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【四】

 ごく普通の町並がだんだんと古びた家が並ぶ通りへと変わり、花が土埃に顔を顰めはじめた頃に、朝顔達がいう『骨董屋』へとたどり着いた。

 土壁に、汚れで曇った引き戸の硝子、戸の横に掲げられた木製の大きな看板。

 骨董屋と言われれば納得できるような外見を、花はまじまじと眺める。

「ここ、ですか?」

 入口を見つめたままそう尋ねると、狢からそうだと返事がある。

 ならば、入ってみるしかない。

「こんにちは」

 がたがたと音を立て、途中何度か引っ掛かりながら開いた引き戸の向こうに声をかける。

 明かりはあるが、店内は薄暗く、並べてある品々もごちゃごちゃとしていてわかりにくい。

「はいはーい。どなたですか」

 だが、ちゃんと店員はいるようだ。男の声が店内に響き渡り、誰かが奥から走って出てきた。「あ、あの……」

 口を開きかけた花を見た店員らしき男性が、ぎゃっと叫んだ。

「わあ! 人間だ!」

 そう言った相手は、すぐに店の奥に引っこんでしまう。引き留める時間もなかった。

「うちは留守です!」

 奥の方から、そんな声が聞こえ、後ろにいた朝顔がため息をついた。

「姿を見せておいて、しかも自ら『留守』だなんて、馬鹿だね」

 朝顔はそう言うと、花の横をすり抜け、店の奥へと入っていく。慌てて追いかけようとするが、それを狢に止められる。

「あんたが行くと逃げられるから、ここは朝顔に任せておけ」

「そ、そうですね」

 花を見た時の店員の様子を思い出すと、狢の言うとおりにした方がいい気がする。奥から、甲高い朝顔の声と、もごもごとくぐもったような声が言い争っているのを聞きながら、花は薄暗い店内を改めて眺めた。

「不思議なお店ですね」

 狭い店内には、ありとあらゆるものが積み上げられていた。

 古い壺、欠けた皿、髪の乱れた人形、古びた箪笥。掛け軸のようなものもある。花がわかるものから、なにやら得体の知れないものまで、天上までびっしりだ。

「ひとつ取り出したら、崩れそう……って、何しているんですか、狢さん!」

 花の横で、狢がなにやら怪しげな黒い塊を引っ張り出そうとしている。

「何って、これは何かなーって」

 黒くて長い何かは、積み上げられた品物を崩すことなく狢の手に移った。しかし、その器用さに関心している場合ではない。

 狢が持っているそれは、なにやら黒い霧のようなものを纏っているように見える。

「黒い、杖……ですか?」

「そうみたいだな。いい具合に、呪われている」

 狢の言葉に、花は後退った。呪われているとは、どう考えても普通じゃない。

 そういえば、この薄暗い中、黒い杖がこんなにはっきり見えているのはおかしいと、最初に気がつくべきだった。

「触っても大丈夫なんですか」

「俺はな。あ、花は触れない方がいいぞ。間違いなく呪われる」

 やっぱり!

 そう小さく口の中で叫ぶと、花は狢からさらに距離を取った。同時に、なるべく周りの商品にも触れないように気を付ける。

「大丈夫大丈夫、ちょっとくらい呪われても、死にはしないって」

「そういう問題じゃないです」

 そもそも、そんなに普通に呪いは転がっているものなのだろうか。

 そう思うと、やはり早く自分のことを取り戻して、この異界から帰りたいと思うのだ。

「なんだ、つまらないな……うわ」

 突然狢が声を上げる。顔を顰めていると思ったら、狢の後ろに朝顔の浴衣が見えている。彼女が狢に何かしたらしい。

「何物騒なものを、花に見せているんだよ!」

「今、手加減なしで殴っただろ!」

 狢が背中を気にしながら、文句を言っている。

「大げさな。か弱い私が殴ったところで、大したことないだろう」

「気持ちの問題だ」

 放っておいたらいつまでも続きそうな言い合いだ。しかも、側で見ていると、まるで兄妹がじゃれあっているようにも見えて、止めるきっかけがつかめない。

 どうしよう、と情けない顔でおろおろしていた花を救ったのは、誰かの声だった。

 さきほど聞いた声と似ているから、奧に逃げた店員なのかもしれない。

「あ、あのー。僕は、どうしたらいいんですか」

 細く聞き取りにくい声が、狢と朝顔の動きを止める。

「ああ、忘れていた」

 朝顔の言葉に、声の持ち主らしきため息が聞こえる。ただし、花の位置からは、声の主は見えない。

「花、こいつがこの店の店主だよ」

 狢の影から出てきた朝顔は、男を物陰から引っ張り出す。どう見ても、『首根っこを掴む』という表現がぴったりな状態だが、小柄な男の情けなさ過ぎる表情を見ていれば、何も言えなくなってしまう。

「は、は、ははは、はじめまして、人間さん」

 一応された挨拶は、か細い声と反らされた視線のせいで、なんとも微妙なものになった。

「は、はじめまして」

 花も挨拶を返すが、言葉は続かない。ここまで怯えられて、近づくというのもなんとなくはばかられる。

「す、す、すみません。人間、苦手なんです。ごめんなさい」

「い、いえ、こちらこそ。なんだかいろいろごめんなさい」

 花と店主、どちらもぺこぺこ頭を下げて、謝りあってしまう。

 後ろでため息――おそらく狢だろう――が聞こえて、ますます花は萎縮した。確かに、この状態は側で見ていれば、いらつくだろう。

「二人とも、落ち着けよ。俺と違って、互いに食い合うわけじゃないだろ」

 言っていることはぶっそうだが、思いの外、狢の声は優しかった。同時に大きな手が伸びてきて、花の肩を叩く。

「花は、頼みたいことがあってここへ来たんだろう? せっかく店主が出てきたんだ。話してみろよ」

「そうでした! あの、お願いできますか」

 勢いこんで近づくと、一歩引かれてしまう。

「え、ええと、ものにもよります。あ、それと、タダじゃないですよ」

 店主の言葉に、花が固まる。もちろん、お金など持っていないからだ。

 そもそも、花の知っているお金がここで使えるかどうかもわからない状況である。せっかく、何か手掛かりがあるかと思ったのに。

 途方に暮れていると、再び肩を叩かれた。見上げると、そこに狢の顔があって、安心させるかのように笑った。

「俺が、これを買うってので、どうだ? どうせ、売れ残っているんだろう? それなりの値段で引き取ってやるぜ」

 狢の手にあるのは、先ほど商品の中から引っ張り出した、杖のようなものだ。

「た、確かにそれは随分前から買い手が付かないものですが、まだこの人間の頼みも聞いていないんですよ! こっちが損するかもしれないじゃないですか!」

 店主の言うことも、もっともだ。だが、狢は強気な態度を崩さない。

「ついでに、持ちやすいように加工してくれるなら、元の値段の倍だそう」

「ば、ばい……」

「そうだよ。なあに、花の頼み事は、たいしたことじゃない。ほんのちょっと、あんたの力を貸して欲しいだけだ。それだけのことで、売れ残りのこれが倍の値段。いい話じゃないか」

「で、でも……」

「嫌なら、別にいいんだ。こういうものは、他でも扱っているし、そこでなら、もっと安く手に入るだろうな」

「そうしたら、そこの人間が困るのでは……、ひぃぃ!」

 今、確かに狢の目が光った。

 朝顔は平気な顔をしているが、花の方は固まってしまうほどに驚く。

「ここへ来たのは、方法のひとつだったからで、別に、ここだけが頼りなわけじゃない、だろ? 花」

「は、はい!」

 違うのだが、そう返事するしかなかった。逆らえない雰囲気が、今の狢にはある。なんとなく脅しているように見えるとしても。

「というわけで、どうする、店主?」

「う、うう」

 明らかに狢に押されている店主は、額に汗を光らせている。冷や汗かもしれない。

 そして、結局根負けしたのは店主の方だった。

「わかりました、わかりましたよ! 売ります」

「そうか、悪いな。支払いはいつもどおりでいいな?」

 全然悪いと思っていない顔でさわやかに言い切ると、狢は手に持っていた杖のようなものを店主に渡す。

 そこで、ようやく花は口を挟むことができた。

「狢さん! いいんですか? これ、無駄な出費じゃないんですか?」

 花には、返すあてもないし、ここまでされる理由もない。

「初期投資だから、いいんだよ。だいたい、花はここの金持ってないんだから、仕方ないだろ」

 初期投資に不穏なものを感じると同時に、上機嫌な狢が恐い。

「朝顔さん……どうしよう」

 朝顔に助けを求めてみるが、まあいいじゃないかと言われてしまった。

「狢は下心があって花についてきたんだから、利用してやればいいんだよ」

 事実はそうなのかもしれないが、それはそれでのちのち危ないことになりそうな気がする。簡単に好意として甘えるのは危険だ。

「だけど、やっぱり気になるし……、何か別の形でお礼ができれば……」

 遠慮がちに言ってみれば、案の定、狢が嬉しげににやりと笑った。

「だったら、ちょっと囓らせて……うわ!」

 朝顔が飛びつくように狢の前に出ると、その拳を胸に叩きつけた。もちろん、細い朝顔の手では狢はびくともしないほど頑丈そうだが、大げさに顔をしかめてみせる。

「馬鹿なことを言っているんじゃないよ!」

「乱暴だな、朝顔は」

「痛くないくせに、痛そうな顔もするんじゃないよ」

 二人して言い合っている姿は、やはり兄妹のようだ。微笑ましくもあるが、花ひとり蚊帳の外のようで、少し寂しい。

「あ、あの……」

 すっかりいることを忘れていた店主が、泣きそうな声で花に声をかけてきた。

「結局、僕は何をすればいいんですか?」

 狢に頼るのは少し恐いが、後で何か考えればいいだろう。手掛かりを探す方法が他に思いつかないのだから、そう割り切って考えることにして、花は店主に握りしめていた鈴を見せた。

「その、この鈴のことを知りたいのです。朝顔さんが、あなたなら、わかるはずだって教えてくれて」

 店主は花の手の平の上の鈴を眺めると、ほんの少し表情を緩めた。

「ああ、頼み事というのは、そういうことですか。なんだ、もっとすごいことを言われると思っていました。だったら、返って悪かったかなあ」

 愛想良く笑うと、その丸い顔は人懐っこそうな犬のように見えた。人間が恐いといって逃げた彼だが、根はいい人なのかもしれない。

「鬼に恩を売らせるようなことをさせてしまって……大丈夫ですか?」

「え、もしかして、いろいろまずいんでしょうか」

「だって、相手は鬼ですよ。我々とは違う生き物なんです」

 熱心にそう言われても、実感はわかない。狢は何かあると囓らせろというが、本気で手を出してきたことはない。朝顔が止めるためかもしれないが、危険を感じたのは、初対面の時だけだ。

「まあ、朝顔さんがいるから、大丈夫でしょうが……」

 曖昧に言葉を濁すと、店主は花を見る。

「改めまして、私がここの店主の豹と申します」

 顔に似合わない勇ましい名前だった。呼び名だとしても、雰囲気と結びつかない。花の名前は白鷺につけてもらったが、朝顔を含め、彼らはどうやって呼び名を選ぶのだろう。ふとそんなことが気になった。が、今はもちろんそれを聞くために来たのではない。

 いったん、その疑問は胸の中にしまって、花は店主に向かって頭を下げた。

「私は、花です。よろしくお願いします」

 花が鈴を店主に差し出すと、彼はそれを恭しく受け取った。

「では、お預かりします。僕にわかるのは、鈴が持っている記憶のようなものです。あなたが思うような情報は得られない可能性もありますが、構いませんか?」

「それで十分です」

 元々、今の花には何の情報もない。小さな情報でも、縋りたい気持ちなのだ。

 そんな必死な花の様子に気がついたのだろうか。店主は、安心させるように笑ってくれた。

「では、"視"させていただきますね」

 店主は、鈴を手の平で包み込むようにして目を瞑った。

 花が固唾を飲んでそれを見守る中、いつのまにか騒いでいた狢たちも静かになっている。

 いったい、彼は何を視て、何を語るのか。

 祈るように胸の前で両手を合わせ、花は、じっと店主を見つめ続けたのだった。



 どのくらいの時間、花たちは店主の様子を眺めていただろう。

 店主が息を吐き、その目をあけ、疲れたように微笑んだのを見て、終わったのだろうかと花は期待に満ちた目を彼に向ける。

「これは、随分古いものですね。どうやら、元々、貴女自身の持ち物ではないようです。何か……落として踏んだようなイメージがありますが、壊したのはあなたではない、けれどもあなたに近い人のようです。うーん、それ以外は、何かが邪魔をしてよく視えません」

「それだけですか?」

「ええ。……あ、鈴を壊した人は、あなたの側にはもういないかもしれません」

 結局、詳しいことはわからないということだろうか。

「邪魔っていうのは、ここが異界だからですか? それとも物理的に?」

 何かが邪魔をしているというのならば、それをしている誰かがいるはずだ。では、それは誰なのだろう?

「異界だからというのは関係ないですよ。これは、僕個人の能力だし、邪魔しているのは、この鈴に働いている『何か』です。本来ならば、これを持っていた貴女のことも視えるはずなんですが、それもダメだし。嫌な感じだなあ」

「何が邪魔しているのかはわからないんですよね?」

「さすがにそこまでは」

 少しだけがっかりした。けれども、何もわからないよりはましだと思い直す。

「ただ、何かは邪魔していますが、この鈴は、あなたを守るもののような気がします。決して手放したりはしないように。僕に言えるのは、それくらいかな」

 鈴を返しながら、店主はそんなことを言う。

 返された鈴を受け取りながら、花はため息をつく。

 これからどうすればいいのかわからないという事実は変わらないままだ。

 そんな落ち込んだ様子の花が見せたせいか、店主が慌てたように声をあげた。

「え、ええと。どう考えてもお代分の働きをしていないので、もしまた何かありましたら、言ってください。役に立てるかどうかはわかりませんが……」

 やはり、本質的にはいい人なのだろう。

 無理難題を言ったのはこちらだし、人間のことも好きではないと言ったのに、相手が困っていると強く出ることができない。

「ありがとうございます」

 手掛かりがあまり掴めなかったのは残念だが、その言葉は自然に出てくる。

 気がつけば、頭を下げる狢と朝顔の姿が目に入った。

 わけがわからないことになっているし、まだ花の中に疑う気持ちがあるのに、この人たちはこんなにも一生懸命になってくれている。

 そこにどんな思惑があったとしても、花は今のところ一人ではないのだ。

 そう思うと、何故か涙が出そうになった。



 外に出ると、やはり人通りはなかった。

 だが、来た時とは違う音がする。

「祭り囃子の音が聞こえませんか。さっきまで、静かだったのに」

 耳障りな音は、前に聞いた音に似ている。

「本当だ。おかしいねえ」

 朝顔がしきりに首をひねっている。

「なんだろうな、嫌な感じだ。こんな音、普段は聞こえない」

 気を付けろと言われるが、花には気持ち悪さは感じられても、狢が難しい顔をするほど危険だとも思えない。

「異界でも、祭はあるんですか?」

 歩いた時に、神社も見た。お寺のようなものも建っていた。住民は見ていないが、祭があってもおかしくはない。

 音が聞こえて来る方に視線をやると、ぼおっと赤く光っているように見える。そこに鳥居も見えた気がした。

「やっぱり祭なんじゃ……」

 振り返ると、そこには誰もいなかった。

「狢さん? 朝顔さん?」

 呼んでみるが、返事がない。


 風が吹いた。

 生ぬるい、どこか熱気を感じさせる風。

 舞い上がる砂埃に目を瞑ったとたん、耳元に祭り囃子の音が響く。


 ぴい、ひゃら、どん。


 その音に驚いて目を開くと、そこは苔むした石畳の上。

 並ぶ屋台からは、明るい光が、遠く見える社からはざわめきが聞こえるが、けれども、そこには誰もいない。

 花は、そこに立ち尽くしたまま、起こってしまった状況を理解できずにいる。

 

「ここ、どこ? みんなはどこに行ったの?」

 呆然と呟くと、手の中の鈴がほんのりと熱くなったようが気がした。

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