その36 「厄災、上陸」
地獄の窯の蓋が開いた的な?
翌朝。
ホテルのロビーは静かだった。
高い天井。
柔らかい絨毯。
落ち着いた空気。
商談の場にふさわしい。
悠馬の胃以外は。
悠馬はスーツの襟を正しながら立っていた。
隣にはエレノア。
完璧な秘書。
完璧な平常運転。
「九時半に先方のお迎えです」
「……はい」
悠馬は頷く機械だった。
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悠馬は知らない。
自分が今どれだけ包囲されているかを。
家族会議?
最終フェーズ?
包囲網?
そんな国家プロジェクト、
知る由もない。
叔父上が突然現れて、
突然決めて、
突然ドイツに飛ばした。
それだけだ。
ただの仕事だ。
仕事のはずだ。
そのとき。
背後から。
明るすぎる声がした。
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「兄さん!」
胃が止まった。
聞き覚えがありすぎる。
ありえない場所で。
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悠馬はゆっくり振り返った。
振り返りたくない。
だが振り返るしかない。
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そこにいた。
満面の笑み。
伯爵。
災害。
爆弾男。
ノアだった。
そして。
その両脇。
小さな影が五つ。
『五つ』
全員いる。
ルイスだけじゃない。
凛の子供たちも全部。
フル編成。
災害の完全体。
「うわー!ホテルすごい!」
「ここドイツ?!」
「ねえ叔父さん!」
「奥さん!!」
「新婚旅行だ!」
最後の単語で悠馬の魂が抜けた。
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「……は?」
悠馬の声が裏返った。
エレノアは一拍止まった。
ほんの一拍。
だがすぐに微笑む。
大人だ。
怖い。
ノアはにこにこしている。
最悪の顔だ。
偶然の顔ではない。
”確信犯”の顔だ。
「偶然だね!」
悠馬は低い声で返した。
「偶然なわけがあるか」
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ノアは悪びれない。
「夏休みだからさ」
一拍。
「子供たちも連れてきた」
“も”。
さらっと言うな。
全員だ。
全員連れてきている。
絶対わざとだ。
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悠馬は絞り出すように言った。
「……何故ここに」
ノアは笑顔のまま答える。
「大陸方面って言ったでしょ?」
そういう問題ではない。
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ノアはちゃんと分かっている。
分かっていてやっている。
兄さんがドイツにいる。
エレノアが同行している。
十日間。
密室。
包囲。
これは最終フェーズだ。
兄さんは知らない。
だからこそ楽しい。
そういう顔だ。
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子供たちは囃し立てる。
「叔父さんと奥さん!」
「写真撮ろ!」
「撮るな!!」
悠馬の叫びは虚しく吸われた。
悠馬は小さく呟いた。
「……厄災が来やがった」
エレノアの口元が僅かに動いた。
笑いそうで笑わない。
危険な大人だ。
ノアが無邪気に言う。
「兄さん、仕事でしょ?」
一拍。
「僕たちは観光だから」
観光で同じホテルに来るな。
観光で包囲するな。
悠馬は目を閉じた。
胃が痛い。
これは出張ではない。
戦争だ。
そして敵は、
最前線に笑顔で立っている。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
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