表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/26

【十八】

 気がつけば、花は薄暗い場所に一人で立っていた。

 狢の姿もないし、あの少女もいない。

 辺りを確かめてみれば、どこかの狭い道の真ん中にいるのだとわかる。

 左右には、真っ暗で人の気配もしない古びた家。街灯はあるが、今にも消えてしまいそうで、暗い道を照らすほどではない。

 後ろを振り返ってみれば、まっすぐ伸びた道の先は真っ暗で、何も見えなかった。

 正面も同じく道は先へと続いているが、後ろ側と違ってぼうっと明るい。

 自分はどうしてしまったのだろう。

 先ほどまで、確かに花は朝顔の家の前にいたはずだ。

 黒い何かに鈴を取られ、体から何かが抜けている感覚があったのは覚えている。それから意識が遠くなって――いつのまにか、ここにいたのだ。

 夢を見ているのか、まさかとは思うが、また違う世界に飛ばされてしまったのか。

 どうすればいいのかわからず、途方に暮れていると、かすかに、何かの音がしているのに気がついた。

 耳をすませば、聞こえてくるそれは、祭り囃子。

 もの悲しい笛や太鼓の音が、途切れ途切れに耳に届く。だが、それはどこかいびつで歪んだ音色をしていた。

 最初、迷い込んだ時に聞いた音とよく似ているが、耳障りというほどでもない。

 集中して音がどこから聞こえてくるのか確かめてみると、ぼんやりと明るい光の方からのように思えた。

 あの先には何があるのだろうと、意識して目をこらせば、それは神社の参道だった。

 両側に屋台が並んでいて、それぞれから薄ぼんやりとした光が漏れているが、主はおらず、店を覗き込む人もいない。

 しかも、ところどころが、まるで消しゴムで消したかのように掠れて黒く見えている。

 進むべきか、もう少し様子を見るべきなのか。

 どうしようと、ただ立ち尽くすだけの花は、聞こえてくる音が祭り囃子だけではないことに気がついた。

 か細く弱々しい泣き声がする。

 一瞬、あの少女のものだろうかと思うが、泣くという行為が、結び付かない。

 なにより、あの少女と違うと思うのは、その泣き声に懐かしさを感じたからだ。

 あんなふうに泣く誰かを知っているような気がする。

 もう一度、花は後ろを振り返った。暗くどんよりとした空気はさきほどと変わっていない。声も、音もせず、見ているだけでも不気味だ。

 だとすれば、やはり前に進むしかない。

 大きく息を吸うと、覚悟を決めて前へと歩き出す。

 ここがどこなのか、また違う場所に飛ばされてしまったのか――それとも夢なのかを確かめるために。



 それほど歩くこともなく、花は参道に辿りついた。

 遠くから見ていたときは、長く続いているように思えた参道だったが、実際は短く神社の社はすぐそこだ。

 境内は、参道と比べて明るいが、やはり人はいない。

 だが、泣き声は聞こえてくる。むしろ、先ほどよりはっきりしているくらいだ。

 もし声の持ち主がいるとすれば、境内の中だろう。そう思ってぐるりと見回すと、賽銭箱の横に隠れるようにして、少女が座り込んでいる。

 俯いたまま、両手を胸の前に交差するようにして、何かを持っていた。やはり、すすり泣きはその女の子から聞こえてくるようだ。

 用心深く近づくと、その子の姿がはっきりと見えてくる。三つ編みで、その朝顔柄の浴衣には見覚えがあった。

 写真の女の子と似ているような気がする。

 あの子も、同じ髪型をして、似た柄の浴衣を着ていた。

 なにより、胸が痛い。せつないような、苦しいような気持ちが、女の子を見ていると湧き上がってくる。

 喉元までせり上がってきたその何かは、熱い塊になって、花の記憶を揺さぶった。

「……おねえちゃん」

 思わず口をついて出た言葉に、花自身が驚く。

 何故そんなことを言ってしまったのかわからない。何も覚えていないというのに。

 だが、花の声を聞いた女の子は、ゆっくりと顔を上げた。

 泣いているその顔を見て、息がつまりそうになる。

 自分によく似ていた――姉妹だ、と言われれば納得してしまうほどに。

「ごめんなさい」

 言葉をなくしてただ見つめることしかできない花に向かって、女の子はそう口にした。

 謝られる理由がわからず戸惑っていると、少女の目から再び涙がこぼれ落ちた。

「巻き込んでしまって、ごめんなさい」

 その必死さに、花は目を丸くする。何度も謝るけれど、どうしてなのかはわからない。

「でも、でもね、これだけは守ったから」

 そう言って女の子が差し出したのは、先ほどまで大事そうに持っていたものだ。

「鈴……」

 女の子の小さな手の平には、鈴があった。

 花が持っていたものによく似ているが、まだ新しそうに見えるし、潰れてもいなかった。

「私の鈴は盗られてしまったよ」

 だから、それは、私のものじゃない。花がそう言うと、女の子は、悲しそうな顔をした。

「うん。だけど、あの鈴の中にあった大事なものは、守ったの。それが、これだよ」

「大事なもの?」

「私が昔、鈴の中に隠したもの」

 どういうことなのか聞き返そうとしたとき、女の子は立ち上がり、手を伸ばして、花の胸にその鈴を押し付けた。

 その鈴は、花に振れたとたん弾け、同時に火花のようなものが散る。だが、熱くはない。

「それはあなたに返すから、どうするかはあなたが決めて」

 女の子がそう言ったとたんに、火花が花の体に吸い込まれ、消えていった。

 その瞬間、頭の中に、膨大な量の何かが溢れてくる。

 誰かの声、誰かの顔。

 懐かしい景色と、楽しかった会話。

 花の手を引いて歩いていく、白い影。

 これは、全部、『おねえちゃん』の記憶だ。

 漠然と、頭の中で、そのことだけはわかる。

 追いかける背中に、覚えがあった。

 花を撫でてくれた手の感触を覚えている。

 けれど、それを『返す』って、どういうこと?

 花の疑問をわかっているように、目の前の女の子が微笑む。

 泣きはらした顔で、それでも精一杯の笑顔を浮かべている。

「あなたは、誰?」

 問いかけの答えは、もうわかっている気がした。

 何かの映像を再現しているかのように、頭の中に記憶が戻って来る。

 忘れていたことが嘘のように、過去の出来事がしっくりと体の中に入り込み、再生されていくのだ。

「思い出させて、ごめんなさい」

 女の子の声とともに、私の意識は、溢れてくる記憶の波に飲みこまれていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ