その5 「整備」
整うことにおびえる悠馬君。
エレノアが来てから、三日目。
悠馬の机の上から、書類の山が消えた。
正確には消えていない。
分類され、整列し、必要な順番でファイルに収まっている。
悠馬はそれを見つめた。
胃が痛い。
(……なぜだ)
仕事の効率は上がるはずだ。
整っているのは良いことだ。
なのに。
自分の生活に秩序が持ち込まれると、落ち着かない。
まるで――侵食だ。
エレノアは淡々と、ペンを置いた。
「午前の会議資料です。こちらにまとめました」
「……ありがとうございます」
悠馬の声が硬い。
エレノアは気にしない。
気にしないふりではなく、本当に気にしていない。
それが余計に怖い。
その日の午後。
椅子に積まれていた洗濯物が消えた。
「クリーニングに出しました」
「……勝手に?」
思わず言うと、エレノアは首を傾げた。
「業務の範囲です」
「秘書の業務に洗濯は含まれません」
「生活の整備、と条件にありました」
悠馬は言葉を失った。
条件を出したのは自分だ。
だが、実行されるとは思っていなかった。
エレノアは淡々と続ける。
「冷蔵庫も確認しました。胃に負担の少ないものを入れておきます」
「……そこまでしなくていいです」
「倒れられると困ります」
事務的な声だった。
なのに、悠馬の背中がぞわりとした。
倒れる。
その言葉を、彼女は軽く使う。
悠馬は視線を逸らした。
「僕は大丈夫です」
エレノアは一拍置いて微笑んだ。
「大丈夫と言う方ほど、大丈夫ではありません」
悠馬は胃を押さえた。
怖い。
踏み込まないのに、正確すぎる。
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エレノアは廊下を歩きながら、ふと思った。
今まで関わった男たちは、もっとわかりやすかった。
『支配したがるか、甘えたがるか、虚勢を張るか。』
けれど佐伯悠馬は違う。
整えれば整えるほど、怯える。
逃げるでもなく、怒るでもなく、ただ静かに硬くなる。
(……不器用)
そして。
(興味深い)
エレノアは口元だけで笑った。
踏み込まない。
けれど、観察はする。
それが彼女の距離だった。
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「へぇ」
背後から声がした。
振り返ると、ノアが立っていた。
相変わらず、涼しい顔で。
「順調ですね」
エレノアが首を傾げる。
「何がですか」
ノアはさらりと言う。
「叔父上の最終計画が」
エレノアの目がわずかに細くなる。
「……最終計画?」
ノアは微笑んだ。
「悠馬叔父上は、生活が整うと逃げ場がなくなるんです」
「逃げ場」
「ええ。胃薬の位置まで固定されますから」
エレノアは静かに息を吐いた。
「あなたは、随分と叔父上に似ていますね」
ノアは嬉しそうに笑った。
「よく言われます」
エレノアもまた、微笑む。
踏み込まない笑みで。
「面白い家ですね」
ノアの笑みが深くなる。
「でしょう?」
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その頃、悠馬は自分の整いすぎた机を見つめていた。
胃が痛い。
生活が整うというのは、
こんなにも恐ろしいことだっただろうか。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
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