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挿絵(By みてみん)



5、


その日は、乃亜のリハビリに付き合って一日を過ごし、夕食を食べて、自宅へ戻った。

帰り際、一人になるのが心細いのか、不安そうな顔で俺を見送る乃亜に、後ろ髪を引かれる思いもしたが、俺もしがないサラリーマンだ。

いつまでも居心地のいい楽園で過ごすわけにもいかない。


車で帰宅した頃には、夏の遅い日の入りも終わり、辺りはすっかり暗闇だった。

暗い部屋に灯りを付け、熱帯魚の魚たちに餌をやる。

気持ちよさそうに泳ぐ魚たちを眺め、俺は緊張から解かれたように大きく深呼吸をした。


乃亜をいるのは楽しいし、幸せな気分に浸れる。

乃亜はたまらなく可愛いし、これから先ずっと守っていきたいと、本気で思っている。

だけど…こうやって独りになってみると、ただ「恋」ってやつに浮かれているだけのようで、どこまで本気で乃亜を想っているのか…自分の心が、わからなくなる。


乃亜はどうだろうか…。

一度携帯へ電話を掛けたが、話し中らしく通じなかった。もしかしたら相手は兄貴かも…。

俺を諦めろと説得されているのかもしれない。

…家族としては当然だろう。


俺は家族から愛されている乃亜を、どこかで羨ましいと感じてはいないだろうか。

ゲイである俺には普通の家族…夫婦から子供が生まれ、家族が増え、子供に未来を託す…そんな幸せは望めない。だけど、男しか愛せない俺だって、父親と母親から生まれてきた。どこにでもなる普通の幸せな家族だったんだ。

母さんが死んで、父さんがこの家を去り、俺は置き去りにされた子供みたいに、寂しがっているだけじゃないのだろうか。

ただ自分の孤独を埋めたいがために、乃亜を俺のものにしようと必死になっているだけじゃないだろうか…


今まで乃亜は家族に守られて、幸せに生きてきた。それと同等の幸せを、俺は乃亜に与えてやれるだろうか…


…冷静になって考えてみれば、乃亜と出会って、まだ十日しか経ってない。会話もほどほどに、セックスが合うからと、そればかりで楽しんでいた。

それ以外の乃亜の何を知っているのかと言われれば…何も知らないようなもんだ。


ただ好きだから、一緒に居たいからって…青春まっただ中みたいにはしゃいでいるアラサーの俺は、傍から見れば、いい加減な男だと罵られても弁解すらできまい。


乃亜を取られたくない一心で、兄貴たちに対抗心を持って必死になって…


「…ったく、どんだけ自分に都合のいい奴なんだろう…」


これまでの俺の人生で、手に入らなかったものはなかったし、飽きたら都合のいい優しい言葉をかけて別れ、誰も恨む者はいない、傷つかずに別れられたと、自分を正当化させてきた。

そのくせ、本気で欲しいと思ったら、その重さに怖じ気づいている。


「俺は乃亜を幸せにできるだろうか…」


口にした「幸せ」と言う言葉に、頭を抱えた。


ふいに携帯の着信音が鳴る。乃亜からだ。


『尚吾、電話くれた?』

「ああ」

『ごめん、兄さんと話してた』

「…じゃないかと思った」


『…尚吾、元気ないね』

「乃亜こそ…」


しばらく沈黙が続いた。たぶん兄貴との話はうまくいかなかったのだろう。乃亜の声も沈みがちだった。


『あ、あのね、あれから僕、がんばって階段を何度も往復したんだ。それで怪我した足もあまり痛くなくなってきたんだ。だから今度は尚吾と一緒にどっか出かけようね』

「ああ、そうしよう…」


精一杯に俺に気を使う乃亜の健気さが、たまらなく愛おしい。

この子を守りたいと思うのに、幸せにできる自信がないなんて…とても言えない。



その夜、夢を見た。

俺の前に母親がいる。その母親が幾分神妙な顔をして、聞くんだ。

「お母さんの大事な真珠の指輪を、尚吾はどんな人に渡したの?」

俺は少しだけ後ろめたい気持ちで「とてもかわいい子だよ。母さんもきっと気に入るよ」と、言った。

「お母さんは高望みはしないわ。ただどんな子か、見てみたいの」

「そのうち紹介するよ」と、誤魔化す俺の後ろで「尚吾、尚吾、ここだよ」と、乃亜の声がする。

「尚吾、あなたの名を呼んでるわよ。もしかしたらあれに私の指輪を渡したの?あんな魚に…」

「え…?」と、俺は母親が指差す先を振り返った。

そこには俺の部屋の水槽で泳ぐ乃亜が居た。

俺は驚いて水槽に近づく。

熱帯魚と同じぐらいの大きさの乃亜は気持ちよさそうに、水槽の水の中を泳ぎ、そして顔を出す。

「尚吾、すごく気持ちいいよ。一緒に泳ごうよ」と、笑う。

「え…無理…」笑いながらも俺は、乃亜の左手にしっかりとはめられた指輪をめざとく見つけてしまった。

俺の後ろから水槽を覗いた母親は驚き「まあまあ、なんてことを。尚吾は私の大切な指輪をこんなお魚にあげたの?」と、叱った。

俺は突っ込むところはそこかい!と、呆れながら、「魚じゃなくて乃亜だよ、乃亜。魚じゃなくて人間!…男だけど」と、俺は必死に弁明する。


と、言う意味不明の夢なのだが…

これぞ、親不孝である俺の罪の賜物なんだろう。

正直、母親が俺の性癖を知らずに死んで良かったと思う事がある。

あんな顔で責められたら、俺は誰も愛せない。



週末、俺は乃亜に会いに行った。

この一週間は仕事が忙しく、乃亜とはニ度三度、電話で会話をするだけだった。

俺自身、もっと乃亜を知りたいという想いと、乃亜のすべてを受け入れる覚悟というものが欲しかったからもあり、冷静に時間と距離を置いたつもりだった。

そして、悩みぬいたあげくどんなことがあっても乃亜を守り、愛していくという決意を固め、俺は乃亜を迎えにいく覚悟で車を走らせたのだった。


乃亜の家に到着すると見かけないオートバイが止まっていた。

XR1000のハーレーだ。

すぐに乃亜の五人の兄のうちの誰かのものだろうと、思った。

もしかしたら…

怪我の治った乃亜を連れ戻すつもりかもしれない。


そう思った瞬間、俺はあわてて玄関のドアを開けた。

良く考えたら、彼らから乃亜を連れ去ろうとしているのは、俺の方だったのだが…


リビングのドアが少しだけ開き、隙間から車椅子に乗る乃亜が見えた。

足の怪我も治り、車椅子なんか使っていなかったのに、どうして…と、思ったのもつかの間、見知らぬ男の声が聞こえた。


「乃亜、いい加減にしろよ。みんなおまえのことを心配しているんだぜ。大体初めから俺は反対だったんだ。怪我の療養の為とはいえ、世間知らずのおまえをひとりにさせちまうなんて…人の目から離れているから大丈夫だからって仕方なくこんな山奥に住まわせたのに、ろくでもねえ男に食われちまうだなんて…。どうかしてる」

「尚吾はろくでもない男じゃないもん。尚吾は僕を愛してるって…ずっと守ってくれるって約束してくれたんだから」

「それが甘いんだよ。そんなセリフを簡単に言う男がマトモなわけがねえだろう。乃亜は騙されてるんだよ。とにかく早くここから出る算段をして、うちに帰るんだよ。乃亜の本当の幸せを考えているのは、俺たち以外の誰でもないんだから」

「…でも」

「乃亜、兄貴がこう言ってたぜ。おまえが幸せになれる相手を必ず見つけてやるから、戻ってきなさい、って。今までヴィンセントが嘘をついたことがあるか?」

「…ない」

「俺たちとその尚吾って奴と、乃亜はどっちを信用するんだ?」

「…」


究極の選択を押し付けられた乃亜は困り切った顔で口唇を真一文字に閉めたまま、黙り込んでしまった。

俺はこれ以上乃亜を追い詰める奴が許せなくて、ドアを開け、乃亜の元へ駆け寄った。


「尚吾!」

「乃亜、ごめん。君をひとりにして、不安にさせてしまったね」


「なんだよ。人の話を立ち聞きしていたのか?せこい奴だな」

俺は壁に寄り掛かる乃亜の兄を振り返って、その姿を見た。

乃亜から写真を見せてもらっていたからすぐにわかった。

こいつは次男のヨシュアだ。


豊かな赤毛の髪が胸のあたりまで波打ち、白人特有の薄い肌と堀の深い顔立ちで、ハーフの乃亜とは似ているところを見つけるのが難しいくらいに、外国人そのものだ。特に印象的なのはエメラルドみたいな翠色の瞳と、幾何学的模様のような両腕の青い刺青だ。意味は分からないが、その派手なタトゥーも彼の雰囲気に良くマッチして、下品な感じは全くしない。

身長も180センチある俺よりも少し高いくらいで、そのままファッション誌から抜け出したモデルと言われてもおかしくないだろう。


俺は彼の方を向き、丁寧に頭を下げた。


「ヨシュアさんですね。初めまして、瀬尾尚吾と言います。乃亜さんと真面目なおつきあいをさせていただいています」

「は?真面目につきあってるだと!良く言ってくれるなあ~。純情な弟をあっさり寝取って、自分好みの身体に躾ようとしたんだろ?なんちゅうあさましい奴だ!」


おまえがそれをいうか?と、思ったがそれ以上に外国人が流暢な日本語をしゃべっている様が、俺にはツボだったらしく、笑いがこみ上げて、思わず口の端が緩んだ。それを馬鹿にされたと思ったのか、ヨシュアは「てめえ、馬鹿にしてんのかっ!」と、俺に近寄ると俺の胸倉を掴んだ。


「ぜんぜん気に入らねえなあ。乃亜が褒めちぎるからちっとはマシだと想像してたけど、やっぱろくでもねえじゃねえか」

「ちょっと、手を離さないか。俺は乃亜の家族に手を出したくない」

「なに?」


こういっちゃなんだが、高校、大学とボクシング部だったから腕には自信がある。だからって手を出したら、益々こじれるに決まっている。

しかし、相手は本気で俺を殴りそうだった。右手の拳固に力が入っているのが見えた。

一発ぐらい仕方ない、と、俺も覚悟を決めて目を閉じた。


「駄目―ッ!尚吾に乱暴するなっ!」

乃亜の叫ぶ声に目を開けた。

車椅子から立ち上がった乃亜が、俺の胸倉を掴むヨシュアの腕を両手で払い、そのままヨシュアの胸を押し払うと、俺の胸に飛び込んできた。

「乃亜…」

俺は青ざめた顔で俺を見る乃亜がたまらなく、その身体をしっかりと抱きしめるのだ。


「尚吾、ごめんなさい。でもヨシュアを怒らないでね。僕を心配してくれてるだけなんだ」

「わかってるよ、乃亜。大丈夫、俺は何があっても君を守るって決めたんだから」


俺は乃亜がヨシュアよりも俺を選んでくれた行動に、感動していた。

これだけの事を見せられて、俺の誠意が乃亜に注がれないわけがない。


「乃亜の答えがそれならそれでしょうがない」

壁に押しやられたヨシュアだったが、あまり悔しそうな顔はしていなかった。

「でも、乃亜。おまえ足の怪我、完治していたんだな」

「あ…」

「…みんな、おまえの怪我を心配していたっていうのに、男の傍にいたいからって、俺にまで嘘をつくようになっちまったんだな。…もう乃亜をいくら説得しようとしても無駄なわけだ」

「兄さん…」

「わかったよ。今日は帰るよ。帰って家族会議だ。おまえの気持ちとそいつのこととか…一切合財全部話して、後はどうなるかわからないけれど」

「兄さん、ありがと」

「許したわけじゃない。この男を信用したわけでもない。ただ、乃亜に幸せになって欲しい。それだけだよ」

「うん」

「じゃあな、乃亜。また来るから」


上着を羽織り、ヘルメットを持ったヨシュアは部屋を出ていこうとした。乃亜はそれを追いかける。

ヨシュアは乃亜の肩を抱き、乃亜の耳元になにかを囁き、玄関へ消えていった。


乃亜はもうヨシュアを見送ろうとはしなかった。

バイクの派手なエンジン音が聞こえ、そして次第に遠ざかった。


何故だか肩を落とす乃亜を俺は後ろから抱きしめた。

突然、乃亜は泣き出した。


「尚吾、僕を抱いて。ずっと…ずっと抱きしめてて…」

泣きながら訴える乃亜の望みを、俺は何も聞かずに、与え続けた。


それが本当の愛なのだと、その時の俺は、疑わなかった。



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