その17 「相談相手」
悠馬君やっぱり友達がいなかった件
(ノアはボヤの出てる火薬工場にガソリンを撒いて踊っている)
(しかも自覚がない)
(最悪だ)
僕は胃を押さえながらデスクに戻った。
噂は消えない。
火山は噴火する。
火薬工場は燃える。
踊っているのはノアだ。
僕は踊れない。
倒れるだけだ。
だが。
本当に胃が痛いのは。
別のことだった。
エレノアさんが、少しだけ遠い。
以前より。
ほんの少し。
距離がある。
仕事は完璧だ。
資料は揃う。
生活も整う。
僕の冷蔵庫には食べ物がある。
なのに。
彼女の言葉は必要最低限になった。
「佐伯さん、予定です」
「佐伯さん、こちらです」
「佐伯さん、確認を」
それだけ。
淡々と。
壁のように。
僕は理解している。
踏み込まないと言った。
大人ですから、と言った。
つまり。
距離を置くということだ。
当然だ。
僕は噂を否定できなかった。
墓穴を掘った。
彼女が距離を取るのは正しい。
正しいのに。
胃が痛い。
僕は書類から目を上げた。
「……エレノアさん」
呼びかける。
彼女の手が一瞬止まる。
「はい」
声は変わらない。
でも。
空気が違う。
僕は喉を鳴らした。
「その……」
何を言う。
何を言えばいい。
噂のことか。
違うと信じてほしいのか。
距離を置かないでほしいのか。
僕は。
何を求めている。
エレノアさんが静かに言った。
「佐伯さん」
「はい」
「仕事以外の話は、必要ですか」
胸がきゅっと縮んだ。
「……必要ではありません」
即答した。
嘘だ。
必要だ。
でも言えない。
エレノアさんは淡々と頷いた。
「では失礼します」
彼女は去っていく。
背中が遠い。
僕は思った。
噂が消えないのはいい。
火山が噴火するのもいい。
ノアが踊っているのも、もういい。
でも。
彼女が遠いのは。
困る。
僕は初めて。
焦っていた。
ーーーーーーーーーーーー
普通なら。
こういう時。
友人に相談するのだろう。
酒でも飲みながら。
「それ脈ありだろ」
「いや距離置かれてるだろ」
そういうくだらない会話をするのだろう。
でも。
僕には友人がいない。
正確には。
いるのかもしれないが。
こういう話をできる相手がいない。
現場の部下に言えるか?
「秘書が距離を置いてきます」
死ぬ。
叔父上に言えるか?
もっと死ぬ。
ジェシカ叔母様に言えるか?
優しく殺される。
拓海父さん?
絶対笑う。
母さん?
胃薬を送ってくる。
詰んでいる。
僕は机に額を落とした。
そして。
最悪の選択肢が頭に浮かんだ。
爆弾男。
火薬工場。
ガソリン。
ノア。
ーーーーーーーーーーーー
「兄さん?」
ノアはにこやかに現れた。
最悪だ。
「どうしたの、胃?」
「黙れ」
「顔が死んでるよ」
「黙れ」
僕は息を吸った。
言うな。
相談するな。
こいつは火山だ。
噴火源だ。
なのに。
僕は言った。
「……ノア」
「なに?」
「その」
一拍。
「エレノアさんが」
ノアの目が光った。
「うん?」
やめろ。
「少し距離を置いている気がする」
ノアは一拍止まった。
そして。
次の瞬間。
満面の笑み。
「え、兄さん」
最悪の声。
「それ恋じゃん」
「殺すぞ」
「確定じゃん」
「殺すぞ」
ノアは楽しそうに身を乗り出した。
「兄さん、相談してきたってことはさ」
「違う」
「焦ってるってことだよね?」
「違う」
「兄さんが?」
「違う」
「エレノアさんに?」
「違う!!!!」
声が裏返った。
周囲が静かになった。
ノアがにこにこする。
「兄さん、可愛いね」
「殺すぞ」
僕は胃を押さえた。
終わった。
僕は最悪の相手に相談してしまった。
火薬工場に。
ガソリンを。
渡した。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
感想・フォロー等とても励みになります!




