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【十】

 びっくりした、と、花は骨董品屋への帰り道、何度もそう口にした。

 普通の人ではないと思っていたが、まさか幽霊のように消えてしまうとは思わなかったのだ。

「なんだか背中がぞくぞくっとしたし……幽霊じゃないんですよね?」

 狢は、『朽ちかけた女』と呼ばれる女性は、古木だと言っていたはずだ。

 箱を渡した時にも、確かに実体はあったし、向こうが透けて見えることもなかった。

「あー、なんだっけ。花たちの言う、妖怪みたいな感じか?」

「妖怪?」

 長く使ったものや、古くからあるものが変化して、ということなのだろうか。

 花の記憶の中にある妖怪は、もっとコミカルな感じだったので、どうしても違和感を感じてしまう。

「本来、ああいうものは人間にとっては怖いものらしいからな。花がそう思ってもおかしくはない」

「感情的に怖いんじゃないんです。身体の方が怖がっているというか……」

 つまり、それはあの女性が言ったように、花の感情が欠けているという証拠なのではないか。

 だとすれば、その欠けた何かを取り戻せば、記憶も戻るという可能性もある。

「そうだな、花は俺と話す時は普通なのに、近づいたり触れたりすると、体の方が反応している。『鬼はコワイ』って感じだな」

 そういう意識はなかった。

 花の中では、『鬼』というより狢が異性であるという感覚が強いから、そちらの方で体が反応しているのだと思っていたのだ。

 それに、まったく狢が怖くないわけではない。たまに『怖い』という感情が湧いてくることもあるのだ。その感覚が、少し鈍いだけで。

「あまり深く考えない方がいいぞ。……ああ、もう骨董品屋が見えてきた」

 狢の言葉に顔を上げると、骨董品屋の古びた建物が見えてきた。

 玄関の前には、店主がいて、行ったり来たりを繰り返している。

「何しているんでしょう?」

 時々立ち止まってため息をついたり、空を見上げたり、地面を見つめたり。

 どう見ても、おかしな態度だ。

「おい、何やってるんだ!」

 よく通り声で、狢が呼び掛けると、店主が飛び上がった。

「うわあ!」

 大声とともに、店主は尻餅をつく。

「だ、大丈夫ですか」

 花が慌てて駆け寄ると、弱々しい声で「大丈夫です」と返事が返ってきた。

「なかなかあなたが帰ってこないから、食べられたのかと思いましたよ」

 よかったよかったと喜ぶ骨董屋の様子に、花は呆れる。危険はないと言っておきながら、内心では、食べられたらどうしようと思っていたということなのか。

「俺がいるのに、勝手に食べさせたりしない」

 ごん、と店主の頭をいい音とさせながら狢が叩くと、ぶひゃーというよくわからない悲鳴が上がった。

「い、いたい、痛いです!」

 ごりごり、と音がしたような気がして、花は立ち止まったまま、困ったように二人を見つめる。

「だって、あの人、怖いですから。気に入ったものは、ばりばり食べてしまう方ですから!」

「なるほど。お前、夫人に気に入られているんだな」

 にやにや笑っている狢は、楽しそうだ。反対に、店主の方は青い顔をしている。痛みだけが原因ではなさそうだ。

「あ、あの。意味がわからないのですが」

 二人にはわかっているのかもしれないが、花にはまだ会話の意味がわからない。それを補足してくれたのは、狢だった。

「つまり、夫人にとってこいつは、俺から見た花みたいなものだってことだ」

「……食べたい相手」

「そういうことだ」

 思わず、気の毒そうな眼差しを店主に向けてしまった。

 もしかすると、彼が『朽ちかけた女』と呼ばれる彼女の所へ行きたがらないのは、そのことがあるせいかもしれない。

「ただし、あれは俺と違って、雑食だからな。人間だけじゃなく、妖怪や怨念なんてものも食べる」

 花からすればどっちも同じ気がしたが、もちろんそれは口にはしない。

「でも、大丈夫です。食べられない対策は頑張ってしていますから」

 頑張って、というところが少し弱々しかった気がしたが、それも指摘はしないことにする。店主が泣きそうな顔をしていたからかもしれない。

「とりあえず、これは届けてきましたよ。入れ物は返してもらったけれど、よかったんですよね?」

「はい、ありがとうございます」

 ほっとした顔で店主は花からそれを受け取ると、大きく息を吐いた。

「お約束どおり、視てあげます。何を視ればいいのですか?」

 そう言われて、花はポケットの中に入れていた、鈴を取り出した。

 前に、視てもらった時は鈴だけだったが、今は元通り鍵もついている。

「前は、この鈴だけ見てもらったんですけれど、今回は一緒についていたこの鍵をお願いしたいんです」

 古びて使い込まれた鍵は、記憶にはなくても、花の手にしっくりと馴染んでいる。

「あれ、ちょっと待ってください。この感覚……」

 店主は、鈴と鍵を受け取ったとたん、不思議そうな顔をする。

「おかしいな。前視た時と、感じが違います。あの後、誰かに会いましたか? それか、これを誰かが触れたとか」

「会った、というか、変な人と遭遇しました」

 隠すこともない話だったから、花は正直に、昨日あったことを話す。

 聞き終わった店主は、難しい顔をして、鈴を視ている。

「なるほど。この界の住人以外の気に当てられたのか、術にほころびが生まれています。それに、この鍵……ゆかいな感じです」

「なんですか、それ」

 まさか、店主の口から愉快などという言葉が出て来るとは思わなかった。

「鍵を手にすると、なにやら楽しそうな感情が視えてくるんです。わくわくとか、どきどきとか、嬉しいとか。それが強すぎて、他はみえにくいのが残念ですが」

 結局、鍵に関しては何もないのか。

 そう花ががっかりしたとき、店主が思いがけないことを言い出した。

「ただ、この鈴の方は、術のほころびのせいで、前には視えなかったものが視えてきています」

「本当ですか?」

「はい。ちょっと、待っていてください」

 店主はそう言うと、鈴と鍵の両方を手に包み込むようにして、目を瞑った。

 何が出て来るのか――息を詰めるように花は見つめる。

「んー、なんだか、人の姿が視えますねえ……」

「人?」

「小さな男の子、かな。何かを持って……あれ?」

 店主の顔が、顰められる。

「あれ? なんだか見覚えてがある名前が……ちょっと待ってください」

 目を開けた店主は持っていた鈴を花に押しつけると、慌てたように店の中へと入っていった。

 それほど待つこともなく出てきた店主は、その手に古ぼけたノートのようなものを持っている。

「これ、これですよ! 随分前に、この異界に流れ着いた物の中にあったんです」

「ああ、そうか。ここには、人間の世界から、いろんなものが流れてくるからな」

 人間だけでなく物も、と狢は言う。

 そういえば、骨董屋の中にも、見た事はある古い物がいろいろ並べてあった。あれも、流れてきたものなのだろうか。

「これ、さっき鈴から視た男の子が持っていたものです。恐らく、貴方に関係あるもののはずですから、持って行ってください」

「いいんですか?」

「お使いを頼まれてくれましたからね。それに、これも長い間売れ残ったものですから」

 確かに、これが欲しいという人は少ないかもしれない。

「ありがとうございます」

 素直に受け取ることにして、花は感謝の言葉を口にした。

 渡されたノートは、表紙には動物の写真があり大きく『絵日記帳』と書いてある。

 下部分には、名前を書く欄があり、あまり上手くはない文字で、名前が記入してあった。

「3ねん1くみ、田中奏太……?」

 知らないはずの名前なのに、口に出してみると、妙に馴染む気がする。

 知り合いなのだろうか?

 古びたノートを見つめながら、花は、どこかにあるはずの記憶がまったく思い出せないことに、胸が苦しくなった。

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