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2) 取り返しのつかない事



 藤間家の大広間は家主であり博貴の父である正吾、そして博貴の兄で長男の喜美を中心に、遠方から来た親戚叔父一家や近所の分家親族たちが和やかな年越しを過ごしている。いくら藤間家が名士の家柄であっても、やはりそこは田舎。『不作法も作法のうち』とばかりに飲めや歌えやで無礼講を満喫していた。


 その中で博貴は大画面のテレビに映る大晦日特番のお笑いを見ながら、一人ちびちびとぬる燗の日本酒を口に運んでいる。もちろんそれは、博貴が周囲と溶け込むのに努力が必要な性格と言う訳ではない。久々に実家に帰って来た長男の善美に配慮して、彼と彼の妻涼子そして息子の雅之が話題の中心になるべく、一歩身を引いて静かにしていたのだ。――それが証拠に、博貴の表情や瞳には一点の曇りも無く、長男を中心とする賑やかな会話を時折眺めては、朗らかに笑みをたたえていたのだ。


 ――成績優秀で国立の頂点に君臨する大学を卒業し、経済産業省に入省したキャリア組の新星。順調に出世を重ねて政治家の娘を(めと)り、長男も誕生した。その善美が新たな家族を連れて久々に田舎に戻って来たのだ、家族や親戚一堂が喜ばない訳は無い。期待の新星の帰省に盛り上がっていたのだ。


 もちろん博貴もそれを誇らしく感じている。善美三十六歳に博貴二十八歳と、多少歳が離れた兄ではあるが、幼い頃から兄を慕って今現在の自分があるのは確かな事実だ。厳しくも優しい兄を模範として博貴は常に兄の背中を見詰めて来た。

 ――だから失敗したのは間違い無く自分の問題であり、兄である善美に何ら含むところは無い。兄の姿を追いかけて途中でつまずいたのは、何の事は無い博貴自身であるからだ――


『おじちゃんおじちゃん!博貴おじちゃんってあれでしょ?底辺って言うんでしょ?』


 だからこの言葉は効いた。博貴の心をナイフでえぐり取られるよいな痛みを覚えた。兄の息子雅之が囃し立てるように言い放ったのがこの言葉。まさか慕っていた兄の息子から……それもピカピカのランドセルを背負ったばかりの幼児から、そんな言葉が出るとは思わなかったのだ。


「こら、そう言う言葉は人に向けちゃいけないんだぞ」


 半ば演技で怖い顔を装い、コチンとゲンコツを雅之の頭に落としたのだが、それが思わぬ騒動のきっかけを作ったのである。雅之は顔をクシャクシャにさせながら大広間を飛び出して行き、それから間もなくして母親の涼子が大広間に飛び込んで来たのである。それも血相を変え般若(はんにゃ)のような形相で。


「博貴さん、博貴さん!」

「は、はい!」

「博貴さん、あなたウチの子供を殴ったそうね!」

「な、殴ったと言うより、こう……ゲンコツでコチンと……」

「軽く殴ったとか大人の言い訳!暴力で子供を支配しようなんて一体何を考えているの!」


 いやそんな訳じゃ無いのだと、しどろもどろになる博貴。突如大広間に吹き荒れ始めた台風に、大広間も完全に静まり返り、周りの大人たちは目を白黒させながら身体を硬直させている。


「良いですか!あの子には、雅之には手を上げた事が一度もないの!あの子の教育には体罰や暴力など必要無いの!」

「あの……その……すみません」

「善美さん!あなたが近くにいながらこの不始末はどう言う事!雅之はまだ幼いんだからしっかり見ててください!」


 目をまん丸にしながら成り行きを見守っていた親戚一堂。その中で長男の善美も、矛先を急に向けられた事で驚いたのか身体をブルブル振るわせて火の粉を振り払う。


「いや兄は関係ないです、全ては私が悪いのです。雅之君に……謝らせて貰えませんか?」

「取り返しのつかない事で、謝まって済む問題じゃないです!……もういいです!あの子には博貴さんに近付くなと話しておきますから!今後、息子に近付かないでくださいね!」


 悪い事をしてしまったと恐縮してはいるものの、それでも穏やかさが滲み出ている博貴が余裕しゃくしゃくに見えてしまったのか、涼子は眉間にシワを寄せたまま口惜しさを隠しもせずに、ふすま戸をバチンと鳴らして台所へと去って行った。


 台風が過ぎ去った後も静まり返る大広間。トゲの刺さるような視線は感じないのだが、賑やかな場に水を差してしまったのは確か。博貴はゆっくりと立ち上がり上座の父に向かってこう切り出した。


「父さん、ちょっと早いけど二年参りに行って来るよ」

「この時間では、さすがに早いんじゃないか?」

「日付けが変わったあたりから、降雪の予報が出てるんだ。多分県道の除雪に呼ばれるだろうから、早めにお参りだけ済ましとくよ」


 バツの悪い表情のまま、博貴は大広間から出て行く。彼に声を掛ける事の出来なかった長男の善美は、このまま有耶無耶になってくれればとの心情を抱きながら、情け無い表情を博貴の背中に向けるのが精一杯であった。



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