子守唄
彼を追っていくと、やがて林に辿り着いた。彼は全く躊躇することなく、その中へ入っていく。俺はさすがに二の足を踏んだ。夜だぞ。暗いぞ。
しかし追わないわけにはいかなかった。明日でいいや、という緩い思いはなかった。刻一刻と、この世界の終わりが近づいている。そう思ったからだ。
覚悟を決め、林の中へ入る。頻繁に人が歩いているようには見えないのだが、木々が避けるようになっている道が出来上がっていた。もしかしたら、彼はよくここに来ているのかもしれない。
道に沿って従順に歩くと、ひっそりと彼の後ろ姿が見えてきた。
しばらく彼を追って歩くと、一つの小屋が見えた。彼の自宅、ということはさすがにないだろう。しかし、彼はノックもせずにその家に入っていった。
そして、しばらく出てこなかった。
俺は家の中が気になり、まず窓を探したが、どこにも見つからい。排気口などもなく、完全に封鎖された状態だ。家の裏に赤い字で『頑張れ』と書かれているのを発見したが、いくらんでも奇妙すぎるので俺は見なかったことにした。
帰りたい気持ちを必死に抑え、木陰に隠れて彼が出てくるのを待つことにした。
彼が出てくるまであまり時間はかからなかった。彼はいつも通りの、のほほんとした風貌で、のろのろと林道を歩いて行った。それを見送り、俺は家に入った。
どうしても隠しておきたい物、例えば点数の悪いテスト用紙だとか、どこかで拾ったいやらしい本だとか、そういう物が置かれてたのなら、俺はまだ納得ができた。もしそこに人の死体があったとしても、そのほうが安心しただろう。
『この子守唄は、届かないのかな』
青いペンキのようなもので、そう書かれていたのだ。
塗りたてのペンキの臭いが、鼻にツンときて少し頭が痛くなった。しかし、それどころではない。彼だったのだ。屋上の落書きも、おそらく、工場の煙突を消したのも。もしかしたら、俺の脳内で聞こえる声もだ。
よく考えてみれば、『もうすぐ世界が消えるよ』と書かれた、あの妙な年賀状が送られてきた時点でおかしかったのだ。不安定が始まったのも、あの年賀状が届いてからなのだ。
そうなれば、彼を止めなければならない。それができなかった場合、もしかしたら、世界がなくなる。
もし、世界が消えたら――。
世界が消えたら、学校がなくなるし、母も、父もいなくなる。
俺は次の瞬間、底知れぬ恐怖心を覚えた。いいじゃないか、なくなったって。微かにでもそう思った自分が、はっきりと俺の中にいるのだ。その恐怖は、自己嫌悪に近かった。