5 夢想の中に
アリューが転移したのは、召喚されたときと同じでジェフの治療院の中であった。
(転移先にそこを指定していたので当然なのだが)
行きと同じ、何も変わりのない光景。
ジェフとロダンはまた世間話をしていて、本当に仲が良いんだなとアリューは思った。
そのときジェフはコーヒーを嗜んでいて、突如として現れたアリューに驚いてむせてしまい、ロダンに背中をさすってもらっていた。医者と患者の立場が逆転した瞬間だった。
落ち着いたのち、二人はアリューに色々と訊きたそうな顔をしたが、アリューがその話はしたくないと言ったので渋々質問欲を抑えていた。
唯一王命の内容だけは返答したらジェフは「昨日ブッ倒れた人に振る依頼じゃないでしょぉ……」と頭を抱えていたが、王命は断ることなどできないのは承知しているようで、あなたの勝利をお祈りしてます、とだけ言った。
朝食は結局食べ切れなかったので、早めの昼食を摂ることにした。
ジェフとロダンも一緒だった。
簡単な身支度を済ませるため、患者衣を脱ぎ、元々着ていたのであろう服を着た。
昼食はジェフが贔屓にしているという小洒落た食堂で食べた。
味はしっかりしていながらも健康に配慮されたメニューが豊富に揃っていて、さすが医者の食生活は違うなとアリューは思った。だとしたらジェフのたっぷりとした腹はなんだという話になるが、そこは言わないのが優しさであろう。
食事を取って腹を満たし、談笑に勤しみ、治療院に戻って軽い診察を受け。
薬や装備など受け取って、アリューは治療院の二人と別れた。
服の中には見覚えのあるカードが入れられていた。ギルドカードだ。
そこには名前、年齢、性別に拠点など個人情報が惜しみもなく綴られていた。年齢が十八になっているのを見て、アリューは初めて三年間経っていたのだという具体的な年数を知った。
装備は至ってシンプルなものだった。
胸当て脛当てなど最小限の防具。片腕のみの籠手。風や血などを防げる外套。そして、長剣とまではいかず短剣とまではいかないくらいの長さの片手剣。
どれも遊びのない堅実なものであるが、アリューが村を出る際にもらった装備とは雲泥の差なのが見て取れた。
王都に人気のないところなど基本的に存在しないが、目に付きにくい場所はあるにはある。
自認としては一応王都に来て二日目のアリューである。王都の地理に明るくないので、目的地に向かう道から逸脱しない範囲でそれを探した。
三十分ほど掛けて見つけたその場で、赴くままに剣を振るう。
剣は驚くほど手に馴染んで、驚くほど性に合わなかった。──それを振るう理由が、アリューにはなかった。
三年間剣と過ごしてきた身体の経験と、ぽっかりと空いた意識の空白。その乖離を実感した。
村を出る前に仕込まれた基本の剣術を覚えている限り確認して、ギルドカードに綴られていた拠点へと向かう。ギルドカードを見る前は他の人と共同生活をしている可能性などを考慮しなければならなかったが、見てその心配は消えた。
拠点。宿屋『星かご』九号室。アリューが、王都に来て最初に泊まった部屋。
三年間宿屋で暮らしていたのかと軽く驚いたが、いざ向かってみて、少し認識が違うと気付いた。
九号室にはアリューの名前が刻んであった。麒麟児は、この部屋を購入していたのだ。
何着かの着替え。剣や防具を手入れするための道具。保管されていた金銭のいくつか。
本など趣味の痕跡こそなかったが、生活感のある部屋だとアリューは思った。アリューが消えていた間の時間がそこにあった。
きっと、自分は死んでいたのだ、とアリューは思った。
麒麟児だった間アリューの人格はどこもなくて、自分じゃない自分だった間、アリューは生きていない。
何も語らない部屋が、その事実を雄弁に語っていた。
気を遣いつつ、剣や防具を端に立て掛ける。
ベッドに背を預けると記憶していたよりも大きな軋み音がした。いい加減、この身体は成長したのだということを理解した行動を取らねばなるまい。アリューは小さなため息を吐いた。
そして暫しの回想に耽る。
レボルとリシュエットの会話からして、彼らが高い実力を持っていることも、それが驕りではないこともアリューには分かった。
ドラゴン討伐と聞かされて、ほんの少しの困惑で済んでいる豪胆さもまた兼ね備えている。
だが、そのどちらもアリューは持ってない。
彼は今まで戦ったことなどなく、これからも戦うことなどないと思っていた人間であった。
イリサと共に冒険者になったときも薬草採取や迷子猫の捜索など危険のない依頼を受けるつもりだった、言ってしまえば腑抜けの類だ。剣など護身以上のものとも思っていなかった。
そんな彼に降って湧いたドラゴン討伐。
無理だ。
ドラゴンの御前に飛び出したが最後、アリューの丸焼きが完成している光景が容易に浮かび上がる。
あのときアリューは今すぐに「無理です」と叫び出したい気持ちでいっぱいであったが、それが出来ないこともまたアリューは理解していた。
王命という二文字が持っている権力は計り知れない。
しろと言われれば火の上を歩かねばならないし、底の見えない谷にも飛び込まなければならないし、ドラゴンを殺さなければならないのだ。
王命を断るという行動は、王の前に寝間着で参上することとは比べようもないくらい罪深い行動なのだろう。
断ったが最後、首だけになってお天道様と再会することになるのが容易に想像できた。
行けど死。戻れど死。
これはもう、丸く繋がった一本道みたいなもので、詰みと言って差し支えない状況なのであった。
「夢だったら良いのになぁ……」と、アリューは独り言ちる。
実際その可能性のほうが高いのだろう。寝て起きたら三年経ってた? “麒麟児”だのと呼ばれるようになってた? 何の冗談だ。夢だと言われたほうがまだ信じられる。
──あぁ、眠い。
睡魔はいつだって正直で、こんな心境にあってもしきりに瞼を下げてくる。
それに身を委ねる間際、目が覚めたら何もかも元通りであれ、と、そうはならないと確信していた脳で思った。
その夜、アリューは夢を見た。
□
朝も明け切らない冬空の下。
「突入」
とても短い合図で扉が蹴破られる。吹き飛ばされた扉が、入り口付近にいた二人の男の片割れ、その顔面に直撃した。
続いて、灰色髪の青年が洞窟の中に立ち入る。オレンジ髪の老け顔男、緑髪女も同様に。彼らの背には入り口を外から見張っていた者の死体が転がっていた。
「なっ、なんでぇテメエら゛っ」
何やら言おうとしていたもう一方の男の額に、片手剣が突き刺さった。扉を蹴破った青年が投擲したものだ。
「死体に言う義理はないな」と言いつつ近づいて、青年が男の額から剣を引き抜いた。バタリと音を立てて額をダーツの的にされた男が倒れる。
「入り口にいるの二人だけかぁ? 余裕ぶっこきすぎだろ」
「それほど見つからない自信があったのでしょうね」
オレンジ髪の老け顔男。レボル=ファーマン。
緑髪で目つきの鋭い美女。リシュエット=ルース。
そして灰色髪の青年。アリュー=エアソン。麒麟児と呼ばれる男だ。
麒麟児一行のその日の依頼は、とある盗賊団の殲滅。そしてここが、その盗賊団のアジトであった。
アジトといえばの定番の洞窟なのだが、なんとご丁寧に入り口には扉が建て付けられていた。よく見ると扉には認識阻害らしき呪文が掛けられていて、これがこの盗賊団が今日まで見つからなかった理由なのだろう。
床に転がっていた扉が、ふとガタンと動く。
下には、顔面に扉を叩きつけられて鼻血を出す盗賊の男。
男が「うぅ……よくも」と言いかけた瞬間、言葉が止まった。その男の喉が、レボルの握る細長い棍棒によって貫かれていたのだ。
奥に進みながらのノールックキル。
男二人の死は、麒麟児一行の誰の歩調も乱さなかった。
開けた広場に五十は下らない人数の盗賊がいた。それらが瞬く間に倒れ、頭数を減らしていく。
レボルとリシュエットも凄まじかったが、麒麟児の躍動は特に目を引いた。
麒麟児は近くにいた盗賊の首を落としつつ踏み台にし、別の盗賊の肩に飛び乗り、前転の要領で後頭部に一閃。
その勢いを維持したまま遠心力を加えて剣を投擲し、前方にいた男の胸を穿つ。着地ざまに駆け寄り、片手剣で傷口を抉った。
「死に晒せやぁああ!!!」と雄叫びを上げ、長剣を構えた女が近づいてくると、麒麟児は近場にいた盗賊のフードを掴み、跳躍の勢いを使って女に向かって投げる。
「え、ぐぎゃっ」
投げ飛ばされた盗賊の腹に、女の構えた長剣が突き刺さった。
「っ邪」
魔、と続ける間際、剣を刺された盗賊の股をスライディングで抜けた麒麟児が、立ち上がりざまに女の両足と剣が握られていた左腕を切り裂く。
バランスを失い倒れる女を抱き留めると、「待って」と乞おうとした女の頭を剣で貫いた。
「よし、次」
麒麟児が女の頭から剣を引き抜く。
彼の髪も、顔も、服も、剣も。それらの全てが当然血に塗れていたが、麒麟児は何も気にしていない様子で女の死体をポイと放り、再び駆け出した。
夢は、ここで終わった。
□
まだ朝も明け切らないというのに、アリューはベッドから飛び起きていた。その身体は汗でじっとりと湿っている。はぁはぁ、と息は荒い。
息が落ち着くまで、十秒ほど掛かった。
落ち着いたアリューはゆっくり首を回し、壁に掛けてあった剣に一瞥をくれた。鞘にしまわれた、遊びのない地味な剣。夢の中で使われていた、人を殺していた剣と同じだ。
はぁー、と大きなため息と共にアリューは俯く。
さっきの夢。
レボルとリシュエット──麒麟児のパーティメンバーがいた。
そして、アリューの姿もあった。
あれは……麒麟児の記憶ということでいいのだろうか。あれが、今の俺なのだろうか。
なんでそんなものが見れたんだとか、つまらないツッコミのできる心境ではなかった。
人を、殺していた。アリューの身体で人を殺していた。
凄まじく、強かった。
アリューは今まで、ろくに戦いというものを見たことがない。彼にとって戦いとは、子どもの喧嘩とか酔っ払いの取っ組み合いとか、とにかくもっと生易しいものであったのだ。
違う。あれが本当の戦いだ。
身体が震える。震えて震えて止まらない。自分の身体が他人に使われていたのを知ったときとは、比較対象にすらならない。
アリューは、あんな人間ではない。人を易々と殺せるような人間ではない。あの場にいて勝者になれるような人間ではない。
でも、あれが人々にとっての、今のアリューなのだ。
「みんなみんな、俺に“あれ”を期待してんのか」
口にしてみて初めて気付く、その異常さ。滑稽さ。
勝手な期待してんじゃねえよ。
「無理に決まってんだろ……」
泣きたいような腹立たしいような死にたいような心持ちになりながら、アリューはそう零した。
ベッドのすぐ近くに建て付けられた窓の外から朝日の気配がしている。
ドラゴン討伐、その朝が来てしまった。




