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10 赤龍討伐戦 終劇




 ■




「リシュ!!」と名を呼びながら、レボルは落ちてきた彼女を受け止める。身体強化の呪文の甲斐あって彼は体勢を大きく崩すことなくそれに成功するがしかし、それがイコールで救えたことにはならない。


 レボルはリシュエットの背中の大火傷を見て盛大に眉をしかめ、


「おい、他人の治癒できるやつ!!」

「私できますよ」


 森の近くから名乗り出た神官風の男のほうにリシュエットを抱きかかえながらレボルが駆け寄り、彼女を託した。


「この場で完治させようと思うな、軽い応急処置だけしたら馬車のほうに連れてけ!」

「了解しました、お駄賃のほうは幾らほど」

「こいつのバカ親父に請求しろ!」


 目が金貨で出来ているかのような守銭奴を発揮する神官男に治癒を任せ、レボルは近場にいた後衛──ティリスの襟首を掴む。


「ちょっ、なんですか!?」

「お前さっき氷柱撃ってたやつだな? いい手数だった、お前コイツら護衛しろ」


 ティリスが狼狽の声を上げようとするも、有無を言わせぬ勢いでレボルが彼女を投げた。

 レボルは「わたた!」と転びそうになるティリスに指差し、


「死なせたら殺す。分かったら早く行け。俺らもすぐ行く」


 ギラつく眼光で睨み、レボルがそう言う。

 首肯ののちに駆け出す二人を見送り、レボルは身体強化の呪文を重ね掛けする。巡ったマナが筋肉を膨張させた。


「後衛どもは胴体を撃て!! 前衛が首を落とす」


 レボルは遠距離班に言い放つが、彼らからの反応がないことでまた一つ機嫌を落とし、「おい」と恫喝した。


「何してるボンクラども」

「だっ、だって……! 麒麟児さんが食われたんですよ!!? そんなの、俺らが敵うわけない!!」

「テメエ脳みそ詰まってんのか」


 赤龍に向かって歩きながらレボルはつづける。


「まだ咀嚼も嚥下もされた様子はねぇ。まだ頬張られただけだ。生きてる」


 それにな、とレボルは言って。


麒麟児(アイツ)がこんなんでやられるタマかよ」


 そしてレボルは駆け出した。


「貸し一だぜアリュー!!?」


 彼は跳躍し、赤龍の首に一撃を見舞う。




 討伐まで、あと五分。




 ■




 咀嚼か、嚥下か、胃液に呑まれるか。


 来たるべき未来に備えて歯を食いしばり瞼を閉じていたアリューは、一度尻に衝撃を味わったのち、ネチョネチョする床を転がり、額をぶつけて目を開いた。


 ──視界にまず、どこまでも続いていきそうな食道が飛び込んできた。


 そこに片足を突っ込んでいたことに気付き、アリューは息を呑み、後ずさる。

 すると彼の手が何か、滑らかなものに触れた。


「やん、エッチィ」


 彼が振り返ると、そこには少女がいた。


 肩の辺りで切り揃えられた金髪に、幼気な顔。目尻には特徴的な矢のような文身が彫られていた。

 彼が掴んでいたのは彼女の足首だった。白いショートパンツから露出した腿と足首の上に掛けては風のような文身が彫られていて、淡い光を放っている。


 わっ、と言って足首に触れていた手を慌てて引き戻し、呆気に取られたアリューを認めた少女はフフフと笑って彼を見下ろした。


「こーんにちわっ」


 彼女がそう言うと、突如としてドシィン!!と重低音が響き地面が揺れる。

 バランスを崩しそうになるアリューと対照的に、少女は直立を崩さない。そのまま「おぉー、やってるねぇ」と言った。


「伊達にあの王が集めただけのことはあるねぇ、外の連中。仲間が食われたってのにすぐ動く!!」


 真っ暗い空間を少女の足の文身が照らし出していた。


 ピンク色の壁やら床やら白いギザギザ辺りが目に飛び込み、唾液やらガス臭さやらが香る。


 口の中だ。


 そんな空間にあって、文身の発光だけでなく存在感という方向でも、アリューには少女はまるで浮かび上がっているように見えた。


「あ」と少女が何かに気付いたようにアリューの奥を覗き込む仕草をした。

 アリューがその視線を追うと、ボッ、ボッ。と食道の奥から炎が細やかに上がっていたのだ。


「へいへい急げって? 生意気な子だなぁ」


 面倒くさそうに少女は言うと、少女は赤龍の頬肉を力強く殴る。


「水差さないでよ」と少女が言うと、弱々しく返事するように炎が上がる。満足気にそれを見て頷くと、少女は「えー、麒麟児さんや!」と叫びながら膝を折り、舌の上にへたり込んでいるアリューと視線を合わせた。



「まず、あんたはまだ食われてはいません! そこに関してはボクが色々と指示した結果なので、奇跡とかじゃないからね」

「…………つまり、この赤龍は」

「うん、ボクのだよ。手駒って言えば良いのかな?」


 やっぱりとアリューは合点した。


 この少女は、さっき岩山の上に立っていたあの少女だ。

 柏手を打って、赤龍を誘導するような素振りを見せた、あの少女だ。


 アリューは、血の気が引いていくような思いだった。


 彼女の言動からして、この少女が赤龍にポルドを殺させ、リシュエットの背中を焼かせ、アリューを食わせた張本人。

 赤龍は少女の制御下にいると思って良いだろう。


 そして、現在彼は赤龍の口内にいる。


 飲み込むことだってできるし、ブレスで焼き切ることもできる。これは即ち、少女はアリューの命を握っているも同義ということだ。



 どうする、とアリューは自問する。


 今現在、彼は“生かされている”状況に近い。

 赤龍が少女の制御下にいるというのなら、彼女の機嫌によってはいつ殺されるかわかったものじゃない。そもそも襲わせている時点で殺意満々である。

 今、アリューの命は崖っぷちを彷徨っているといって良かろう。


 『死にたくない』と、先ほど強く自覚した。

 それを無視できるほど、アリューの肝っ玉は太くない。


 

 外部から轟音がいくつか。



「……なんで、こんなことをした? 俺に用があるのはわかるけど、真意がわからない」

「あはは、でもだいたい察せてるんじゃなーい?」


 少女はアリューの服に手を当てる。


「ボクは今日ね、今をときめく麒麟児さんにオネガイをしに来たのですよ。あっ、脅迫って書いて脅迫(オネガイ)と読むかんじね?」


 少女のニヒッとした笑みが、深淵のように見えた。


 脅迫。

 ──何かされる。


 王にしたひれ伏し。赤龍の攻撃を受け止めた咄嗟の防御。

 生存本能から来る最大限の自己防衛として、アリューは半ば反射のように「“我が身に宿すは闘争の加護”」と呪文を唱えた。


 生物の口内だというのに風が吹いた。


 そう錯覚するほどのスピードで、少女がアリューの顎を掴んだ。俗に言うアイアンクロー。

 アリューの身体が持ち上げられる。


 少女の華奢な腕からは想像もつかないほどの剛力で、アリューの顎がミシミシと軋んだ。


「──っ!!!?」

「勝手すんなよ」


 少女が先ほどの笑みと正反対に、眼光だけで人を殺せそうな顔でアリューを見る。


 彼女はガバッとアリューの着ているシャツをたくし上げると、右手でアリューの左胸に指先を添えた。


「“根付(ねづ)け”」


 少女の指が触れた辺りからジュウゥゥウ………と焦げるような音と痛みがアリューを駆け巡る。


「──っ!!」

「暴れんなってー」


 アリューが少女の腕を掴み、足をバタつかせて抵抗するのもどこ吹く風で、少女は笑って触れ続ける。


 しばらくして手が除けられたところには、黒い……まるで蕾のような文身が刻まれていた。


 ──なんだ、これ。


 アリューが戸惑ったような目を向けたのに気付いたのか、少女が微笑みながらその文身にデコピンを当てる。


「これはね、“徒花の文身”って言うんだ」



 外から爆ぜるような音が一つ。



 少女はアリューを持ち上げたまま、彼の左胸──徒花の文身に掌を当てた。


「えいやっ」













 塞がれた口から漏れ出すように絶叫が飛び出した。





「あははっ、うるせぇよ」


 激痛が駆け巡り、音にもならないような呻き声が溢れ出る。


 まるで、心臓から血の代わりに刃物が全身に流れていて、鼓動の度に内側からズタズタに蹂躙されているような。


 永遠にも感じる一瞬だった。


「はい、終わりっ」


 満足したような様子の少女がポイっと手を離したことで、アリューは倒れ込むように突っ伏した。


「げほっ、おええ゛っっ!! はぁっ、あぁっ、ヒュー、ヒューっ」

「うえっ、きちゃなーい」


 自身の陶器のような手についたよだれを見て少女が眉をひそめるが、「まあ良いや」と穿き物で拭う。

 手がキレイになってご満悦の少女はしゃがみ込んでアリューに問う。


「痛かった?」

「げほ、ヒューっ。ひゅっ」

「あー、良いよ喋んなくて。めっちゃ痛かったんだねー」



 前置きはこれぐらいでいいか、と少女が呟くと、外から破裂音のような地響き。



「えー、オネガイの詳細ですが、きみにはボクのスパイになってもらいます!」

「……………………はぁ、す、スパイ…………?」

「うんっ」


 少女は文末に♪でもついていそうな軽い返事をし、


「……………………そんなの、げおっ、協力するとでも」

「だから“それ”があるんじゃーん」


 少女がアリューの左胸を指差す。


「それは爆弾だよ。ふとした瞬間爆ぜるかもしれない爆弾。んで導火線は、ボクのこの可愛い手の中だ」


 と、少女は告げた。

 口の中に残る胃液の酸っぱさが、アリューに妙な現実味を抱かせる。


「断れないっしょ?」と少女は言った。


 アリューが見ると、少女はまるで悪魔みたいな笑みを浮かべていた。


「ボクわかるんだぁ。食われる寸前、死ぬの怖いよーって顔してたもんねー!」


 キャハハとした笑い声がアリューの鼓膜をつんざく。


 やっぱり、この少女は異常だ。


 岩山の上の彼女を見て感じ取った、彼女の“ズレ”のようなもの。

 戦場にあって一切の緊張感も見られない仕草。人をいたぶって笑みを浮かべる様子。



 ──楽しんでやがる。



「…………なんで、俺なんだよ」


 考えるより先にアリューは言った。

 でもその内容は、ずっとずっと考えていたことだった。


「なんで、俺が」


 スパイ。楽しみの対象。

 そんなもの、俺には見合わない。ただの凡人には不釣り合い。


 とっくに知っている答えが否定されるのを、心待ちにして出た問いだった。


 少女は一瞬ポカンとした素の顔を見せ、すぐにおかしそうに笑った。



「だって、きみが“麒麟児”だから」



 当然っしょ?と言う少女を見て、アリューは片方の口角だけを上げて「ははっ」と歪に笑った。


 ──そりゃそうか、と心の湖面に一滴、墨が垂れる。


 また話し出そうとした少女の声を破るようにして、轟音、そののちに食道の奥からまたボッと炎が上がった。

 焦っているように、細やかに炎が立つ。

 それを見た少女は、


「……あ、何? ピンチ?」


 つまんな、とひどく冷徹に吐き捨てて艷やかな金髪を掻きむしった。

 不機嫌に顔を歪めた少女はしかし、またにこやかな笑みを顔に貼り付け、


「あー、えっと、お勤めご苦労さま!! きみ、もう要らないや」


 食道の奥から上がった炎が困惑の色を見せた。

 “助けてくれないのか?”とでも言いたげな。


「ん、死んでいいよ」



 “は?”



 炎が一筋。



 “ふざけんなクソ人間”



 激昂するような激しい火柱が立つと、食道の奥が見覚えのある光を放つ。


「最後に燃やし尽くしてやろうってかんじ?」


 ブレスの予兆。

 奥の奥から発せられる熱波が、アリューに焼けた肉の臭いを思い出させる。


「ふふ」と少女が笑った。「無駄だってのに可愛いねえ」


 少女が言うと、轟音と共に天地がひっくり返り、食道のほうから太陽光が射した。赤龍が断頭されたのだ、とアリューが気づいたのと同時、「じゃーね麒麟児!!」と少女が言う。



「話はまた、明日の夜、王都でね!」











 落下感が終わると、今度は回るような感覚に見舞われた。


 赤龍の首が落ちて、今度は転がったのだろう。中にいたアリューも同様に振り回されたのだ。


 赤龍のザラザラした舌に掴まっていたから、アリューは全身唾液塗れだ。それでも歯を掴んでいたら手がちょん切られてただろうし、不幸中の幸いであった。


 唾液臭さと胃液の酸っぱい臭いがアリューの鼻を突くのと同時に、無数の声がアリューの鼓膜を揺らした。



 やった、討伐できたぞ!


 生き残った!


 それより麒麟児さんを!



 色んな声がうるさい。

 落ちた衝撃で脳震盪でも起こしたのか視界がグラグラ揺れている。早くこのむさ苦しい空間から出ようともがくが、身体に力が入らない。


 少女はいつの間にやら消えていた。


 赤龍の口は閉じられていたし、斬られた食道から脱出したのだろうか。思えば赤龍の口にもいつの間にかいたし、高速移動ができるような何かを保持しているのだろう、とアリューは推測した。


 そうやって逸らそうとした意識の中を、またもや声が駆け巡るのだ。




『…………え、麒麟児? 麒麟児ってあの麒麟児!? なんで治療院なんかいるんすか!?』


『この王都で最も討伐の可能性があるのは貴様らだ、麒麟児一行よ』


『よろしくお願いします、麒麟児さん』


『だって、きみが“麒麟児”だから』


『麒麟児』


 麒麟児。



 続いて浮かび上がるのは、夢の中で見た麒麟児の姿だ。

 武器を携え、人を斬り倒し、殺人してなお一切の反応を示さなかった男。

 みんなにとっての俺。



 べちゃっ、びちゃちゃ。



 ふと、アリューの口から吐瀉物が溢れ出た。閉塞空間に、自身の吐瀉音だけが響き渡る。


 

 ──気持ち悪い。



 レボルも、リシュエットも。


 王も、ティリスも、一行の誰もかも。


 あの少女も。



 分かりきっていたことだ。それが今さら脳に染み込んだだけ。



 みんなにとって俺はもう、アリュー=エアソンじゃないのだ。

 “麒麟児”なのだ。


 麒麟児は、強くて、負けなくて、こんな風に無様を晒していなくて、凡人じゃない。



 どいつもこいつも、自分に「お前じゃねえよ」と指を指しているような気が、アリューにはした。



 誰も、俺を求めてない。



「おえええええっっっ」



 ──誰も、かつての凡人(おれ)に用はない。



 吐き気は、絶望なのか痛みなのか。何によってもたらされているのかもよく分からないまま。

 吐瀉音は、長く長く、吐けるものがなくなっても続いた。


 やがて誰かが寄ってきて、赤龍の口が開かれた。アリューを数分ぶりの太陽光と外気が襲った。



 

 序章、完。





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