その56 「爆弾処理」
だめだねむいねる
部屋に戻る廊下。
悠馬は無言で歩いていた。
仕事の顔はもう外れている。
胃薬だけが残っている。
(所用)
(所用とは何だ)
(業務外とは)
(私用とは)
意味が解らない。
意味が解らないのに、胃が痛い。
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「兄さん」
ノアが隣でにこにこしている。
最悪だ。
「さっきから静かだね」
「黙れ」
「気にしてる?」
「気にしてない」
「気にしてる」
「気にしてない」
ルイスが真顔で付け足す。
「叔父上は気にしています」
「してない!」
なぜわかる。
やめろ。
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その時。
エレベーターの扉が開いた。
現れたのはエレノアだった。
整った服装。
整った表情。
何事もなかったように。
所用を終えた顔で。
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悠馬の心臓が一度だけ跳ねた。
跳ねた理由はわからない。
胃が痛い。
エレノアは淡々と会釈する。
「お疲れさまです」
「……お疲れさまです」
悠馬は仕事の声を必死に拾った。
その横で。
ノアが目を輝かせた。
爆弾の導火線が見えた。
「エレノアさん!」
「何でしょう、伯爵」
「おかえりなさい!」
元気が良すぎる。
「元ご主人とデートだったんですか!」
悠馬が死んだ。
廊下の空気が死んだ。
”世界が止まった”
エレノアは一拍置いた。
そして。
静かに微笑んだ。
「伯爵」
「はい!」
「息だけしていなさい」
「はい!」
できていない。
エレノアは淡々と続けた。
「所用は家族の食事です」
「家族……」
ノアが瞬きをする。
「元ご主人と?」
「娘と」
「娘と元ご主人と!」
「そうです」
事実しかない。
余計な感情がない。
それが”一番刺さる”。
悠馬は胃を押さえたまま頷いた。
「……そうですか」
声が平坦すぎた。
仕事の声だ。
仕事の声でしか生きられない。
(家族の食事)
(当然だ)
(当然なのに)
なぜ胃が痛い。
意味が解らない。
ノアがにこにこ戻った。
「よかったね!」
「何がだ」
「いやぁ、ほら、元夫とデートじゃなくて!」
「だから黙れ!」
ルイスが静かに言う。
「父上は黙れと言われています」
「黙ってるよ!」
「黙っていません」
「してる!」
「していません」
爆弾は解除されない。
その時。
背後から足音。
静かな圧。
悠馬が振り向くより先に。
「ノア」
凛の声だった。
優しい。
優しいが、冷たい。
ノアが反射で背筋を伸ばす。
「はい!」
「息だけしていなさいと言われたでしょう」
「はい!」
「していないわね」
「はい!」
会話になっていない。
凛は淡々とノアの襟を掴んだ。
「回収する」
「兄さん!僕は!」
「爆弾だろ」
悠馬が即答した。
「爆弾じゃない!」
「爆弾だ」
凛が頷く。
「爆弾ね」
「はい!」
認めるな。
ノアは引きずられていく。
「兄さーん!誤解を解いたよ!」
「誤解を増やしたんだよ!」
悠馬の叫びは廊下に虚しく響いた。
エレノアは小さく息を吐いた。
「賑やかですね」
「……いつもです」
悠馬は胃を押さえた。
静かだ。
爆弾は回収された。
静かなはずだ。
なのに。
胃は痛い。
所用は所用だった。
家族は家族だった。
当然だった。
当然なのに。
悠馬だけが遅かった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
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