プロローグ
追記:ストックが尽きるまでは毎週水曜と日曜更新、尽きたら不定期更新になります。
その少年は、ごくごく平凡な少年であった。
王都から少し遠い小さな村に生まれ、十五歳になるまでの時をのほほんと送り、「成人になったら都市に行き、大人としての経験を積む」という村の慣習の下、王都に来ただけのお上りさんに過ぎなかった。
その少年は、主体性というものが希薄であった。
村の慣習に流され、幼馴染の少女──イリサというのだが──が同い年だったため同時に村を出たのだが、彼女が王都に行きたいと言うのでそれにも流され、冒険者として国に貢献したいとイリサが宣言すればそれにも流された。
別にイリサが愛しいとか側にいたいとかそういった感情はなく、ただ思考を放棄し彼女に追従しただけなのであった。
これで良いと少年は──アリュー=エアソンは思っていた。
俺はこのまま流されて生きていくのだろう。人並み以上を求めず、適当な仕事に就いて、適当に日銭を稼いで暮らしていくのだろう。
俺のような凡人にはお似合いの人生だ。
そう一笑に付して、彼は馬車の振動に身を委ねた。
村近隣の小規模都市から出る馬車に揺られて数刻、アリューとイリサを乗せた馬車は王都へと到着した。
馬車の運転手に銀貨二枚を渡し、乗り場から離れるとイリサは早速地図看板を見つけ、それに近づいて行った。アリューもそれについていく。
王都は広く、いくつかに地区が分けられていると聞いたことがあった。地図の右上には『王都サヴァリア・第四地区』と記されている。
王都の街並みはアリューにとって衝撃的なものであった。
まず地面。土むき出しではなく石畳が敷き詰められている。しかも地図看板を中心に放射状の模様を描いており美しい。
次に人。第四地区は冒険者用の地区らしく、王都と聞いて想像していたきらびやかな人々は見当たらなかったが、彼らが身に纏っている装備はアリューが今まで見たことのないような業物ばかりであった。
次に建造物。石造りの家自体はアリューの村や近郊の都市でも見たことはあったが、家それぞれに色がついているのは驚かざるを得なかった。しかも景観を崩さないような配色がされており、カラフルながら目にうるさくない。
これが王都か……!
思わず見とれてしまうアリューだったが、お上りさんを全開にするのもみっともないのですぐに平静を装うことにする。
イリサは街並みには目もくれず、腰を曲げて地図看板に見入っていた。
馬車に乗ったのは朝早くだったのだが、もう時計の針は十五時を回っていた。
「まずは宿屋に行くか?」と、地図を覗き込む背中にアリューが訊いてみるも、
「いや、先に冒険者登録しちゃおう!
村長にもらったお金だってその内なくなっちゃうんだし、早めにお金稼げる環境に身を置かないと」
そう言ってイリサは再び地図に視線を落とし、ムムムと睨みつける。彼女は昔から視力が弱いのだ。メガネは頭が重くなるのが苦手らしくつけていない。
自身の提案が即座に却下されたことは少し気に食わないが、イリサのご意見はごもっとも。
村を出るにあたって村長から与えられた金はごく僅かで、なんとか二日生活できるくらいの量だ。冒険者になるつもりだと村長に伝えたのでお古の剣なり胸当てなりをもらえたが、いずれそれらも買い替えるだろう。
ならばやはり金は欲しい。
それに、明日登録手続きと依頼の受注を一度にするより、今日の内に手続きだけでも済ませたほうが安心して眠れるはずだ。
剣や胸当て、着替えなどが入った重いリュックをさっさと下ろしたい気持ちもあったが、アリューはイリサの判断に乗ることにした。
「そうだな、やっぱり何事も早く済ませちゃった方がいいし」
「でしょー? あっ、冒険者ギルドあった!」
地図の中に冒険者ギルドを認めたイリサが現実の道と地図を見比べて方向を確認し、「あっちだって! アリューいくよー」と彼の手を引いた。
「あー疲れた……」
宿屋にチェックインし部屋に到着して早々、そう零してアリューはベッドに倒れ込んだ。突然襲来した重量物にベッドがギシッと悲鳴を上げるも、アリューにベッドを気遣っている余裕はなかった。
重いリュックを肩から下ろして部屋の端に追いやる。
あのときイリサが歩き出した方向は冒険者ギルドに向かう道から一本ズレており、アリューたちはそれに気付かぬままずっと直進していたのである。
もしやこの道は冒険者ギルドに続いてないのでは?と彼らが気付いた頃には空は朱染めされつつあった。
結局アリューが住民に話し掛けて助けてもらったため事なきを得たが、お上りさんを全開にしていたことの恥ずかしさは救われず。羞恥心が長旅の疲労感と手を組んで、アリューの両肩にのしかかっていた。
瞼が重い。まだ夕食を食べていないが、睡眠欲が食欲の先を行ってしまっている。
イリサにも今日はもう寝ると伝えてあるから、このまま泥のように眠っても文句はないはずだ。
イリサは不摂生を過度に嫌うケがある。そんな彼女からしてみれば夕食を抜くなど言語道断なのだろうが、かといって疲れて寝ている人を起こしてまで食わせるような性格でもないので、眠っても問題はないとアリューは割り切った。イリサに怒られるより睡魔に抗う方がストレスだ。
そもそもイリサはなぜ俺にあそこまで構うのだろうか、とアリューはふと疑問に思った。
自分だったらこんな何も決められない存在は正直面倒に思うだろう。
理由をグルグル考えてみるも、睡魔に支配された脳みそではあまり繊細な思考はできない。
……ああそうか。イリサは俺を弟とでも思っているのだ。
その前提を持って今までのことを思い返してみると妙に合点がいく。
自分の行動に俺を付き添わせたがるのは、自分に従ってくれるやつが都合のいいだけ。
俺の健康を気遣うのは、俺が病気したら付き添わせるやつがいなくなるのが困るだけ。
そういえばイリサは末っ子だったか。ならば俺のような従順な人物は貴重だろう。
嫌だな、とアリューはため息を吐いた。
自分が人に流されやすいのは、もうそういう性質だと分かっているし不満はない。しかしそれを他人に利用されているのはなんだか癪に障る。
別に今初めてそういう風に扱われていたことに気付いたのではないのだろう。ただなんとなく、甘んじて受け入れていたのだ。
慣れない場所、王都という場所がアリューにほんの少しの客観性を持たせた。それが良いことなのか悪いことなのか、アリューには分からない。
怒る気力すら今は湧かない。
ふと、ズキンと頭が痛んだ。
その頭痛は倦怠感へと姿を変えてアリューの全身を這い回ってゆく。そのまま、倦怠感に身体を奪われてしまいそうな感覚に陥った。
いよいよ疲れが体調に出たか。
もう……考えるのはやめよう。今は寝て疲れを取ろう。寝たらイリサのことも、どうでも良くなるさ。
そして、眠気はアリューを呑み込んで──
──いつしか日は沈み、空に薄青い夕闇をもたらしていた。
■
翌朝、イリサ=フロストはアリューの部屋の戸を叩くのを躊躇していた。理由は明白で、昨日の彼女の失態にあった。
三人姉妹の末子に生まれたイリサは日々長女と次女からの横暴に晒されていた。兄や姉を持つ者特有の悩みである。
そんな彼女にとって、幼い頃からイリサの側にいて自分を頼ってくれるアリューという存在は唯一のものだったのだ。
いつの間にかイリサは姉にでもなったような気分でアリューと接していた。自身が姉たちに抱いていた不満の分、アリューには頼りになる女として振る舞おうと思っていたのだ。
それが昨日のザマはなんだ。
何度も近くの都市に行ったことがあるからと調子に乗っていれば、王都のあまりの広大さにあてられて道を間違えて。
緊張していたのもあるのだろう。しかしアリューの『先に宿屋に行かないか』という申し出を断ってまで冒険者ギルドに向かったというのに迷ってしまい、結果アリューにカバーさせてしまった。その申し訳なさこそ、この躊躇いの正体だ。
思えば昔からこうだった。
先陣を切って歩くくせに、よく失敗してはアリューに何とかしてもらう。そしてそれから学びを得ずに繰り返す。
そんな私でもまだ付いてきてくれているのは、きっとアリューの優しさだ。イリサはそう思う。
アリューは、イリサをよく理解している。
勝手に突っ走ってはすぐに不安になってしまうような人間なのだと分かっている。自分の意見で動きたいのに、自分の意見では不安になってしまうような面倒な人間なのだと分かっている。
アリューがイリサについて行くのはそれを理解しているからだ。イリサを一人にしないためなのだ。
イリサがアリューのその優しさに気付き、微かな恋心を抱いてから、何年の時が経っただろうか。
“姉として”から、“一人の女の子として”アリューと接し始めたのは、いつからだったろうか。
アリューの優しさと、今の関係に甘えてる自覚があったから、イリサは自分を好きになれない。
いざ気付いてみれば、“頼られている”などと感じていたことのなんと愚かなことか。頼っていたのではなく、ただ私のしたいようにさせてくれていただけ。
それを勘違いしていたことが本当に悔しくて、本当にみっともない。
でも、私はもう成人しているのだ。もうとっくに大人の一員なのだ。
なんのためにアリューと一緒に王都に来たと思ってる。彼の優しさに報いるためであろうが。
今までの恩返しをしなければならないのだ。
冒険者になりたいと言ったのも、アリューと一緒に依頼に向かえるようにするためだった。剣に関しては父に頼んで多少仕込んでもらったのできっと役に立てる。
昨日の一件で、アリューは怒っているかもしれない。いい加減こんな女うんざりしているかもしれない。それでもこの戸を叩けなければ、私はずっとこのままだ。
イリサはフーっと深く息を吐いて、戸を叩いた。
コンコン。
「アリュー? 朝だよ、ごはん食べに行こう」
数秒待つが反応はない。まだ寝ているのかと思ったが、イリサが起きたとき、彼の泊まっている部屋から物音がしていたので起きていないわけはない。宿屋のスタッフにアリューが外に出ていないか一応訊き、出ていないとの回答を得たので、中にいるのは確実だ。
やはり怒っているのだろうかとイリサの身体が竦むが、先の決意を思い起こし、再び戸を叩く。
コン、コン。
「アリュー、昨日のことはごめん。
もうああいったことはないように気をつけるからさ、とりあえず一緒にご飯食べよう?
依頼を受けるのは明日でもいいから……ね?」
またもや反応がない。これ以上続けるのはアリューに嫌われてしまうかもしれないと、イリサは三度目を躊躇った。
震えたその手が、扉に触れる。
コン、
そのとき、バン!と音を立てて、突如扉が開かれた。
「わぷっ! いったぁ……ちょっと、アリュー」
当然、扉の目の前にいたイリサには扉が衝突してしまった。
幸い血は出なかったものの鼻がジンジンと痛む。ついでに尻もちをついてしまったので臀部も痛む。
いくら怒ってると言ったってこの仕打ちはないだろうと思ったイリサがアリューに文句を垂れようとし、視線を上に向けた。
「アリュー? それがこの身体の名前か?」
アリューじゃない。
直感的にそれを悟った。
背丈はアリュー。顔もアリュー。声もアリュー。髪型も手の大きさも脚の長さも着ている服も何もかもがアリューそのもの。
でも、違う。
彼はこんな、冷たい顔をしない。
誰。
「その反応なら合っているようだな、ところで『依頼』と言ったか?
ならばやはり君と“俺”は冒険者なのだな。見たところ新人ホヤホヤか。
ファミリーネームはギルドで聞けば分かるか……」
彼が独り言を漏らしながら扉を閉じようとする。
あまりの衝撃にイリサは呆然自失としていた。もう鼻や尻の痛みも、へたり込むイリサを邪魔そうにする宿屋の利用客からの視線も気にならない。ただただ、今の出来事を脳内でゆっくり噛み砕いていた。
バタン、と扉が閉じられる。
アリューならば、一言言ってから扉を閉めていた。
「ねえ、」と声を絞り出す。
閉められた扉越しの、アリューの背中を見る。
「アリューは、どこに行ったの」
数秒開けて、彼が言った。
「もう、俺がアリューだ」




