蕾
ある日その木の下で涙を流す娘の元へ、一人の青年がやって来ました。そしてこう言います。
「涙は幸せが逃げて行くと言います。」
青年は青いハンカチを娘に手渡し、こう続けました。
「けれど、涙はこの世で一番尊く美しいものです。無理に止めようとしないで。」
その言葉を聞いた娘の涙は止まる事を知りません。
そんな娘に対し青年は、それ以上何も言わず、傍らに腰掛けました。
娘にとっては久方ぶりのゆったりとした時間が流れました。
しばらく涙を流し落ち着いた娘は青年に言います。
「ハンカチ、ありがとうございます。洗ってお返ししますね。」
「……。」
ただ微笑むのみの青年。
「あの、差し支えなければお名前を…いや、見かけないお顔なので。」
「私はただの流れ者、名乗る程の者ではありません。」
相変わらず張り付いた微笑みを浮かべる青年は、娘にとって少し恐怖を覚えるものでした。
「私も、差し支えなければ貴女の涙の理由を教えて頂きたい。」
突然言われたそれに、一瞬目を見開きますが、すぐに俯きはにかみながら、その理由を語りました。
「そうでしたか、それは気の毒に。…つかぬ事をお聞きしますが、もしやお探しの薬とはこれでは?」
青年は手荷物の中からある薬をだします。
それはまさに、娘が母親の為に探していた薬だったのです。
「それです!けれど何故貴方が…?」
娘から青年へと送られる疑いの眼差し。
しかし青年はそれをさして気にする様子はありません。
「…それは、秘密です。貴女は何も聞かずこの薬を受け取ってください。」
「え…い、いいのですか?今は戦争で薬は貴重品と聞きます。」
怪しいと理解しつつも、手を伸ばそうとしてしまう。
それくらい、娘は追い詰められているのです。
「えぇ。ただしその代わりに…」
少しの間が空き、
危険を感じた娘はとっさに身構えました。
「これから毎日、こうやって話し相手になっては頂けませんか?」
予想外のことばに娘はホッと一息つきました。
そしてこう返します
「私でよければ。」
それはそれはもうとびきりの笑顔で。
「じゃあ時間は…」
二人は同じように空を見上げます。
「「空が一番綺麗なこの時間で。」」
二人の声は見事に重なります。
お互いに紅い花を咲かせる様子は、とても初々しく…
これが、悲劇の元に咲く花の蕾だなんて
誰が知り得たのでしょうか。