予感
そういえば、夢を見たような気がする。
例によってデスクに突っ伏して眠っていた僕は、何か気がかりな夢を見たはずだ。
重たい全身の筋肉をごまかしながら衣服を脱ぎ捨て、シャワールームの扉を押し開ける。淡く黄色がかった電灯が、清潔なままの壁に温かみを貼り付ける。
頭からシャワーを浴びて、目を瞑る。
なぜ、夢なんてものが気になっているんだろうか。
たとえ奇妙で気がかりな夢を見たとしても、ここまで気にする必要はないはずだ。いつもの僕なら、もう夢を見たことさえ忘れ去っているようなころだろう。しかし、今日の夢は、何か、思い出さなければならない夢だったような気がする。
ヒタリ
背中に受けた感覚に、僕は飛び退くように振り返る。しかし何もいない。
慌てて背中を鏡に映してみるが、何の異常も見られない。
背中を水で打ったような感覚が走るのは、何か神経性の疾患だった気がする。重篤な病気を想定すれば、たしか多発性硬化症も、初期に皮膚感覚の異常が起きる場合があったかもしれない。全身の筋力が低下して、視力が低下するという代表的な症状から見ても、今の自分には請け合いの診断だ。
しかし実際には、肩こりだけでも背中の神経にしびれを感じることがある。その神経のしびれが、湯を受けて妙な感覚を惹起したというだけなら、気にする必要もないだろう。今からじっくりと湯をかけて、肩こりをほぐしさえすればいい話だ。
もう一度背中に湯をかけると、もう妙な感覚が生じることはなかった。神経疾患ならまた同じ感覚を得たはずだ。血行の不良からくる神経の一時的な不調に違いない。
ロボットには、人間ほど神経が張り巡らされていない。神経と言うよりもセンサーといった方が正確か。
たとえば今、頭を洗う指の感覚を逐一感じていられるのは、人間が頭皮の全面に神経を張り巡らせているからだ。しかし、多くのロボットはわざわざそんなところにセンサーを備え付けはしない。だから頭を叩いても何も感じないし、背中に異常感覚を訴えることもない。
人間のようなロボットが実現するまでには、様々な圧力センサーが開発される必要があるだろう。圧力と温度を面で測定して、それをコンピューター処理を挟まずに人工知能で処理するのが、人間というメカニズムだ。そんな高度なセンサーを不必要な部分にまで搭載できるようになるのは、まだ当分先のことだろう。
シャワールームから上がって、PCの電源を入れる。
モンションキャプチャーと接続したPCと大型ディスプレイは、非接触式のタブレット端末の使い心地を持つ。はたから見れば奇妙な踊りを踊っているようにも見えるのかもしれないが、自室で使う分には便利極まる。
何を隠そう、こういう技術もロボットの認識ツールとして利用されている。開発当時、接続ハードに対するCPU占有率が高くて難儀したと聞くが、今なら当時の数段上の速度で情報を処理できる。ロボットがモーションキャプチャエンジンを両目に搭載して、立体的に人間の動作を把握しながら動作するのも、今ではどちらかといえば見慣れつつある光景だ。
そんなことを考えながら、僕は今日発表される新しいロボットの性能について考えを巡らせる。たぶん、2足歩行ではない。2足歩行ロボットはその制御だけで体内に大きなスペースを必要とする。小型ロボットならまだしも、大型ロボットに大きなジャイロを詰め込むと、それ以外の機能が死んでしまう。空気圧アクチュエーターの制御にも随分なCPUが必要で、その回路も収納することを思えば、人工知能学者と協力した意義が薄くなる。
つまり、今回のロボットの焦点は、人工知能とセンサとの接続にこそ要がある。運動性はある程度捨てて、非常に細かい手の動きや、視覚情報をコミュニケーションに結びつけるとか、そういう技術が重視されているはずだ。ローラー可動式のチャットボットロボットというあたりが狙い目になるのだろうか。
しかし、人工知能学者がチャットボットを作るはずもない。ひょっとしたら、数年前に開発された、学習能力を持った幼児ロボットのコピーをやるのかもしれない。少しでも知的年齢が向上していることを願うが、学習期間が短ければ相応に知性の品質も低くなる。今回はただのお披露目にとどまるなら、記者発表というのも頷ける。たぶんこれで当たりだろう。
ディスプレイにはこれまでのロボットの発表年表が表示されている。ホンダ社のアシモ発表以降、ロボット開発競争は激化した。人間にそっくりなアンドロイドを開発する方向に進んだ関西のチームは、世界的に見ても驚異的な水準のジェミノイドを開発している。遠目に見れば、それはまず人間と見分けがつかない。
それでも課題になっていたのが、ロボットに独自の知能を与えることだ。見かけについては、かなりの水準で人間を真似ることができるようになった。しかし、その見かけに寄せられる期待を裏切らないほどの人工知能は、まだ実現していないのが現状だ。この数年間は、科学報道業界も人工知能の話題で持ちきりだ。2050年には人工知能が人類の知能を越えると予想され、人々は来るべき新しい時代に期待と不安の入り混じった目を向けている。
しかし、そんな未来は2050年にしかやってこない。今から不安を抱いても、今日や明日に人工知能が人類の水準に達するわけではない。人類に残された時間は、まだ30年以上残っている。