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【二十】

 目が覚めると、花の頬に硬いものがあたっているのに気がついた。

 大きくて、温かいそれは、誰かの膝だ。

 視線を動かすと、花を見下ろす狢の顔があった。

「む、狢さん?」

 呼び掛けて、自分の体勢に気がつく。

「膝枕……」

 呆然と呟いたのは、自分が狢の膝の上に頭を乗せて、寝ていたということを知ったからだ。

 しかも、右手が狢の服の裾をしっかり掴んでいる。

「ああ、起きたか?」

 伸びてきた狢の手が、花の頭を撫でた。小さな子供にするような仕草だったが、今は心地よい。おかげで、起き上がろうとした気持ちが、削がれてしまった。

「随分、難しい顔をして寝ていたぞ」

 からかうように言われて、花は狢の服をさらに握り締めてしまった。

 夢の内容を、思い出したからだ。

 まるで本当の出来事だったかのように、ひとつひとつのことを覚えている。『おねえちゃん』の記憶も、あの女の子と話した内容も。

 そして、同時に、朝顔の家の前での出来事に、胸が痛くなった。

「鈴、盗られちゃったんですよね。あれから、どうなったんですか」

 黒い影はどうなったのか、少女はどうしてしまったのか。意識をなくしてしまった花にはわからない。

「そうだな。……あいつは、逃げていったよ」

「そうですか……」

 鈴が目的だったのだから、それを手に入れて、さっさと消えてしまったということなのだろうか。

「花は気を失っちまったから、移動したんだ。あそこにいつまでもいるのも危ないからな」

「危ない?」

 少女がいなくなってしまったのなら、一時的とはいえ、危険はなくなったのではないかと思ったが、狢の顔を見ていると、どうやらそんなに単純なことではないらしい。

「まあ、いろいろあったんだよ。後で詳しく話す。それより、花のことだ」

 自分のこととは、どういう意味だろう。花が不思議そうに見上げると、狢は口元を歪めるようにして笑った。

「何があった? 何か辛い夢でも見ていたか?」

 優しい声には、花を気遣う気持ちが感じられる。だが、その目はどちらかというと、獲物を見つめる獣のようだ。花の答えを聞きたくて仕方ないというふうにも見て取れる。

「誰の夢を見た?」

 答えることを躊躇っていると、たたみかけるようにそう聞かれた。

 どうしようと、素直に花は思う。

 嘘を答えることは簡単だ。何も夢を見なかったというのも、覚えていないというのも、花の自由。だが、それをしたくないと思うのは、花が狢に気を許してしまっているせいなのだろうかと、また考えてしまう。

 握り締めた手が狢の服を放せないのも、その証拠なのではないか。

一人で心の内に抱え込むには、花自身がまだ混乱しているせいだとしても、それだけでは片付けられないような気もする。

「話したくないなら、無理はしなくてもいいぞ」

 そう言いながら、狢は相変わらず聞きたくて仕方ないという感じだ。狢らしいと思うと同時に、こうやってたまに分かりやすいから、警戒できなくなってしまうのだ。

「『おねえちゃん』の夢を見たんです」

 結局は、話せることだけ口にしようと決めて、花はそう言った。『名前』のことは言えないが。

 そんな花に対して、狢は黙ったまま頭を撫でてくれる。

「おねえちゃんのこと、私は忘れていた。今、じゃなくて、ここへ来る前からずっと。私だけじゃない、お姉ちゃんに関わるみんなも」

 独り言めいた言葉だけでは、狢にも意味がわからないかもしれないと思った。けれども、彼は『そうか』と口にしただけで、それ以上は何も言わなかった。

 だからなのか、とりとめのないことばかり、口からこぼれ落ちてしまう。

「おねえちゃんはいつだって私を守ろうとしてくれていたのに、いなかった人として、記憶から閉め出してしまった。きっと、私だけは忘れてはいけなかったのに」

 目を閉じれば、夢の中で思い出した記憶が鮮明に甦る。

 繋いだ手の温かさも、『秘密だよ』と言った声さえも、思い返すだけで涙が出そうになった。

「でも、思い出せてよかった。『おねえちゃん』と会えてよかった」

「悲しいだけの夢じゃなかったんだな。……難しい上に変な顔をしていたから、本当に心配したんだぞ」

「変な顔って、どんな顔ですか」

 そうだ、狢の言うとおり、悲しいだけの夢ではなかったはずだ。

 全部ではないが、少しだけ記憶も戻ってきた。何かきっかけがあれば、自分の名前を思い出すのも可能かもしれない。

「でも、まだ自分のことは、全部思い出せていないんですよね。……夢の中の『おねえちゃん』が言っていたんです。記憶を取り戻す方法」

「この世界のどこかに、記憶が落っこちているって言われたんだろ?」

「知っていたんですか?」

「ここへ流れてくる人間の大半がそうだからな。ただ、それを見つけるのが、大変ってだけだ。落とした場所へ辿り着くのも、難しい」

 探し疲れてしまった者の中には、この世界に留まり、元の世界へ帰ることを諦めてしまったものもいるし、まだ探し続けているものもいるという。

「きっかけさえあれば、簡単なんだけどな。ヒントは、いろんなところに転がっている」

 実際は、狢が言うほどに簡単にはいかないのに、と見上げた花は泣きそうになる。

「大丈夫。花が落とし物を探す時は、俺がちゃんと守ってやるから」

 いつか見た時のように、狢はとても嬉しそう――いや、楽しそうだ。

「え、大丈夫ですよ。自分で頑張ります」

 素直に頷くのは駄目なような気がして、花は慌ててそう言った。

「花はそう言うと思った。けど、探しものをするには、ちょっと状況がよくないんだよ」

「そういえば、さっき、今の状況は後で話すって言っていましたよね」

 狢は花の方が先だと言っていたけれど、本当ならば、何があったのかを先に確かめなければいけなかったはずだ。

 そもそも、ここがどこなのかも、花にはわからない。

 辺りをよく見回せば、薄暗いけれども部屋の中だということはわかる。

 畳に、土壁。天井は木で、特に変わったところはない。

「ここは、どこなんですか?」

「……『朽ちかけた女』の家だ。花も前に会ったことがあるだろう?」

 沼まで届け物をした時に話した女性のことを思い出す。

 何故、その人の家にいるのだろうか。

「実は、今、あちこちに『穴』があいて、大変なことになっている。おそらく、あいつが続けて無理に穴をあけたから、界を隔てる壁がもろくなってるんだ。特にあっちから何かが流れてくるというわけじゃないんだが、あんまり『穴』が開くと、この世界自体が不安定になるし、力の弱いものは、『穴』の向こうに吸い込まれちまうからな」

「そんな! すごく大変なことじゃないですか」

 思わず起き上がってしまった花に、狢が落ち着かせるように笑ってみせた。

「穴の方は白鷺が頑張って閉じてまわってるから心配ないだろうが、自分で身を守れないものは危ないからな。『朽ちかけた女』は強力な結界を張ることが出来るから、ここへ避難しているんだ」

 狢はそう言ったが、あたりは静かだ。

 この部屋にも、花と狢しかいない。こういう状況にあっても、人間の前に現れないという気持ちは徹底しているらしい。

「それならば、外は危ないんですか?」

 『おねえちゃん』と約束したのだ。落とし物を探して、記憶を取り戻すと。

 時間がどのくらい必要なのかもわからないし、急がなければという気持ちもある。それに、朝顔にも会いたかった。

 穴がすべてふさがるまで待ってなどいられない。

「穴自体は、恐くない。俺はな。ただ、花が一人で出歩くとなると、ちょっとなあ」

「でも……!」

「わかってる。一刻も早く記憶を取り戻したいんだろ。それに朝顔にも会いたい」

「どうして、わかるんですか!」

 狢の言うとおりのことを考えていた花は、驚く。そこまで夢の話はしていないし、考えを口にしたわけでもない。

「花のことなら、見ていたら大体わかるんだよ」

 自信たっぷりだが、胡散臭い。

 きっと、今までの花の行動や態度を見て想像したのだろうと考えることにした。

「朝顔の方は、白鷺の家にいると思う。あそこも、ここと同じように安全だからな」

 それならば、彼女は無事ということなのだろう。

 すぐに会いにいきたいと思ったが、それよりも先に、花にはすることがある。

 朝顔が『おねえちゃん』ではないかと、今でも花は思っている。だが、まだ根っこの部分で、確信が持てない。やはり自分自身の名前と記憶をちゃんと取り戻さなければ、

 本音を言えば、鈴だって取り戻したい。

 夢の中の女の子は、もうあれはからっぽだといったが、それでも花にとっては大切なものだったのだ。

「狢さん。本当に手伝ってくれますか?」

 きっと一人では迷子になる。

 穴も、目の前にしたら恐い。もし途中であの少女に会うことになったら、それも嫌だ。戦うことにでもなったら、あっさり花は負けてしまうだろう。

 胡散臭くても、『鬼』という存在を皆が危ないと口にしても、頼ることのできる相手は、狢しかいないのだ。

「当然だろう? 俺は、花をちゃんと食べたいんだからな」

 今のままの花は食べられないと、まったく悪びれることもなく言い切る狢は、信じられるような気がした。

「お願いします」

 花は居住まいを正すと、狢の目をしっかり見つめてから、頭を下げた。

「おう、任しとけ」

 いつもと同じような、自信たっぷりの声は、何故か花を安心させた。

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