古小路 進(こしょうじ すすむ)
気がかりな夢を見たのに、体はまだ人間のままだった。
回転椅子に座って机に突っ伏した体をなんとか引き起こす。曖昧な意識の中で、右肩に違和感を覚える。見ると、社長が僕の肩に手を置いていた。
「起きたか。古小路、お前今日取材だろ?」
いつの間にかオフィスはまた活気を取り戻していた。いや、活気というには全員が全員重たい体を引きずってしまっていて、いわゆる生気がすっかり失われてしまっている。かくいう僕も、無精髭にボサボサの髪に顔を囲まれて、疲れ切って潤いを失った肌でしわくちゃのワイシャツを引きずっている。
廃人まみれのボロクズみたいな職場に、寝ぼけ眼を押し開く太陽光がねじ込まれている。それを不愉快に感じてしまう僕も、やはりおかしくなってしまっているんだろう。
僕の肩に手を置いた社長は、僕の7歳年上の若い男だ。ウェブメディアで一発当てようとして、僕らと一緒に絶賛大滑り中。来年には代表取締役なんて肩書きも光回線で世界のどこかに投げ捨てるんだろう。その事業センスのなさにはため息がでるが、いち人間としては付き合いやすい上司だった。
「取材ったってねぇ、また外装だけ貼り替えたロボットの発表ですよ。幼稚園のお遊戯会じゃないんだから、いい加減よして欲しいもんです」
欠伸混じりに皮肉を垂れる。最新テクノロジーの現場を取材するなんて言えば聞こえはいい。しかしこのご時世に、日本にいるだけで毎日カッティングエッヂな情報が舞い込むなんて、期待するだけ損だ。それでもサーバー容量はぽっかり大口を開けていて、僕は一つでも多くの文字でそれを埋め立てるために、ふらふらと犬も食わないような情報を取材して歩かなければならない。
「それをめいいっぱい飾り立てて発信するのが、お前の“仕事”だろ? 文句言ってないで行ってこいよ、ほら」
背もたれがぐいと回されて、僕はデスクから引き剥がされる。とっさに足を畳んだから良かったものを、反応が遅れていたら強く打って机の上が大荒れしたかもしれない。
「まあ、行きはしますよ。でもその前に一時帰宅を許してもらっていいですかね? それとも『ボロ雑巾みたいに使い潰される“ブラック”・ファリィ・ポストの記者』って記事でもバズらせますか?」
ウェブメディアの間では、そういうゴシップ記事の方がウケがいい。いまどき『本当に価値のある情報を、あなたに』なんて古臭い価値を掲げて、真っ当に取材陣を揃えようとしているのはうちの会社くらいのものだ。他の会社は記者なんて全部クラウドソーシングして、オフィスだってサーバールーム付きの1LDKと何も変わらない。その方が儲けも出るし、金が集まれば取材に金も使えていい記事も書ける。
科学記者だって僕一人しかいないし、一番の売りどころの政治記者だってたったの2人しかいない。固定した記者が書いているおかげで政治姿勢と立ち位置がはっきりしているから、それはそれで固定ファンを得られてはいるらしい。もちろん、そんな少数の読者が僕たち全員の生活を賄うなんて、どだい無理な話だ。
「はっはっは。取材をサボらなければ好きにしろ。せいぜい、ロボットにご自慢の皮肉が通じることを期待するんだな」
バシンと背中を叩かれた振動は、僕のあばらに響いた。すっかり痩せぎすになった僕の体の固有振動数は、いよいよ可聴域にまで高まってしまったのだろうか。
骨ばかりの体をようやく立ち上げて、机の上に残した取材用のタブレットを手に取る。足元に置いたリュックを拾い上げて右肩にかける。
「皮肉が通じるロボットがいたら、僕も真剣に仕事できるかもしれません」
そんな捨て台詞を置いてオフィスを後にする。小さなオフィスの四方から、行ってらっしゃいという気の無い声が僕の背中に寄せられた。
小さなエレベーターホールに、不必要にモーター音を鳴らしたエレベーターが登ってくる。すっかり古ぼけたエレベーターの内壁は、ファリィ・ポストの記者たちの顔を見ているようでどうにも不愉快だ。
外はいよいよ春になるというのに、ここだけは万年秋冬の木枯らしが吹いている。むろん万年なんていう長い間、秋冬が続くわけじゃない。いつかはこの会社も消えてなくなり、次にオフィスを借りた会社が春風を吹かせてくれるだろう。
息を吐けば皮肉が口をつく。このしみったれた世界を笑い飛ばしながら生きる、僕なりの工夫だった。しかしほんの少し、そいつが世界の彩りを失わせているような、そんな気もしていた。