6 二人の少女
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懐かしい光景だとイリサは思った。
朝も深まる頃。人の動きが激しくなる時間帯だ。
イリサは今日、王都を出る。
そのために第四地区の馬車乗り場へと足を運んだのだが…………門付近はやはり人の通りが多い。目的地に辿り着くのも一苦労だ。
だが、特別急いでいるわけでもないので不都合はない。
辺りは冒険者や商人やらで賑わっており、人のいない空間などないかのようである。辺り一面、人人人。
人の濁流という言葉がよく似合う、数多の色が入り混じる街道にあってイリサの目を引いたのは、停められた馬車から出てくる青年たちだった。
期待と不安で胸をいっぱいにした表情。
王都で浮かないよう見繕ったと思える、ちぐはぐな服装。
詰め込みすぎて今にも爆発しそうなパンパンのカバン。
人は千差万別。人相が違えばそれぞれ表情だって違うのだから、誰一人として同じ表情の者はいない。
でも、その何もかもがかつての自分と重なる。
三年前、王都に来た。
彼らと同じように期待と不安が混ざった顔をして、王都という街に見合うよう髪や服に気を遣い、肩に食い込むほどに重いカバンを引っ提げて、王都に来た。
春は出会いと別れの季節とはよく言ったものだ。
イリサは三年前の春に色々なものと出会った。
職場。気の合う先輩。可愛い雑貨。好物になった食べ物。あとは淡い関係のいくつか。
それらは今なお鮮明に思い出せるものであったり、思い返したくもない苦いものであったりする。
だが、どんなものでも増えたものより減ったもののほうが、心理的に目立つのだ。
あまりに大きなものと別れた。あるいは、喪った。
生を受けての十余年を一緒に過ごし、イリサの初恋を捧げた少年。彼の目を細めて笑う感じが、イリサは好きだった。
彼と一緒にいなければならないと思っていた幼少期があった。彼と一緒にいることが当然だと思っていた思春期があった。彼と一緒にいたいと思った青年期があった。
そのことごとくが投げ捨てられた、三年前があった。
──かつて恋したアリューは、どこぞへと消えてしまった。
イリサは登録して一週間も経たずに冒険者を辞めた。その後第四地区から離れ、第三地区の飲食店に勤めた。
王都に留まっていたのは、最低三年は外の街にいろという村の慣習に逆らえなかっただけだった。
もう、三年経った。
これ以上王都に留まる道理はない。
ここにはアリューがいる。アリューじゃないアリューがいる。アリューの身体でアリューの顔でアリューの手足で、アリューを生きてる見知らぬ誰かがいる。
もうこれ以上、耐えられる気がしない。
「シフォルド行きの馬車にお乗りのお客様はこちらでーす!!」
ふと、イリサの独白を切り裂いて、男性の声が耳を突いた。
シフォルド。イリサの村方面の街だ。
イリサは荷物と村へのお土産を握りしめ、その声の元へと足を踏み出す。伴って、視線も人波をなぞった。
「あ」
──その視線の先に、アリューがいた。
灰色の髪にくすんだ黒の瞳。血臭漂う黒緑色の外套に、腰に帯びた片手剣。
かつての彼の面影もない、冒険者然とした恰好。
あれは、アリューじゃない。
私から、アリュー本人から、アリューを奪った誰か。
もう、アリューはいないのだと、幾度となく自分に言い聞かせた。
そうでもしないと、諦めることなどできなかったのだ。
その上で──────アリューがいた。
あの冷たい表情はどこへやら。
死地にでも赴くような、蒼白な表情。虚ろな目つき。
その表情もまた、かつてのアリューからは想像できないようなものだったのに。
どうしようもなく、胸の奥が縮こまるような感じがするのだ。
「待って」
馬車に向かうはずだった足は、勝手に彼のほうに踏み出していた。しかしてその進路は、やはり王都の人混みに阻まれてしまった。
今度は、声すら掛けられなかった。
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思いを馳せる先は選べない性分であった。
道端に咲く花も、空を揺蕩う雲も、魔物も、人も。
この世の全てが興味を惹かれる対象で、この世界は面白さで満ちているのだ。
上機嫌に頬をつりあげるのは、一人の少女。
肩よりも少し長いくらいで切り揃えられた淡い金髪に、幼さの残る端正な顔立ち。両目の目尻には矢を模した文身が走っている。
その身体は民族衣装だろうか、白を基調とした独特な衣服に包まれていた。
周囲には、木々の放つ暴力的な緑と、岩が無機質に反射した太陽光。
少女は岩壁に腰掛けながら、風のような文身が彫られた両の足をプラプラと上下させた。このまま鼻歌でも歌いそうな様子であった。
そこに、黒尽くめの大男がやってきた。
男は「よぉクラフィ、首尾はどうだい」と言いつつ火のついた葉巻から慣れた手つきで深く煙を吸い込み、思っきし咳き込んだ。
「うぉっ、ゲホゲホッ!!」
「……なーんで吸えないのにいつも葉巻なんか持ってんですかあ、ぞくちょー」
「うおえっ、渋いオッサンと言やぁ葉巻と相場が決まってんだろ?」
「オッサンって自覚あるんだ」
カラカラ笑う少女──クラフィに、葉巻の火を岩肌で消して懐にしまった男がなお問いかける。
「お前さんの獲物……なんて言ったっけ」
「麒麟児ですかあ?」
「そうそれ、そんなに利用価値がある存在なんかい。あんな大層なモン引っ提げていくくらいには」
「利用価値ぃ?」
先ほどまで愉悦に顔を綻ばせていたクラフィが、一瞬にして眉をひそめ、男のほうを振り返る。不快感を隠しもしない。
「なんですかそれ、ボクがンなもん考えてると思ってんですか?」
ふ、とクラフィが男の横に立ち、彼の脇腹を肘で小突いていた。五メートル近くあった距離が一瞬にして詰まったのだ。
「ボクぁ楽しいほうにだけ動くんです。長ぁい付き合いなんだからわかるでしょ?」
「……生まれたときからの付き合いだからな、モチロン分かってら。だとしてもよぉ、ほんのちょびっとくらい族のことを思ったりは」
「してないですねえ、これっぽっちも」
にへらとしながらの、一切のよどみなき断言。
揺るがないねえ、と苦笑を浮かべる男は両手を上げて降参のポーズを取り、一歩後退した。
「だが、忘れてくれるなよクラフィ。我ら死神の民、」
トントン、と親指で左胸を叩き、男が言いかけたところで、
「我らの魂は誉れ高き文と共に」とクラフィが呟いた。ニマニマと、可笑しくてたまらないといった顔をする。
「……今日は、とことんカッコつかねえなぁ」
深いため息をついて、男は踵を返した。
「うまくやれよ」とだけ言って、刹那空気が揺れる。
砂埃が晴れたところに男はもうおらず、果てを見つめると黒いポッチがぴょんぴょんと跳ねては遠ざかっている。
「わかってますよー」と虚空に呟くクラフィは、右手で左手首を掴み、ぐいーっと伸びをした。
そして、「よっ」自身の身を下に投げた。
だんだんと加速していき、胃が持ち上がるような感覚がクラフィを襲う。
ぐんぐんぐんぐん、地表が近づく。
ふと、クラフィの両足に走る、風を思わせる文身が淡く光った。
すると、クラフィの全身に掛かっていた下へのエネルギーが一瞬にして消え去り、わずかにクラフィの身体が浮き上がる。
十センチ下に飛び降りた、みたいな雰囲気で、クラフィは五十メートル下の地表に降り立った。
足の文身が光を収めると、クラフィはトタタと岩壁の奥へと駆ける。
「やっほー! 調子はどうだーい」
そこには、赤鱗に傷を刻んだドラゴンが佇んでいた。
ドラゴンは口の端から炎を漏らしつつ、敵意も何も感じていないような無機質な目でクラフィを見下ろす。
「おーけぃ絶好調だねー!!」
ドラゴンよりも何回りも小さいクラフィは、一切怯える様子などなく両手をサムズアップ。
ドラゴンに駆け寄ると、赤鱗を愛おしそうに撫でた。
「今日はよろしく頼むよ? ボクの楽しみのため、死力を尽くしてくれたまえー」
芝居がかった口調でそう言うと、クラフィはクククと笑った。
麒麟児。
彼で遊ぶときがすぐそこにあるのを、心底楽しみといった様子で。




