悪役令嬢♂でございます。
俺は辻坂陽。サラリーマンだ。今の状況を簡単に説明する。
道路に飛び出した子供を助けたら、代わりにトラックに轢かれた。
気づいたら真っ白な雲の上。
俺の目の前には女神様がいる、っていう状況だ。
胸元がガッツリ開いた白いドレスを着た女神様だ。
ウェーブがかった長い金髪に、青い瞳。ぷっくりと厚めな唇に、口元には小さな黒子——あらゆるセクシーを詰め込んだ、ヴィーナスというか、モンローといった感じの女神様だ。
女神様が、ゴテ盛りネイルの人差しをピンッと上げて、説明を始めた。
「あなたは子供を助けて、身代わりに亡くなりました」
「あ、やっぱりそうなんですね」
「その慈愛溢れる清らかな心を見込んで、あなたにお願いがあります。私の世界で生まれ変わってもらいたいのです」
おっ。これが噂の異世界転生ですか? 俺TUEEEですか? 最強ものですか? チートはありますか? ハーレムは?
「ハーレムはありませんけど、チートはありますよ。最強は何を基準にするかで変わりますし、イキって俺TUEEEするかどうかはお任せします」
女神様は、にこやかに微笑まれた。
……こっちの考えがバレてるぅ! しかも、大人の対応で流されてるし!! めっちゃ恥ずかしいやつ!!!
俺は頬をひくつかせながら、女神様の話の続きを聴いた。
「代わりにあなたには、こちらの世界で出来うる限り高位の身分と最良のスキルを授けましょう」
「えっ? スキルは選べたり……」
「しません」
俺がどんなスキルをもらえるのかワクワクして尋ねると、女神様は笑顔でキッパリと却下した。
ゆ、夢がねぇ……!!!
「……それで俺は何をすれば? 何か目的はあるんですか?」
「目的ですか…………ダイジョーブ。流れに任せてくれれば」
女神様はにっこりと笑った。誤魔化すように甘い声で囁くように言う。
……なんか「大丈夫」が軽くね? 全然大丈夫じゃないんだけど!? 笑顔なんかじゃ騙されねぇぞ!!
「あなたなら私の目的にも合致しそうですし、何とかなるでしょう」
女神様は白い手を頬に寄せて、何やらサラッと呟いた。
「へ? だからその目的は? それに何とかって……」
俺がさらに尋ねようとすると、
「それでは、現世へ行ってらっしゃ〜い!」
女神様がバイバイと小さく手を振ると、俺の下にあった雲がパッと消えた。
「ふざっけんなぁあぁあぁぁああ……!!!」
俺は下界に落とされながら、叫びまくった。
***
「はっ!!?」
俺はがばりと跳ね起きた。
はじめに目に入ったのは、やけに豪華な部屋だった。「高位の身分」での転生は嘘ではなかったらしい。
「もう、あの女神マジふざけんな。説明もなくこんな所に放り込みやがって! 無責任にも程があるぞ!!」
とりあえず俺は現状把握のために例の言葉を口にすることにした。こういう時のお決まりの呪文だ——ただ、不発だったら、めちゃくちゃ恥ずかしいやつだ。
「…………ステータスオープン…………」
しーんと静まり返った部屋に俺の低い声がこだました。
「うぎゃぁ!! ステータスオープンがねぇ!!!」
俺は恥ずかしすぎて、顔を両手で隠して、ふかふかのベッドの上でゴロンゴロンと転がった。
上流階級用の広々ベッドだ。二回転半はいけた。
ふと、自分の髪が長いことに気づいた。金色の柔らかくて綺麗な髪だ。
手を見れば、白く細く、肌はきめ細やかで、まさに「白魚のような手」だ。
俺は、パッと目に入ったドレッサーの鏡に駆け寄った。
そういえば、この部屋のインテリアもピンクや赤を基調としていて、やけに女の子らしい……
俺が鏡で自分の姿を確認して叫ぼうとした瞬間——
「おはようございます。エリザベトお嬢様」
コンコンッとドアをノックする音がして、侍女らしき女性の声がした。
「どうぞ〜」
俺は思わず裏声で返事していた。もうどうにでもなれだ!
ドアを開けて入って来たのは、きちりとメイド服を着込んだ綺麗な女性だった。
「本日は魔法学園の卒業パーティーですよ。お嬢様をピカピカに磨かせていただきます」
——え? 今、なんて?? 俺、いきなり詰んでないか???
この手の世界で「卒業パーティー」といえば、大事なイベントの日——大抵、婚約破棄なり、国外追放なり、ざまぁが発生する日だ。
何か事件が起こりそうな匂いがプンプンする……
とにかく、落ち着いて鏡の中の美女を見れば、どこかで見たことある顔だった——そうだ! 妹がやってた鬼畜乙女ゲームだ。
『恋のセレニティ〜魔法学園のシンデレラ〜』——通称『恋セレ』だ。
元庶民で、希少な光属性の魔力に目覚めたヒロインが、男爵家の養女になって魔法学園に入学。学園イベントをこなしながら、攻略対象者との好感度を上げて絆を深めてハッピーエンドを目指すという、ここまで聞く話だとよくある乙女ゲームだ。
ただ、選択肢のトリッキーさと攻略対象者のクセの強さ、選択ミス一つで即バッドエンドという初見殺し満載で、ゲーム難易度はかなり高い。
だが、ストーリー展開は面白く、攻略対象者の美麗スチルも人気絵師が手掛けたらしく、コンプリートするために世の乙女ゲーマーたちがイライラとぼやきながらも攻略していく、なんだかんだ言っても愛されている鬼畜ゲームだ。
なんで俺がこんなに詳しいかというと、うちの妹が散々、家の居間で叫んでたからだ。
選択肢ミスって悲壮の雄叫びをあげ、新しいスチルを手に入れれば歓喜の奇声をあげていた——そりゃあ、「どんな内容だ?」って気になって仕方がなくなるだろう。自分じゃやらなかったが、ゲーム実況だけはチェックした。
で、今の俺は「王太子ルート」でライバルとして登場するエリザベトお嬢様だ。いわゆる、悪役令嬢だ。
二番目に可愛いなって思ってたキャラに転生して、正直ドキドキしている。
エリザベトお嬢様、いや、俺が麗しすぎる。
寝起きでまだ何もお手入れされていないはずなのだが、絹のようなつるりとした肌をしている。人形のような端正な顔立ちで、パッチリと大きな瞳は南の海のような緑がかったマリンブルー。ゆったりと波打つような金髪の髪は艶やかで、さらりと輝いている。
うん、お美しい。
そして、エリザベトお嬢様といえば、話題の魅惑のスタイルは……
待て! 俺、いや、エリザベトお嬢様の胸が無いぞ、全く。つるぺただ。
非常にいや〜な予感がして確認してみたら……あった。ご令嬢にあるまじきモノが……
ご令嬢♂じゃねぇかっっっ!!?
「エリザベト様、朝食の準備が整いました。本日はドレスの着付けをいたしますので、いつも通り軽食を準備させていただきました」
「……ええ、ありがとう」
侍女に声をかけられ、無理矢理笑顔をつくって答えた。
軽食はサンドイッチとコーヒー、少しのスープだった。
腹に何か納まったことで、少し落ち着いた。
気持ちが落ち着くと、俺の脳内に、本物のエリザベトお嬢様の記憶が流れ込んできた——
エリザベトお嬢様は、双子だった。
双子の上には、さらに兄のコンスタンティンがいる。
幼い頃のエリザベトお嬢様は、母が双子の妹ばかり可愛がるのを寂しく思っていた。
双子の妹は、綺麗なレースやフリル、艶々なサテンのリボンが付いた、ピンクや黄色やオレンジ色の可愛いドレスを着させられ、お人形さんのように可愛がられた。
双子の妹のわがままは、「仕方がないわね」と、なぜか受け入れられていた——自分はそんなことないのに。
双子の妹のことを羨ましく思わない日は無かった。
ただ、そんな日は長くは続かなかった。双子の妹は流行病に罹り、呆気なく亡くなってしまったのだ。
母の嘆きようは酷かった。食事も喉を通らず、みるみるうちに痩せ細り、ほとんど部屋から出ることなく泣き暮らすようになった。
どんどんとやつれていく母に、それをただ見ているだけしかできない家族。
家族から、火が消えたようだった。
ある日、エリザベトお嬢様は、双子の妹の服に袖を通した。
ずっとずっと羨ましくて、自分も欲しかったものだ。
元々、双子なんだ。
見た目は亡くなった双子の妹と瓜二つ——いや、鏡を覗き込めば、双子の妹が生き返ったかのようだった。
意を決して、その格好のまま母の部屋に向かった。
「お母さま……」
「……エリザベト!」
母は号泣して、エリザベトお嬢様を強く抱きしめた。
痩せすぎて細くなった腕なのに、びっくりする程きつく抱きしめられた。
この日を境に、母はだんだんと元気を取り戻していった。
父も兄も、母が元気になるならと、エリザベトお嬢様が女の子の格好をすることを許した。
——こうして、双子の兄エトムントは、「エリザベト」になった。
何これっ!? こんな裏設定あったの!?
そりゃあ、エトムントも女装するわ……って、なるかいっ!!!
さらにエトムント、もとい、エリザベトお嬢様の記憶が雪崩れ込んでくる。
母と一緒にドレスやアクセサリーを楽しそうに決めているエリザベトお嬢様。
淑女教育を嬉々として真面目に受けているエリザベトお嬢様。
他のご令嬢方とお茶会を開き、恋バナや噂話に花を咲かせるエリザベトお嬢様。
綺麗なドレスを着て、お化粧をして、母と一緒に観劇に行くエリザベトお嬢様……
……って、ノリノリじゃねぇかっ!! エトムント、何、お嬢様生活を満喫してんのっ!?
なお、周りには「双子の兄は病気がちで領地で療養している」ことになっている……
「誰か止めろよ」
思わず低い声でツッコミを入れた。
「どうかされました、エリザベト様?」
「……いいえ、何でもありませんわ」
不思議がる侍女に、愛想笑いをして「オホホ……」と裏声で誤魔化す。
ちなみに記憶によると、この侍女の名前は「ララ」らしい。
さらにエリザベトお嬢様の記憶は続く……
エリザベトお嬢様は、魔法学園での勉学も頑張って、上位の成績を取った。
美しく社交的なエリザベトお嬢様は、お茶会やパーティーにも積極的に出席して、他の貴族とも交流を図った。
侯爵家という家柄もあるが、エリザベトお嬢様は、学園でも社交界でも一目置かれるようになった。
こうして私、エリザベトは王太子の婚約者に選ばれる程の令嬢に……だと!!?
マジで目眩がした……
「エリザベト様!?」
「……いいえ、大丈夫ですわ」
くらりと大きく揺れた俺に、ララが慌てて駆け寄った。
「少し、休まれますか?」
「……いえ、大丈夫よ……」
ララに支えられ、俺は小さく首を振った。
そうだよな、「王太子ルート」のライバルってことは、そういうことだよな……
エリザベトお嬢様、いや、エトムントよ、なぜ頑張ってしまったんだ?
「さすがに誰か止めろよ」
低い声で、呆れ返った呟きが漏れた。
「えっ……?」
「何でもございませんわ」
訝しげなララに、にっこり微笑んで誤魔化す。
とにかく、俺の目標は決まった。
♂バレする前に、王太子との婚約を白紙に戻すことだ。
確かに、女神様の言う通りだ。流れに任せてれば、自ずと分かった。
「エリザベト様、お加減はいかがでしょうか? 着付けの準備は始めてしまってもよろしいでしょうか?」
ララが不安げに俺に尋ねた。
「ええ。構わないわ。進めて頂戴……」
そこまで言って、俺は気づいてしまった。
ララって、俺の本当の性別は知ってるんだよな……?
「湯浴みの後は、マッサージさせていただき、いつものこれを装着させていただきます」
ララが大事そうに抱えて持って来たのは、俺の胸、もとい、エリザベトお嬢様のお詰め物だ——その大きさに戦慄を覚えたのは言うまでもない。
「あのたわわは、偽物だったのか……」
俺は、膝を抱えて湯に浸かりながら、なんだかちょっぴり切ない気持ちになった……
なんだろう。気になってた女の子の、見たくもなかった碌でもない本性を目の当たりにして、夢が壊された時のような感覚だ。
「……確かにエリザベトお嬢様だけ、水着カットも肌見せの多いドレスもなかったしな……」
しんみりタイムは湯船の中だけだった。
湯から上がったら、怒涛のマッサージと、ドレスの着付け&メイクアップタイムだ。主にララが頑張った。
俺はただただララに全てを任せて、なされるがままだった。
「綺麗……」
俺は、鏡の中のララが仕上げてくれた自分に見惚れた。
フリルが多い真っ赤なドレスは随分と派手だが、元が美人なので、何でも着こなしてくれる。
メイクもしっかり華やかに施され、悪役令嬢らしく目力がある。
金髪はハーフアップスタイルに結い上げられ、大きな髪飾りで留められている。もちろん、後れ毛は全て縦ロールだ。
——まさに、ゲームの中の悪役令嬢エリザベトお嬢様、そのままだ。
「ありがとう、ララ!」
俺は笑顔でララにお礼を言った。
「エリザベト様が、私めなどにお礼のお言葉を!?」
なぜかララが衝撃を受けている。
……確か、エリザベトお嬢様は、完璧主義の高飛車お嬢様キャラだったな。その分、本人のあらゆるスペックも完璧だが……
「いつものエリザベト様でしたら、メイクやヘアについて的確なご指摘がありますのに……!」
やめて! ハードルを上げないで!! 中身、サラリーマンのおっさんだから! ヘアメイクなんて分かんないからっ!!!
「それに、本日のエリザベト様はどこか隙があって、その……すごくいいです……」
ポッとララが頬を赤らめた。
何それ。褒めてんの? 貶してんの?
コンコンッとノックがあり、「どうぞ」と答えると、兄のコンスタンティンが入ってきた。
エリザベトお嬢様と同じ金髪とマリンブルーの瞳のキラキラ美男子だ。
「ああ、エリザベト! とっても綺麗だよ! 今日の卒業パーティーは、僕がエスコートするからね!」
大げさに両腕を広げて、コンスタンティンが褒めてくれた。
「ありがとう。お兄様」
俺はお嬢様らしく微笑んでお礼を言った。
身体の方が覚えていて、自然と笑顔と仕草をキメていた。
「全く、こんなに美しい妹を放っておくだなんて! 殿下は見る目がないな」
コンスタンティンは非常に渋い顔をして、「理解できない」といった風に首を横に振った。
この感じだと、ヒロインは王太子ルートを選んだのか…………よしっ! 婚約破棄、確定!
ヒロイン、俺はあんたの味方だ。存分に王太子をたらし込んでくれ!!
『恋セレ』の攻略対象者は、王太子一人ではない。
他には、王太子の側近で宰相の息子と騎士団の団長の息子、商売も手広くやってるやり手の公爵家子息、魔法の天才で魔法学園の先生がいる。
ただ、この「卒業パーティー」イベントでは、一番好感度が高い攻略対象者がヒロインのエスコートをする……ということは、ヒロインは「王太子ルート」を選んで、しかも好感度が高いらしい。
俺としては、王太子との婚約を白紙に戻す絶好のチャンスだ。
「エリザベト、そろそろ時間だよ。行こうか?」
「はい、お兄様」
俺はコンスタンティンの腕に手を添えた…………今だけだからなっ!!
***
「あら、ごきげんよう。エリザベト様」
「ごきげんよう。シビラ様」
「やあ。お久しぶりです、シビラ嬢」
卒業パーティーの会場でいち早く俺たちに声を掛けてきたのは、シビラ様だ——『恋セレ』での俺の最推しだ。
シビラ様は、腰まで届く艶やかな黒髪のストレートで、菫色の瞳は透明感があって涼やかだ。いわゆる、清楚系の美人だ。
本日は瞳の色に合わせた、淡い菫色のドレス姿だ。ヘアアレンジは最小限に、黒髪の美しさを魅せつけてくれるらしい——控えめに言っても、最高です!
「エリザベト様、貴女にはそのドレスはくどすぎてよ。王太子殿下の婚約者には相応しくなくてよ」
俺もシビラ様と全く同意見です。
エリザベトお嬢様は、悪役令嬢らしく盛っていてキツめに見えるが、実は正統派の美貌をお持ちだ。もっと上品で綺麗めなドレスの方が似合うと思う。
でも、今朝エリザベトお嬢様の身体の中に意識が入ったばかりで、「ドレスを変えて」とは言い出せなかった。そもそも替えのドレスがあるのかも分からなかったし。
俺が誤魔化すように微笑むと、シビラ様は口元を扇で隠して、もじもじと視線を逸らした。どこか恥じらう感じが可愛い。
そういえば、シビラ様は「やり手の公爵子息ルート」のライバル兼悪役令嬢のはずだが……今日は婚約者はどうしたんだ? どこ行った??
「エリザベト様も、ご家族の方がエスコートされてますのね……」
シビラ様が目線を伏せて、小さく溜め息を吐いた。黒々と長いまつ毛が白い肌に影をつくって、芸術品のようにお美しい……
って、俺も?? どういうこと???
俺が疑問に思っていたのが顔に出てたのか、
「今にわかりますわ」
と言って、シビラ様は目線を会場のあちこちに向けた。
シビラ様の視線の先には、攻略対象の宰相子息と騎士団団長子息の婚約者の令嬢たちがいた。
彼女たちも、どうやら兄弟や従兄弟がエスコートをしているようだ。
なお、魔法学園の先生に婚約者はいない。
ま、まさか、今回のヒロインは……!?
「お集まりの皆様、お待たせいたしました。今宵の魔法学園の卒業パーティーを始めましょう。ですが、パーティーを始める前に、皆様にご報告したいことがございます」
王太子マルセルが、壇上に上がって宣言した。
マルセルは攻略対象者らしく、さらりとした銀髪に紫色の瞳で、貴公子のような美形だ。——黙ってれば、な。
マルセルがエスコートして隣に連れているのは、ピンクブロンドのツインテール男爵令嬢——ヒロインのクリスティアーネだった。
クリスティアーネは、垂れ目気味のぱっちりと大きな瞳で、幼めな顔立ちの美少女だ。
チラリとこちらを見られた時、なぜか彼女が勝ち誇ったようにニヤリと笑ったような気がした。
マルセルとクリスティアーネの周囲を固めるように、攻略対象の宰相子息、騎士団団長子息、公爵家子息、魔法学園の先生が並び立った。
攻略対象者は全員イケメンなので、壇上がやけに美麗で眩しいことになっている。
——どうやら、ヒロインは最難関の「全員攻略ルート」に進んでいたようだ。
「早速だが、エリザベト。お前との婚約を破棄する! 俺は真実の愛に目覚めたんだ!!」
マルセルは声高らかにアホなこと叫ぶと、隣にいるクリスティアーネを抱き寄せた。
クリスティアーネは、不安げにマルセルに掴まっていて、大きな瞳でうるうると彼を見上げた。
「…………」
そんなクリスティアーネの様子を見て、王太子のテンションがあからさまに下がった。
やめろぉおぉおおっ!!! 王太子の選択肢で凡ミスすんじゃねぇ!!
すげぇ残念そうな顔してんだろ、王太子! ドMなんだよ、そいつはっ!! マルセルのMは、ドMのMだっ!!!
そこは「王太子にだけ分かるように、『さっさと終わらせろ』と冷たく見据える」だろ!!!
ここで好感度を下げるなっ!! 俺が婚約解消できなくなるだろっ!!!
俺の心の中では大嵐が吹き荒れた。
俺の不安げな様子が伝わったのか、隣にいたシビラ様が、気遣うようにそっと俺の背中に手を添えてくれた——俺のシビラ様への好感度が、ギュンッと上がった。
「しかも、お前はクリスティアーネを虐めていたそうだな。彼女に悪口を言い、彼女の教科書やドレスを破き、さらには階段から突き落としたそうじゃないか——全て、クリスティアーネが証言してくれた。そんな者は、将来の王妃に相応しくない!」
マルセルはビシッと俺を指差し、堂々と言い放った。
「エリザベト様! どうか、あなたのためにも罪を認めてください!」
クリスティアーネが涙ながらに、悲劇のヒロイン風に叫んだ。
何が俺のためにだ。「私のため」の間違いだろう?
エリザベトお嬢様の記憶でも、どうやらヒロインとは一切関わってこなかったようだ。「あの子、ヤバい」って……婚約者持ちの男性に声を掛けまくって、周囲から浮いていて、相当引かれていたようだ。
「私、そんなことしてませんわ。そもそもクリスティアーネ様と関わったことはございませんし、お話ししたのも本日が初めてですわ」
婚約破棄はともかく、やってないことはきちんと反論させてもらう!
「この後に及んで嘘をつく気か!?」
マルセルが睨みつけてきた。
だが、やってないものは、やっていない。
俺が何か反論しようと口を開きかけた時——
「一つ、発言をよろしいでしょうか?」
シビラ様が小さく挙手した。
「何だ?」
マルセルがイライラと、反射的に尋ねた。
「私はエリザベト様とは同じSクラスで、授業はずっと同じでしたし、放課後の淑女クラブも、茶会やパーティーでもよく一緒してました。エリザベト様は、クリスティアーネ様の悪口どころか、クリスティアーネ様のことを話されたことは一度もございませんでしたわ」
シビラ様が、静かにクリスティアーネを睨み上げた。
クリスティアーネは、びくりと小さく跳ねて、小刻みに震えている。
「それに、クリスティアーネ様の持ち物については、ご自身で破られているのを見た者がございます。階段の件についても、確か大勢の目撃者が……皆様、いかがでしょう?」
シビラ様は会場をぐるりと見回して、意見を求めた。
「私、クリスティアーネ様がご自身で教科書をこっそり噴水に捨てているのを見たことがございますわ」
宰相子息の婚約者のモニカ様が証言してくれた。「宰相子息ルート」のライバルで悪役令嬢だ。
「私も、たまたま廊下を歩いていた時に、空き部屋でご自分のドレスを傷つけているクリスティアーネ様を見ました」
騎士団団長子息の婚約者のアデル様が証言してくれた。「騎士団団長子息ルート」の以下略。
他にも、「私も見ましたわ」「自分でコケて階段から滑り落ちてたよな」という声が、ざわざわと観衆から聞こえてきた。
「ぐっ……」
マルセルが悔しそうに声を詰まらせた。
クリスティアーネも、顔を真っ青にして震えている。
「アデル! クリスティアーネの悪口を言うとは、相変わらず卑怯な奴だ!」
騎士団団長子がバカでかい声で怒鳴った。
「あら、もう婚約者ではありませんのよ。気安く名前を呼ばないでくださる? それに、悪口ではなく、事実を言ったまでですわ」
アデル様が冷たく言い返した。
「私もそうですが、モニカ様もアデル様も、すでに婚約破棄しましたわ。どうやら、お相手方がとある女狐に誑かされたようですの」
シビラ様が扇で隠しつつ、俺の耳元でこっそり教えてくれた。
シビラ様の声は澄んでて、しかも可愛い。ゲームで担当していた有名な声優さんの声のままだ。
もちろん、俺のハートは鷲掴みだ。
って……えぇええっ!? もう全員、婚約破棄してんの!!?
——これは、俺も婚約破棄の波に乗らねば!
「マルセル殿下。婚約解消の旨、了承いたしました。ですが、クリスティアーネ様のことにつきましては、謂れのない全くのデタラメでございます。証言者が何人もございます」
俺は淑女らしく口元を扇で隠して答えた。
これで、とりあえず「♂バレする前に、王太子との婚約を白紙に戻す」というミッションはクリアだ。
「……そんなはずはない! クリスティアーネが証言しているんだぞ!」
「いい加減にせい!!」
マルセルがさらに言い募ろうとすると、別方向から威厳のある声が響いた——国王様の入場だ。
俺は反射的に優雅にカーテシーをしていた。さすが、完璧主義なエリザベトお嬢様だ。
「ですが、父上!」
「マルセルはしばらく頭を冷やして来い。エリザベト嬢、愚息が申し訳なかった。このような場で、こんな愚かなことを……愚息との婚約解消を認めよう」
マルセルがさらに言い募ろうとすると、即座に国王様が遮った。渋々、婚約解消も認められた……ラッキー!
「恐れ入ります」
俺は粛々とお辞儀をした。
……あれ? 俺、何もやってないよね? 本当に流れに身を任せてただけだよね?
王太子とヒロイン、その取り巻きたちは、衛兵に連れられて退場していった。
国王様夫妻も一緒に退場されたので、これからお叱りを受けるんだろう……
「エリザベト様。大変でしたわね。まさかこのような場で、あのようなこと……心中お察しいたしますわ」
シビラ様が元気づけるように、両手で俺の手をきゅっと握った。
やった! 役得だ!
「いいえ。シビラ様のおかげで謂れのない罪に問われることはなくなりましたわ。本当にありがとうございます」
俺がにっこりとお礼を言うと、シビラ様の頬にぽぉっと薔薇色がさした。
シビラ様は恥じらうように視線を外された。
「お、お役に立てて光栄ですわ。……その、エリザベト様、今度お茶会をいたしませんか? このようなことがあった後ですもの。気晴らしも必要でしょう?」
シビラ様が頼りなさげに見上げてきた。菫色の瞳には薄っすら潤んでいて、目元は少し赤らんでいた。俺の手を握るシビラ様の手も少し震えている。
エリザベトお嬢様の記憶が流れてきた。
魔法学園では、同じSクラスでよく勉強会を開いたり、一緒に課題をこなしていたようだ。
放課後の淑女クラブでも、楽しく刺繍や詩歌の練習をしたり、立派な淑女になるべく意見交換したり、流行りのものについて調べたりしていたようだ。
茶会や社交の場でも、さりげなくシビラ様がサポートしてくれていたようで、エリザベトお嬢様は、心から彼女を信頼していたようだ。
——エリザベトお嬢様は、本当にシビラ様と仲が良くて、良い関係を築いていたんだな……
「ええ、是非。お誘いいただいて、嬉しいですわ」
「良かったわ。また後日、正式な招待状をお送りしますわね」
俺が快諾すると、シビラ様は花が綻ぶように艶やかに微笑まれた。
つい見惚れてしまったのは、秘密だ。
***
屋敷に戻った俺には、もう一つ仕事が残ってた——母上についてだ。
以前のエリザベトお嬢様だったら、まだこのまま亡くなった妹の振りをしていても構わないと思う。結構楽しんでたみたいだしな。
だが、もう中身は辻坂陽になったんだ。もう元の世界には戻れないんだ。せめて性別が同じエトムントの姿になって男として生きたい。
それに、母上にとっても、俺がこのままだと良くないだろう……
卒業パーティーであったことを報告するため、家族全員が集まっていた時だ。
王太子との婚約解消の報告をして、父上が「分かった」と了承した後、俺は家族に向かって宣言した。
「父上、母上、兄上。私は元の『エトムント』に戻ろうかと思います。今夜の騒動で『エリザベト』は傷心したため領地に療養しに行き、代わりに『エトムント』が王都に戻ってくるのです」
「あぁ……よくぞ、決断してくれた。お前はずっとこのままかと思っていたよ……」
父上が一気に泣き崩れた。——うん、その気持ち、めっちゃ分かる。そりゃそうだよな。
「エリザベト、いや、エトムント。私はお前がどちらを選ぼうと、一生お前の味方だよ。お前があの時勇気を出してくれたおかげで、家族がバラバラにならずに済んだんだ。感謝してもしきれないよ」
コンスタンティンも、涙声だった。——ごめん、エリザベトお嬢様は、女物に憧れてたし、心から楽しんでたんだ。別に犠牲になったわけじゃないんだよ……
「……母上……」
俺は母上の方を向いた。
母上も両手で顔を覆って、号泣していた。
「うっ、うぅっ……ごめんなさいね……私が弱いばかりに、あなたにばかり負担を……本当はもうエリザベトはいないということは分かっていたのよ……でも、エトムント、あなたに甘えていたわ……」
久々に本名の「エトムント」と呼ばれ、俺の中のエリザベトお嬢様がキュンッと切なく震えた。
「良いのです。私はお母様が元気になってくださっただけで嬉しいのです。それに、私も楽しんでました。お母様と一緒にドレスを選んだり、観劇に行ったり、お茶会を開いたり……素敵な思い出ですわ」
俺の口から、するりとエリザベトお嬢様の言葉が溢れた。不思議な感覚だった。
「ああぁあああっ……!!」
母上はそのまま泣き崩れてしまった。
父上も兄上も俺も、母上の背中をさすり、その日は一晩中家族みんなで涙を流した。
***
神界では、ふかふかの雲のソファに寝そべって、女神がエトムントたちの様子を巨大な薄型ビジョンの前で見ていた。
「うぅっ……まさか、こんなハッピーエンドが見れるなんて! さすが、私が見込んで連れて来た子……」
女神も号泣していた。
ハンカチーフで涙を拭き、チーンッ! と豪快に鼻をかむ。
「でも、折角『聖女♂』のスキルを付けてあげたのよ。使ってもらえなくて、残念だわ……王太子殿下は、クリスティアーネちゃんの魅了魔法にかかってたのよ。『聖女♂』スキルで解除できたのにぃ……」
女神はデコられた細い指先で、パリッとポテ◯チップスうすしお味をつまんだ。
辻坂陽をこの世界にスカウトする時に目にしてしまい、欲望に負けて一緒に異世界召喚していたものだ。
「でも、まぁいいわ! 私の最推しのエトムント君が本来の男の子の姿に戻ったし! 原作には無いけど、ハッピーエンド回収よ!!」
女神は満面の笑顔で、ふわりとたくさんの雲のクッションを放り上げた。
キラキラしいエフェクト音と共に、神界の女神の部屋に現れたのは、額縁に入ったエトムントの美麗スチルだった。
***
シビラは少し気落ちしていた。
本日はエリザベトとの茶会のはずだったのだ。
だが、大好きなエリザベトは傷心のため領地に戻ってしまった。
そして、茶会の返事は「出席する」ではあったのだが、「代わりの者が出席する」だった。
本来であれば大変失礼なことだ。虚仮にされたも同然だ。
だが、シビラはなぜかこれは受け入れた方が良いと感じたのだ。
(エリザベト様が何の考えも無しにこのようなことをされるとは到底思えないわ。とても賢い方ですもの)
シビラはエリザベトに淡い恋心を抱いていた。
煌めくような金色の髪、南の海のような緑色を含んだ鮮やかなブルーの瞳。
賢く、美しく、令嬢として完璧なエリザベトは、シビラにとって一目見た時から憧れの眩しい存在だった。
魔法学園で同じクラスになり、一緒に過ごす時間が増え、想いはどんどん募っていった。
だが、シビラはそんな恋心を抑え込んだ。
シビラには公爵家令息だった婚約者がいた——商売についてはやり手だったが、とある男爵令嬢に魅入られて身を崩し、婚約破棄したのだ。
その男爵令嬢は、第一王子や宰相子息、騎士団団長子息、果ては学園の先生にまで手を出していたことが発覚し、大問題になった。
第一王子は男爵令嬢に唆されるがまま卒業パーティーで問題を起こし、廃太子され臣下に下ることになった。代わりに彼の弟の第二王子が立太子された。
男爵令嬢に魅入られた他の子息たちも廃嫡され、魔法の先生に至っては、生徒に手を出したということで学園を追放されている。
男爵令嬢自身も責任を問われ、現在は特に厳しい修道院に入れられているという。
エリザベトも卒業パーティーの騒動で、婚約解消となった。
今まで抑え込んでいたシビラの淡い恋心は、エリザベトの一件で、燃え上がってしまった。
(良くないってことは、分かってるの……でも、この気持ちはどうしようもないのよ……)
シビラは重く甘い溜め息を吐いた。
家令が、シビラを呼びに来た。
「お嬢様。お客様がお見えです」
「すぐに向かうわ」
シビラは重い気持ちのまま、出迎えに向かった。
顔には令嬢らしく笑顔を貼り付けた。
ロビーには一人の貴公子がいた。
煌めくような金髪は綺麗に一つにまとめられ、瞳と同じ南の海のような緑がかったマリンブルー色のリボンで留められていた。
プレゼントのピンクの薔薇の花束と、エリザベトとよく話していた流行りの店の菓子を持ち、エリザベトと同じ正統派に整った顔立ちで、柔らかい微笑を湛えていた。
「エリザベトの双子の兄のエトムントです。折角お誘いいただいたのに、妹が申し訳ございません」
(……この方は……でも、私には分かるわ……)
シビラは、胸の辺りがピリリッと甘く痺れた気がした。
「ようこそいらっしゃいました、エトムント様。はじめまして、かしら? どうぞ、こちらへ。ご案内いたしますわ」
シビラはくるりとその場でターンした。茶会の会場へ案内するのはもちろんだが、淑女らしくない頬の緩みを隠すためでもある。
シビラの憂鬱だった心は、新しい恋の予感にすっかり晴れ上がっていた。
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