死の神の使徒
フードを脱いだシャオリンはまず最初に、自分もベイルと同じく一度死んだ身であることを告白した。
「私もあなたと同じで、もう心臓は止まってるのよ。体温も冷たいまま、血液も通っていない。ゾンビって言えばいいかしら」
はっとしてベイルが胸元に手を当てる。本来感じるべき鼓動は、そこからは微塵も感じられなかった。
頭の中が真っ白になる。しかし血の気が引く気配も無ければ、汗が流れたりもしなかった。それが余計に、彼に「現実」を分からせることとなった。
そんなベイルにシャオリンが告げる。
「あの時、私は一度死んだ。船の上で矢を射られてね。目の前が真っ暗になって、意識は闇の中に放り込まれた。でもその後、私、というか私の魂は、闇の中でその方に出会ったの」
「……誰だ?」
「セルセウス」
おずおず問いかけるベイルにシャオリンが答える。直後、彼女の発した言葉を聞いた面々は一斉に表情を凍りつかせた。
「お前、あれにあったのかよ」
「そうか。だから生き返ったのか」
「納得ね」
「待て。ちょっと待ってくれ」
自分を置いて勝手に納得する面々にベイルが声をかける。異世界から来た者達は揃ってベイルに視線を向け、その中でベイルが再度口を開いた。
「セルセウスって誰だ? 何してる奴なんだ?」
「うちの世界にいる、死を司る神だよ。かつて神と人が戦争を始めた時、人の側について人類の勝利に貢献した神の一柱だ」
それに対してはゾリが答えた。ベイルは納得したが、またすぐ別の疑問が頭をよぎる。
「神と人の戦争ってなんだよ。お前ら何したんだ」
「ああ、それはだな――」
「その後にして。今はセルセウスっていう死の神がいて、それが私達に関わってるってことだけ覚えておいて」
脱線しかけた話を引き戻すように、シャオリンが強い語調でゾリの言葉を遮る。ゾリは素直に引き下がり、一息ついたシャオリンが話を続ける。
「で、そのセルセウスなんだけど、その神が私に契約を持ち掛けたの。生き返らせてやるから、代わりに自分の部下になれ。そして自分に代わって、人間界で仕事をしてほしい、ってね」
「ちなみに神が人に代理を頼むのは、うちの世界じゃよくあることなんだ。神が直接人間界に影響を与えるのは、いろんな意味で都合が悪いからな」
ベーゼスが注釈を加える。ベイルはそれを聞いて頷き、次の言葉を待った。
「でも、事は私一人で負えるものじゃなかった。ブラックフォーチュンの勢力は、セルセウスの予想を超えて大きくなっていた。だから仲間を増やそうと、あなたに目を付けたってわけ。有り体に言えば、死んでくれるのを待つことにしたのよ」
「死ぬのを待つって……まあいいや。それで? セルセウスの頼んだ仕事の内容は?」
「ブラックフォーチュンを止めること」
シャオリンが答える。それまで呆れ顔を浮かべていたベイルは、それを聞いて一気に顔を固まらせた。周りの面々も同じように真顔になり、シャオリンを見た。
ミチが彼女に問いかける。
「連中は何をしようとしてるの?」
「神の復活。あなた方が元いた世界で駆逐した神の亡骸に魂を宿し、自分達の手駒として利用する」
「……なんのために?」
「日本人を根こそぎ滅ぼすため」
驚きは無かった。彼らは一瞬呆気に取られ、すぐに「まただよ」という倦怠に似た空気が辺りを包んだ。
「あいつらは何でそこまで日本人が嫌いなんだ」
「さあ? そこは直接本人たちに聞いてみないとね」
ゾリからの問いに、シャオリンは素っ気なく返した。続けざまにベーゼスがシャオリンに尋ねる。
「他に仲間はいないのか? 頭数は多い方がいいだろ? ブラックフォーチュンの力が増してるんなら、なおさらこっちも勢力を増しておいた方がいいだろ」
「それは無いわ。なにせ何処にブラックフォーチュンのスパイが紛れ込んでいるのかわからないからね。そもそもセルセウスが私やベイルを選んだのも、私達が外の世界からやって来た余所者だからよ。外の世界にスパイを出す余裕も、それと交信する余地も無いでしょうからね」
シャオリンはそれについてもさらりと答えた。これに関しては、答えを聞いた全員が納得したように頷いた。
それからシャオリンは改めてベイルの方を向き、彼をまっすぐ見つめながら言った。
「そういうわけだから、ベイル。あなたにも手伝ってもらうわ。もっとも、あなたはもう契約は済ませてしまっているから、それを拒むことは出来ないけどね」
「……」
「死の神の使徒として、命の輪廻を冒涜する者に鉄槌を下す。それが私達の使命。逃げることは許されない」
彼女の言う通り、逃げ道は無い。ベイルは理屈でなく、心でそれを理解した。
それから腹を括ったベイルに対し、シャオリンが昨夜の決闘から今に至るまでの流れを簡潔に説明した。彼女曰く、ベイルを刺殺した少年はそれから一言も発さず、怪人と化したアーネストを連れて何処かへと消えてしまった。二人の体をつむじ風が包み込み、その風が消えると同時に二人の姿は影も形も無くなっていたのである。
「なんでお前がそれ知ってるんだよ」
「木陰に隠れて観察してたのよ。早く死んでくれないかなーとか思いながらね」
「お前いい根性してんな」
ベイルの嫌味を無視してシャオリンは話を続けた。
突然のことにベーゼス達は呆気に取られたが、すぐに我に返ってベイルの元に駆け寄った。しかし彼女らが近づいた時には、既にベイルは死亡していた。刺し貫かれた心臓は完全に機能を停止しており、傷口からは絶えず赤黒い血液が垂れ流されていた。
ベーゼス達は絶句した。彼女達はわかりたくもない現実を突き付けられ、驚き、落胆した。悲鳴を上げた者こそいなかったが、平静を保てる者もいなかった。
顔馴染みが死んだのだ。ショックを受けない者はいなかった。
シャオリンが木陰を越えて彼らの前に姿を現したのは、その時のことだった。彼女がやって来た時、場の空気は完全にお通夜ムードとなっていた。シャオリンはそんな破裂寸前の張り詰めた空気などお構いなしに、顔面蒼白の彼らに向けて「私にいい考えがある」と告げたのであった。
「彼を生き返らせられる方法がある。彼はまだ死んでない。そう言って皆を言いくるめたのよ」
「よくそんなことが出来たな。下手すりゃとばっちり食らって八つ裂きになってたかもしれないんだぞ」
「リスキーだったのは承知の上よ。でも虎穴に入らずんば、とも言うでしょ? それに溺れる者は藁をも掴むとも言うし。特にベーゼスは効果覿面で」
「余計なこと言うんじゃねえよ」
上機嫌なシャオリンの言葉を、当のベーゼスが強引に遮る。半竜人の顔は何故か真っ赤になっていた。周りの面々は当時を思い出し、笑みをこらえるのに精一杯なようだった。ベイルは深く追求しないよう心に決めた。
「まあ、よくわかったよ。ありがとう。それよりさっさとここを出ようか。いつまでも寝込んでるわけにもいかないからな」
彼の言葉通り、ベイルの傷は完全に塞がっていた。血流と心臓は止まっていたが、とにかく彼は生きていた。そしてこれ以上ベッドで寝込む必要も無かったので、彼はさっさとベッドから離れて立ち上がった。つい先ほどまで死体だったとは思えないほどに軽やかな動きだった。
その元気溌剌な姿を見た周りの面々は大なり小なり驚いた。しかし悲鳴を上げる者はいなかった。シャオリンはそれを察していたかのように、ベイルの姿を見て一人微笑んでいた。
「さて、行こうか」
「お前本当に死人かよ」
「シャオリンがそう言ってたろ。行くぞ」
それから彼らはドアを開けて外に出た。しかしドアを開けて外に出ると、そのすぐ近くに一人の人間が立っていることに気づいた。
「メリエ、話は済みましたか?」
ベイルとベーゼスは、それが誰なのかすぐに見当がついた。名はオベット。かつて自分達を騎士団の地下訓練場まで案内した平凡な少女である。彼女の導きによって、二人はアーネストと会うことが出来たのである。
「こちらの方も一段落しました。ベイルさんと決闘をした怪人と、ベイルさんを刺殺した謎の少年。そのどちらも手掛かりは掴めませんでした」
オベットはメリエの姿を見つけるや否やすぐに彼女の元に向かい、さっそく自分の所で調査したことを報告した。
ベイル達はその光景に違和感を覚えた。オベットは副団長であるメリエに対して、何故か自分が目上の存在であるかのように振舞っていた。そしてメリエもそれに怒らず、その丁寧だが高圧的な調子で発せられる言葉を素直に受け取っていたのである。
「文字通り、風に紛れて消えたと言うほか無いですね。あなたが昨夜見た通りに」
「そちらでも手掛かりなしですか。わざわざありがとうございます」
メリエはそう言って、オベットに向かって頭を下げた。自分より小柄な少女に頭を下げるメリエを見て、ベイルはますます困惑した。
「お前、メリエの部下じゃないのかよ?」
そして耐え切れなくなったベイルが、ついに二人に問いかける。メリエとオベットは一瞬きょとんとし、それから思い出したようにオベットが口を開く。
「そう言えば、まだ説明していませんでしたね」
「すっかり忘れてました」
「やっぱり何かあるのか」
腑に落ちたようにベイルが言った。二人は頷き、オベットがメリエに一瞥してから一歩前に出た。
「申し遅れました。私、白薔薇騎士団の団長を務めているオベットと申します」
数瞬、ベイルの頭の中が真っ白になった。彼はその言葉の意味を理解しきれず、しばらくその場に棒立ちになった。
「私がリーダーなんですよ?」
取り立てて見栄えしない、平凡な外見を持った少女は、無い胸を張って自慢げに言ってのけた。
ベイルがそれを受け入れるのには、しばらく時間がかかった。




