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28) パンドラの箱の底 中編


 『星の降る夜』そんな歌言葉が霞んでしまうほどに鮮やかな星空は、ここリスタル山の山頂付近で容易に見る事が出来る。澄み切った空気の中で星がキラキラと輝くのは当たり前の事、さらに手に取る事が出来るのではと錯覚を起こすほどに、遠近感を無視して光り輝いているのだ。

 ラルフレインはそんな夜空を眺めている。ドワーフの国が作り上げた外交専用の迎賓館及び会議場『ペスクトゥス(緑の館)』で割り当てられた部屋のベランダから、この素晴らしい景色に感動に胸震わせもせず、焦点の合わない眼でぼんやりとした時間を流していた。

 ラルフレインの部屋はペスクトゥスの西棟の三階。リスタル山の西側斜面に立つこの山荘から、ドワーフの国であるエトホーフト商業連合の世界を見下ろしている。


 ドワーフの作り上げた国は凄かった。伯爵との会話で落胆していたラルフレインとっては、まさにトドメを刺したかのようにショッキングだった。太陽の昇り降りに合わせて土をいじる人間社会にとっては、比べられないほどに文化が進んでいたのである。

 先ずは建築技術、このペスクトゥスは巨石から切り出したブロックで積み上げられた巨大建築物。石のブロック一つ一つが寸分違わぬ寸法で切り出されており、建物のどこを見ても(いびつ)なはみ出しが無いのだ。それに加えてデコボコもせず水平値をビシリと出した水平な床。さらに手工芸の極みを尽くした調度品や家具を見れば、その技術が遥か高みにあると伺える。水洗施設やサウナ式大浴場も完備されているとすればなおさらだ。

 また、提供される食事の内容を見ても、ラルフレインが人間社会の食生活に絶望感を抱くほどにレベルが高い。――境界連絡会議が開催される前日の夜は、大ホールにて夜会が催されるのだが、伯爵から参加を近侍られたラルフレインは、自分の部屋で夜明けを待つ事になる。他の種族に『祝福されし者』だと悟られる事を避けるため、明日の会議まで部屋で辛抱してくれと伯爵に頼まれ、夜会に参加する事や大浴場で汗を流す事も叶わなくなった。そしてラルフレイン用に部屋に運ばれた夕食が度肝を抜いたのである。


 メイド服を着た数名の従者が、ラルフレインの部屋にうやうやしく運び込んだのは豪華なフルコース。テーブルでちょこんと構える彼の前に、スープ、前菜、魚料理、肉料理、デザートと順序良く出された皿の数々は、いちいち驚くほどにレベルが高くそして美味い。

 ――透き通ったコンソメスープ、純度の高いオイルのかかった新鮮なサラダに雑味の無いチーズ添え、塩漬けしていない海の白身魚のグリル、小羊のリブロース、そして砂糖たっぷりのシフォンケーキ。……サイドに出されたパンはまるでクロワッサンのように食感豊かで、もはや前世の博貴の味覚が白旗を上げるほど。

 食用オイルの精製。海の魚が塩辛くない流通。そして「臭くない」小羊肉から推察される血抜き技術やスパイス生産は、岩塩で味付けした痩せたトマトと野菜のシチューが基本だった貧しい人間社会・農奴の食生活レベルを、見事に打ち砕いたのである。


「衣食住……全てにおいて優ってる。いや、ドワーフの文化が進んでるだけなのか?それとも他種族に比べて人間社会が遅れてるのだろうか。しかし時代が中世初期と仮定すれば、あながち人間社会の生活様式が原始的だと笑われる事はないはずなのだが……」


 ――だがしかし、だがしかしこれはもう別世界。人はこの差を埋める事が出来るのか?ドワーフが作り上げたこの文明に対して、追い付け追い越せと頑張ったところで、どれだけの時間を費やさなければならないのかと、頭を抱えてしまったのである。


 ペスクトゥスの三階、割り当てられた自分の部屋からベランダに出て、柵に両肘をついて西を見下ろす。すると麓の里にはあちこちに煌々と輝く灯りが見える。メイドに聞いた話では、あの灯りは精霊魔法でウィル・オー・ウィスプを使役した『精霊ランタン』の眩い光なのだと言う。


「前世の実家周辺より明るいじゃねえか、クソ」

 

 勝ち負けにはこだわってはいない。あくまでもリスタル村の繁栄を願い、それに尽力しようと誓った身だが、それにしても自分が前世から持ち込んだ知識の乏しいこと乏しいこと。そう自嘲気味に笑うラルフレイン。満天の夜空にクスクスと、情けなさそうな乾いた笑いが響く。


「……ラルフ……何を笑ってるの?……」


 突如闇の中から自分を呼ぶ声。その声に驚いたのか、ラルフレインは雷に打たれたかのように身体がビクンとそり返し、隣の部屋のベランダに視線を向ける。そこには何と、以前村で出会ったエルフの少女がこちらを覗いているではないか。


「リィリ、リィリじゃないか!こんなところで何してんだよ?」



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