その51 「招待」
本当に悠馬君が結婚まで行けるのかなぁ・・
同日、昼。
悠馬はホテルのロビーにいた。
静かだ。
静かすぎる。
昨日の夜の奥様方も、爆弾もいない。
胃が痛い。
理由はいつも通りわからない。
そんな時。
「佐伯悠馬氏ですね」
流暢な英語。
悠馬が顔を上げる。
そこにいたのは男だった。
背が高い。
姿勢が良い。
笑みが穏やか。
そして。
昨夜の中心。
「レオン・フォン・ヴァイスハルト」
エレノアの元夫。
悠馬の脳が停止した。
「……はい」
声がかすれる。
レオンは軽く頭を下げた。
「突然失礼します」
「いえ……」
突然すぎる。
胃が痛い。
「少し、お話しできればと」
「お話……」
仕事だろうか。
取引先だ。
頂点だ。
正しい。
正しいはずだ。
レオンは微笑む。
「仕事ではありません」
悠馬の胃が跳ねた。
「……え」
「プライベートです」
胃が終わった。
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「佐伯氏」
レオンは穏やかに続ける。
「よろしければ、昼食をご一緒しませんか」
悠馬の脳が停止した。
「……昼食」
「はい」
「……仕事ではなく?」
「仕事ではなく」
「……私用で?」
「私用で」
悠馬は胃を押さえた。
なぜ?
なぜ元夫と?
なぜ私用で?
レオンは穏やかに言う。
「エレノアの“ボス”を、少し知っておきたい」
それは理屈として正しい。
正しいが。
胃が痛い。
「拒否しても構いません」
悠馬は反射で首を振った。
「いえ、拒否は……」
拒否できるわけがない。
店は静かだった。
ドイツの昼は妙に落ち着いている。
悠馬には落ち着かなかった。
向かいにいるのはレオン。
元夫。
元夫と昼食。
意味がわからない。
悠馬は水を一口飲んだ。
「緊張していますか」
レオンが穏やかに言った。
「……はい」
即答だった。
隠す能力がない。
レオンは少し笑う。
「正直ですね」
悠馬は限界だった。
「……あの」
「はい」
「なぜ?」
レオンが瞬きをする。
「なぜ、ですか?」
「なぜ、私と?」
言ってしまった。
悠馬は自分の口を恨んだ。
レオンはナイフを置く。
「理由が必要ですか」
「必要です」
悠馬は必死だった。
「プライベートって言いました」
「言いました」
「元夫ですよね」
「元夫です」
「なぜ?」
脳内が全部出る。
レオンは穏やかに答えた。
「興味深い方だからです」
「……興味深い?」
「ええ」
レオンは淡々と言う。
「肩書きと違う」
「……よく言われます」
「そうでしょうね」
レオンは一拍置く。
「私はあなたを調べています」
悠馬の胃が跳ねた。
「調べ?」
「公的な部分だけです」
指を折る。
「オックスフォード、PPE」
「……はい」
「卒業と同時にグループを仕切った」
「……はい」
「取引先の頂点」
「……はい」
悠馬は小さくなる。
「それで」
レオンは首を傾げた。
「目の前にいるのは」
一拍。
「壁際で胃を押さえていそうなウサギだ」
「……」
否定できない。
「胃は……痛いです」
「でしょう」
満足げに頷く。
「だから観察する」
悠馬は真顔で言った。
「僕、どうして観察されてますか?」
一拍。
「意味が解らないんですが?」
完璧な素直さだった。
レオンはふっと笑う。
「意味が解らない」
「解りません」
「佐伯氏」
レオンは穏やかに言う。
「普通なら、もっと人間味がない」
「……」
「あなたは逆だ」
「肩書きは華やかで、本人は胃が痛い」
「……押さえてます」
認めるな。
レオンは笑う。
「だから興味深い」
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悠馬はぽつりと零した。
「……昔は」
レオンが目を上げる。
「昔はよく、感情がないと言われていました」
一拍。
「AIの模倣のほうが人間味がある、とか」
レオンの笑みがわずかに止まる。
悠馬は続ける。
「仕事をしていると、感情は邪魔なので」
「……」
「そうやって生きてきたら」
指先を見つめる。
「人間らしくなったら、今度はそれがおかしいと言われるのでしょうか」
ずれているのに、痛いほど真っ直ぐだ。
悠馬は困った顔で結論を出す。
「意味が解らないです」
レオンはしばらく黙っていた。
そして穏やかに言う。
「それは、人間になったということでは?」
「……もとから人間です」
「いいえ」
レオンは淡々と笑う。
「あなたは今まで“機械のように正しい人間”だった」
悠馬は胃を押さえた。
困る。
その困り方が、もう人間だった。
「エレノアが面白いと言う理由が、少しわかりました」
「……面白がらないでください」
「面白いものは面白い」
穏やかに刺してくる。
悠馬の胃は終わった。
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レオンは紅茶を置いた。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「……いえ」
悠馬はまだ意味が解らない顔をしている。
レオンは立ち上がり、上着を整えた。
「あなたは思ったよりずっと」
一拍。
「興味深い」
悠馬は胃を押さえる。
「……光栄です」
全然光栄ではない。
レオンは出口に向かいかけて、ふと足を止めた。
そして独り言のように、柔らかく言う。
「エリーは」
悠馬が硬直する。
心臓が一拍遅れる。
胃がきゅっと縮む。
レオンは振り返らずに続けた。
「昔から、こういう男を見つけるのが上手い」
悠馬は言葉を失った。
なぜ刺さるのか。
なぜ気になるのか。
意味が解らない。
意味が解らないまま。
ランチは終わった。
胃痛だけが、確かだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
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