未来工科大学
東京未来工科大学。
日本最高の理系大学として、比肩するもののない地位を確固たるものにしている。しかし、その最先端の研究内容に対して、キャンパスは東京市街地からいくらか離れた郊外に位置する。いくらか面倒な乗り継ぎを条件に、駅前の全面をキャンパスが制圧していると思えば、それでも十分いい立地と言えるのかもしれない。
しかし、会見場として利用されることになったのは、駅からは随分離れたところにあるサブキャンパスの1号館講堂だった。行きの電車内でそのことを把握したとき、僕は思わずため息を漏らさずにはおれなかった。
大学を卒業してまだ10年と経っていないとはいえ、すでにキャンパスの中を浮ついた足取りで歩く学生たちとは、ただならぬジェネレーションギャップじみたものを感じつつあった。むろん、この工科大学がイケてない男の掃き溜めみたいな場所になっているというのも否定できない事実だ。女子率は1割程度と聞く。どこか垢抜けないまま、ボサボサの髪に流行らないシャツを着て背を曲げて歩く男たちの姿は、もはや滑稽ですらある。すっかり社会人になった僕とは外見上も雲泥の差があってしかるべきというのも事実だ。つくづく、ここで大学生活を過ごさずに済んだことに感謝せねばなるまい。
ようやくメインキャンパスを抜けて、奥まったロボティクスコースのキャンパスにたどり着く。学生の数はぐっと少なくなり、浮ついた空気もいくらかアカデミックな安定感を見せ始める。
今日は運がいいのか、1割しか存在しないという女子学生の姿を見出した。手帳を握りしめてベンチに座り、何かを探すように左右を見ている。短めのヒール付きのブーツに膝丈のフレアスカート。春めいた花柄のブラウスを厚手のジャケットで引き締めている。工科大学の女子学生にしては、いくらか容姿に気を使っていると考えて良さそうだ。個人的な好みを言えば、せっかく春物を押しているのだから、ブーツをパンプスに変えろと言いたくもなるのだけれど。
僕の視線に気づいたのか、女子学生と視線が合う。軽く会釈してそのまま通り過ぎようとしたとき、彼女はベンチから跳ね上がって、僕の前に立ちふさがった。
「すみません、記者の方ですか?」
「いいえ、違います」
即答して身をかわす。いくら身なりに気を遣っている女子学生とはいえ、相手をしてやる理由はない。今はチャットボットにぶつける皮肉の内容を考えるのに時間を少しでも使いたかった。
「わたし、未来工科大の大学新聞の記者をやっているんですけど」
どうやら、僕は一つのことを学ぶ必要があるようだ。記者というのは、僕と違って、しぶとくて面倒臭い生き物らしい。女子学生は僕の横を歩きながら、口早に言葉を紡いでいく。こんな大学にいるくらいだ。頭の周りも相応に早いのだろう。
「お仕事のお手伝い、させてもらえませんか? 本業の方のお仕事を見て、勉強したいんです」
「宗教の勧誘なら結構ですので」
あえてトンチンカンなことを言う。だいたい、こんなところで人事部でもない記者に個人的に依頼して、誰かが捕まると思っている方が間違いだ。その辺の情報収集能力の方から見直した方が、記者として成長できるだろう。
「今日は何の取材なんですか? やっぱりアンドロイドですか?」
「携帯電話の契約も結構ですので」
少しでも話の通じる人間だと思われたら粘着される。意味不明なことを言いつづけて逃れることにしよう。そういう腹積もりで口にした言葉だったが、意に反して、彼女は僕の冗談が気に入ったみたいだった。
「そのアンドロイドじゃありません! 佐伯教授と丸山准教授のロボットですよ」
「へえ、あの二人あちこちで姿を見ると思ったら、代役のロボットがいたんですね、さすが未来工科大だ」
「違います!」
「とにかく僕は記者ではありませんし、用事がありますので、記者なら別の方をお探しくださいな」
そこまで言う頃には、1号館の入り口に控えている警備員の前にたどり着いていた。
僕は身分証を見せて、次のように言う。
「ファリィ・ポスト科学部の記者です、佐伯先生の記者会見に来ました。入館許可証をいただけますか?」
当然、横から非難の声が飛ぶ。
「記者じゃないですか!」
「あのね、君。記者は記者でも、あのどうしようもないファリィ・ポストの記者だよ? そもそも君、うちの会社知ってるの?」
女子学生は少し目を泳がせる。次に出てくる言葉は嘘に違いない。
「もちろん、知ってますよ。いつも拝見させていただいてます」
「それならなおさら、僕には頼まないことだな。君のキャリアに泥を塗るぞ」
そこまで言うと、警備員が差し出した入館許可証を受け取って、僕は有無を言わせず1号館のエントランスを抜けた。