古小路の取材ノート
南北線で飯田橋から中央線に乗り換えて、阿佐ヶ谷まで一直線だ。
うちに帰ればシャワーを浴びて服を着替え、今度は南下して東急目黒線を目指す。昼過ぎからの記者発表会にはそれで十分間に合うはずだ。
不必要に暖かな日差しに、ジャケットを脱いで手に抱える。リュックを背負い直して大学通りを地下鉄駅まで歩く。都会の一角に残された明治大正バロック調のレンガ塀を横目に、歩道のはるか先に見える地下鉄駅の看板を目指す。
ふと視界の隅に、赤字で強調されたポスターが目に入る。
『不審な勧誘に注意してください!』
アニメの犯人のように真っ黒な人間がいかにも怪しげな笑顔で、無垢そうな青年に声をかけているイラストが添えられている。相手がこれほど怪しそうなら苦労はしない。たいていカルト宗教っていうのは、もっと善良そうな奴が声をかけてくる。まるでこの世のすべての悪からあなたを守ってあげるとでも言わんばかりの邪悪な確信を持てる人間こそ、カルト宗教の伝道師になる。
こんなポスターは即刻書き直されるべきだ。
『すべて勧誘は不審と思い注意せよ!』
ひょっとしたら、インターネット回線の契約を持ちかけてきたセールスマンだって、高速通信教の伝道師かもしれない。そんなことを考えられるようになるには、大学生というのはあまりに若すぎる。注意を喚起するに越したことはないのかもしれない。
未だにエレベーターの設置されていない地下鉄駅の階段を駆け下りて、僕は電車に滑り込む。通勤ラッシュを過ぎた午前の地下鉄には、永遠の休日を楽しむマダムや動き出しの遅い学生がわずかに席を占めている。
たったの2駅だが、タブレット端末を取り出して僕は取材情報の整理を始める。すでに関連記事のファイリングは終わらせておいた。移動中にそれらにざっと目を通してしまえば、帰る頃には記事を書き上げられる。そうしてすぐに帰宅して、今日こそ家で寝てやろうと思うのだが、どうせ他の部署の連中に夜まで付き合わされるんだろう。次の目覚めがあのしみったれたオフィスでないことを願うばかりだ。
飯田橋駅で乗り換えれば、記事を読み漁る十分な時間がある。
今日の記者向け発表会に登場するのは、何かと話題の佐伯京介教授とその共同研究者丸山峙大准教授だ。サイエンスライターをしていればこの二人の名前はまず暗記しているし、直接に取材した経験だってあるというくらいには名の知れた研究者だった。
ロボティクスの権威の一人である佐伯京介教授は、アメリカ仕込みの積極広報主義者だ。記事どころかその出演映像だっていくらでも検索にかかってくる。触覚センサー搭載型の2足歩行ロボットWAPAを開発して、その成果を過剰にマスメディアベースで発信したことで、名の知れた科学者の地位に登りつめた。
当時の水準でもそこまで優れているとは言えなかったロボットを、あそこまで厚顔無恥に宣伝できるあたり、もっぱら商業主義に傾いてはいるのだろう。骨の髄までアメリカに染まってしまったと言うべきか、研究費の獲得戦略に優れていると言うべきか。その評価は人によって変わってくるかもしれない。
もっとも一度インタビューした僕としては、彼の人格は決して憎めない性質をしていると思っている。メディア露出が多いからか時代の流行にも敏感だし、自分の専門分野以外の研究状況にも目を光らせている。つまりは好奇心が旺盛で気さくな教授というだけのことだ。蓋を開けてみれば、教授の方が積極的に宣伝攻勢をかけたのではなく、メディアからの出演依頼を全部引き受けていただけなのかもしれないとさえ思っている。あれだけ場の流れを把握してジョークを飛ばせる人物なら、メディアからその存在をありがたがられても不思議ではない。
一方の丸山准教授は、国内の知名度よりも国際的な知名度の方が高い。論文どころか単著さえも英語で発表されていて、その名前を日本語で検索するよりも英語で検索した方が情報が多い珍しい研究者だ。
人工知能で「心」を再現することで、ロボットが悩まされてきたフレーム問題を解決できるかもしれないとして、その解決枠組みを論理的に示した論文の評価が高い。とはいえこの論理解を実現するような人工知能の構築フレームは実現していないのが実情だ。それゆえ「もっとも次世代人工知能に近い男」という評判にもかかわらず、この数年間ろくな成果を挙げられておらず、起死回生の人工知能搭載型ロボット開発に乗り出したという寸法だ。
残念ながら丸山准教授にはお会いしたことがないが、まったく研究室で生まれ育ったと言われるほど研究一筋の人物らしい。唯一の話し相手が人工知能のチャットボットなどと、その界隈でまことしやかに話されるブラックジョークさえ生み出されている。僕も内心では、彼がはじめて人工知能と結婚する男になったときのための記事構成を練り続けているくらいだ。
ずいぶんファンシーな二人組の共同研究には、多少なり期待が寄せられていないでもない。といって、二人とも当代最高の研究者とは言えない経歴だ。業界に詳しい人ほど、とんでもないチンプンカンプンなポンコツロボットが大真面目に発表される日を楽しみにしているような状況だった。
他ならぬ僕もその一人だ。今回はどんな外装の付け替えでお茶を濁してくるのか、それだけを楽しみにしていた。なんといっても、完成したロボットの公開を映像や論文として発表する前に記者向けに発表するというのだから、いよいよポンコツへの期待は最高潮に達したわけだ。こんな手順が採用されるのは、論文として発表するような新成果は存在しないけれども一応成果として発表しなければならない場合に限る。
今のうちから記事を考えるのがはかどりそうだ。『未来工科大、“最先端”の“旧式”ロボットを発表』なんていう見出しを付けたいが、きっと社長は許可しないだろう。
思い出しがてらあらかたの記事を読み終えた僕は、阿佐ヶ谷の駅で降りて自宅へ向かった。