍と事を構えるのは無謀です。自殺行為と言ってもいいでしょう」
現実を突き付けられ、闇は途端に静かになった。少女は落ち着き払った口調で話を続けた。
「それに我々の本当の敵は帝国ではありません。ここは被害を抑えるためにも、撤退するべきかと」
「なんだと?」
そこまで来て、また別の少年の声がそれに反応する。粗野な印象を与える濁声だった。
「尻尾巻いて逃げろってのかよ? 俺はそんなのゴメンだぜ」
「今の私達だけで帝国全軍を相手取るのは不可能よ。ここは逃げるべきだわ」
「うるせえ!」
少女の声を濁声が一喝する。少女は怯えたように「ひっ」と小さな声を漏らし、それきり少女の声は聞こえなくなった。
闇の中で濁声だけが朗々と響く。
「俺は絶対に嫌だぞ! 戦いもしないで逃げるなんざお断りだ! 俺だけでもやるぞ!」
「止めておけ。俺達の力で帝国全てを相手取るのは不可能だ。ここは抑えろ」
「いいや、やるね。俺はここから動かねえからな」
大人びた少年の声すらも、濁声を止めることは出来なかった。どこからかため息が聞こえ、濁声はそれを威圧するように鼻を鳴らした。
再び闇が静寂に包まれる。それから暫くして、大人びた少年の声が聞こえてくる。
「……好きにしろ」
「ジロウ!」
ハイトーンの叫びが上がる。濁声が愉快そうに笑い、金属製の何かを引きずる重々しい音が続けて響く。
「じゃあ、好きにやらせてもらうぜ」
濁声が吐き捨てる。それっきり、その声は聞こえなくなった。
「……」
三度の静寂。どこからか舌打ちが聞こえてくる。
それきり、誰も静けさを破ろうとはしなかった。




