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【十五】

「この辺り、なんですよね」

 花が確認するように隣にいる男を見上げる。

 白鷺に、朝顔が住んでいる場所を教えてもらい、そこなら案内できると自慢げに言った狢について歩いてきて、数十分。

 町並は、花が今寝泊まりしているところと違い、一軒家が多い。古くはないが、新しくもない、どこにでもありそうなごく普通の景色だ。

 ただ、雨のせいではない人の気配の少なさだけが、異様である。

「ああ、前に一度来たことがあるから、白鷺の案内が正しければ、そろそろ着くはずなんだが」

 そう言うわりには、あまり周りを見ていないようだが、狢の歩みには迷いがない。

「雨が小降りになって、よかったよな」

 狢の言葉に花も頷く。

 結局、白鷺のところで、大きめの傘を二つ借りた。ついでに、どこから出してきたのか、長靴まで用意してくれたのだ。

 正直、もうあんなふうに濡れるのは嫌だったから、ありがたく借りることにした。

「あの家じゃないかな」

 狢が指差したのは、ごく普通の一軒家だった。

「青い屋根の2階建ての家ですか?」

「そうだ。白鷺が行っていたとおりに、庭に松の木がある」

 なんとなくだが、朝顔はもう少し、古びた家に住んでいるようなイメージがあった。

 いつもの浴衣姿というのもある。白鷺のような例もあるのだ。どんな家に住んでいたからといって、各人の自由ではあるのだが。

 それに、それだけではない。

 最初に、狢が家を示したときから、妙な感覚があった。

 この家を、どこかで見たような気がする。

 よくある外装の家だからというわけではない。じっと見つめていると、胸の奥の方がうずくような、引っ掛かるような、奇妙な感情もわき上がってくるのだ。

「どうした、花」

 足を止めてしまった花を振り返り、狢が問いかけてきたから、花はなんでもないと答えた。

 具体的に、何がどうひっかかるのか、花自身にもわかっていないのだ。

「あんまり普通の家だから、驚いたか?」

 狢は花の様子を、そういうふうにとったらしい。

「この世界の住人の多くは、以前自分と関わりが深かった家に近い感じの建物に住むことが多いんだ。だから、中には、今にも崩れ落ちそうなアパートとか、店舗みたいな場所に住んでいるやつもいるぞ」

 言われてみれば、立ち並ぶ家は、ありふれてように見えて、どこか微妙に何かが違っている。

 例えば、窓の大きさが不自然だったり、屋根の傾斜がおかしかったり、2階と1階の高さが奇妙だったり。

「記憶ってのは、意外と曖昧だからなあ」

 狢の言葉に頷いたのは、今花がいるマンションの一室を思い出したからだ。

 あの部屋も、何もかも完璧なように見えて、肝心なところが抜けていた。

「さてと。朝顔のところまでやってきたわけだが……どうする?」

 狢に問いかけられて、花は傘を持つ手に力を込めた。

 白鷺の言葉に促されるように、勢いで朝顔の家に来ることを決めてしまったが、こんなところまで押しかけて、本当に突っ込んだことを聞いていいのだろうか。

 出会った頃の朝顔は、花自身のことや鈴に関しては何も知らないかのような態度を見せていた。

 おかしくなったのは、あの少女に会ったあたりだっただろうか。

 それより前にも何か徴候があったのかもしれないが、花にはよくわからなかった。

 あのノートのこともそうだ。

 『田中奏太』という名前を出した時の朝顔の声は忘れられない。何か知っているのに隠していると確信してしまった。

 その上で、尋ねても彼女は答えられないと正直に言う。

 今までがそうだったのだから、今更聞いても、答えてくれるとは、やはり思いにくい。

 鈴のこと、少年のこと、それに、死者なのかどうか――それらが、自分の記憶を取り戻し、元の世界に帰るために必要なのだとすれば、朝顔が知っていることを聞きたい。

「……朝顔さんに会います」

 ここまで来たのだ。

 例え、どんな結果が出ても、心の中にある疑問をあやふやにはしたくない。

「わかった」

 狢はもう何も言わなかった。

 そのまま朝顔の家に近付くと、玄関先にあるインターホンを押す。

 朝顔は自分が来たことに驚くだろうか。

 狢の横で、玄関の扉を見つめながら、そんなことも考える。もし、彼女が会いたくないと思えば、ひょっとすると出てきてくれないかもしれない。

 だから、実際は短い時間だったのかもしれないが、扉が開くまで、花にはとても長く感じられた。

 やがて開いた扉からは、白鷺の家とあまり変わりない姿をした朝顔が除く。

「来ちまったんだね」

 どこか諦めたような口調に、花は項垂れる。

「大丈夫、花の選択は間違ってはいないよ。元々、ヒントは小出しにしていたんだ。私としては、もうちょっと早くここへ来るかと思っていたんだけどねえ」

 朝顔の声は優しい。だからこそ、花は悪い事をしたような気分になるのだ。ここに狢がいなかったら、そのまま逃げ出してしまっていたかもしれない。

「何かが聞きたくて、わざわざここまで来たんだろう?」

促されるように、朝顔が心配だったこと、鈴のことで本当は何か知っているのではないか、と尋ねる。

 それから、もう一つ。

 一番聞きたかったこと。

「白鷺さんが、穴を恐れるのは死者だと言っていました。朝顔さんは、そうなんですか」

 ほんの一瞬、朝顔がたじろいだように見えた。

「……確かに、花がそう思うのも当然だと思うし、他にも私は隠していることがあるよ。でも、それを私の口から言うことはできない。知りたければ、自分で探してみな。ヒントはこの家の中にある」

「朝顔さん」

 さきほどの再現のように、朝顔は花の横をすり抜けて出て行こうとする。

「私は、白鷺のところにいる。何かを見つけたら、そこに戻っておいで」

 今度も追いかけようとした花を狢が止めた。

「だめだ、花。ここで朝顔の言葉を無視すれば、なにもかもが無駄になる。無くしたものを探すためのヒントは、いつまでも、有効じゃないんだ。朝顔の好意を無駄にするな」

「でも……」

 朝顔の去って行く背中は、とても寂しそうだった。

 追いかけてしまいたいと思うほどに、胸も締め付けられた。

「朝顔のことを知りたいっていうなら、俺はそうした方がいいと思う」

 狢の言いたいことはわかる。

 わかるだけに、朝顔の様子を放ってまでするべきことなのかと、迷いが出て来てしまうのだ。

「花は、元の世界に帰りたいんだろう? ここに留まるつもりなら、朝顔を追いかけるのもありだ」

 そう強く言われれば、もう花には反論することは出来ない。

「わかりました」

 不服そうな顔のまま頷くと、狢は苦笑した。

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