幕間 撤退命令
職場にルイスが常駐してる理由のひとつ?
その日の夜。
ハミルトン邸の廊下は静かだった。
昼間の侵略戦争が嘘みたいに。
芝も噴水も、ようやく息をしている。
問題は子供だ。
息をしていないのは、ルイスの心だ。
ノアの部屋の扉が控えめに叩かれた。
「父上」
小さな声。
硬い声。
硬いまま揺れている声。
「ルイス?」
ノアが立ち上がるより早く、
扉が少しだけ開いた。
そこに立っていたのは、
伯爵家の一人息子だった。
顔が曇っている。
珍しい。
いや、初めてかもしれない。
「どうした?」
ノアがしゃがむ。
目線を合わせる。
父親らしいことをしている。
奇跡である。
ルイスは唇を噛んだ。
そして。
一拍。
「……ここ、うるさい」
ぽつり。
爆弾だった。
「うるさい?」
「うるさい」
ルイスは頷いた。
七歳の頷きは重い。
「みんな、走る」
「走るね」
「叫ぶ」
「叫ぶね」
「庭を壊す」
「壊すね」
ノアは真顔で同意した。
庭園派である。
ルイスの目が少し潤んだ。
「僕、もう嫌だ」
一拍。
「帰りたい」
ノアが固まった。
帰りたい。
それは。
伯爵家の一人息子が言う言葉ではない。
悠馬が子供の頃に飲み込んだ言葉だ。
ノアはそれを知っている。
知りすぎている。
「ルイス」
ノアは優しく言った。
「ここは家だよ」
「……家じゃない」
小さな声。
でも刺さる。
ルイスは続けた。
「僕、静かなとこがいい」
「静かなとこ…」
ノアの脳内に浮かぶ。
静かな場所。
静かな男。
静かな地獄。
「……職場?」
ノアが口にした瞬間、
ルイスの顔が少しだけ上がった。
「悠馬おじさんのとこ?」
「……そう」
ルイスは頷いた。
涙がこぼれそうなのに、
声は硬いまま。
貴族の子息の意地である。
ノアは負けた。
完全敗北だった。
息子に泣きつかれて勝てる父親など存在しない。
ましてノアは弱い。
”悠馬に似たもの”に弱すぎる。
「分かった」
ノアは即答した。
「明日から職場に行こう」
「……いいの?」
「いい」
ノアは頷いた。
そして余計なことを言う。
「兄さんも喜ぶよ」
ルイスは小さく首を傾げた。
「悠馬おじさん、喜ぶ?」
「喜ぶ」
ノアは確信を持って言った。
確信はない。
だが言い切った。
その瞬間。
遠くで芝が泣いた気がした。
庭園が泣いた気がした。
噂が生まれる音がした。
翌日から。
ルイスは職場に常駐することになる。
そして。
火薬工場にガソリンを撒く男も、
当然そこにいる。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
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