10) 借金
「……はあっ!」
全身の筋肉が一瞬で収縮したかのように、ビクンと身体を震わせて上半身だけ跳ね上がる。ハアハアと肩で息をしながら辺りを見回すのはラルフレイン。自分の置かれた状況がイマイチ理解出来ていないのか、不安げな表情と忙しく動く瞳が挙動不審を滲み出していた。
ここは自分の家、そして自分の部屋で間違いない。しかし俺は裸でベッドに横たわっている……いや、横たわっていた。問題はそれ以前の『明確な記憶』――デルク爺さんの手伝いで森に入り、天候が急変して雷雨になり、そして衝撃とともに光に包まれた。
(現実的な記憶はそこで途切れている。そしてオレは夢を見た、オレと俺が重なった夢を)
左腕に鈍痛が走り、見ると包帯がしっかり巻かれている。体調不良で倒れたのか、はたまた雷に打たれたのかまでは分からないが、デルク爺さんの手伝いをしていた際に自分は意識を失い、そしてその後手厚い介護を受けて今の自分がある事が伺える。
「あ、ラルフが目を覚ました!村長、みんな、ラルフが目を覚ましたよ!」
ノックも無くラルフレインの部屋に現れたのは近所のエルケおばさん。寝たきりの彼の身体を拭いてやろうとしていたのか、手には水の入った手桶とタオルがある。そして彼女はラルフレインの意識が戻った事に驚き声を上げたのだ。
「おお、ラルフよ目を覚ましたか!」
「倒れてからもう七日も経ったのよ!」
「このまま意識が戻らないんじゃないかと、私心配で心配で」
エルケおばさんの背後から、ラルフレインの部屋に村人たちがどんどんとなだれ込んで来る。高齢化が進むリスタル村においては、残念ながら同世代の若者は乏しく、ラルフレインを心配して集まっていたのは村長や近所の老人ばかり。それでも皆が皆、意識が戻った事を喜んんでいる。
ただ、ここでラルフレインは違和感を覚える。藤間博貴の自意識を発見し、それと融合した際のラルフレインの評価は、博貴が赤面するほどのダメさ加減だった。口が悪くて荒っぽくて、「村一番の暴れん坊!」を地で行くラルフの十六年間を黒歴史とも評した。父のいない寂しさ、母のいない寂しさを隠そうとしているのも理解は出来るのだが、その事情を加味してもなお、博貴が頭を抱える程に酷かった。つまり、村一番の暴れん坊、村一番の鼻つまみ者は、「村八分」になっていてもおかしくは無いと考えたのだ。
――だが現実は違う、自分の部屋に集まって来た人々を見てみろ。みんな心配そうに自分を見詰めては、無事な姿に安堵してるではないか――
……中には股間の汗を拭いてやると迫っては、無理矢理シーツを剥ぎ取ろうとするおばさんもいるが、ニヤニヤした表情はイタズラを仕掛けて来ている表情でもある。どうやら、ラルフレイン・ベイルは村の鼻つまみ者ではあったが、村人たちから心底嫌われてはいなかったのだ。煙たがれてはいたが、憎まれてはいなかったのである。
(なんだろう?マズイな……涙が溢れそうだ)
村の人々の温かさに触れた気がする……。弱い自分を見せようとはせずに、常に虚勢を張って来たラルフレインだが、それすら村の人たちは理解して受け入れてくれていたのだと、胸が詰まりそうになっていた。
ただ、この後村長がゆっくりと語り出した内容で、事態は急展開する。ラルフレインの横たわるベッドの傍らに椅子を置き、村長は朴訥な口調で今回の経緯を説明し始めたのだ。
「ラルフが雷に打たれたと、デルクの奴が血相変えて飛び込んで来おってな。その時お前さんはもう意識が無かったんじゃ」
最初は無傷だったが、時間が経つごとに身体が熱を帯び、左腕が赤黒く腫れ上がって行ったそうなのだ。これは落雷時に電流が身体を通過した際の火傷、村長や村人たちも物理学的な解説は出来ないが、つまりはジュール熱による皮膚組織だけでなく内部の細胞まで熱っせられた電気火傷。酷い場合は火傷で細胞が全て壊死して手足切断などの処置を行なっても死に至るケースがある。
「里のニーハルーツ村から薬師を呼んで正解じゃった。みるみるうちにお前さんの調子がおかしくなって行ったからの」
「……面倒をかけてすみません」
「その薬師はの、ワシらも良く分からんが、身体の生命力を活性化させるとか言うニガリツキミ草や、火傷の化膿を抑えるベニカブラの実を使うとかでな」
この辺りから、ラルフレインの脳裏に不穏な気配がよぎる。最初は看病してくれた村の皆んなに感謝するんだぞと言う、暴れん坊だった少年に対する諭しかと思い、神妙な面構えで頭を下げていた。だが村長は諭しからどんどんと話を逸らして、薬師がどんな効能の薬草を使ったかの解説に持って行っているのだ。
そしてラルフレインの違和感はやがて、確信へと変わった。
「あのな、ラルフ。……銀貨四枚じゃ」
「え……はい?」
「薬師の出張料と薬代で合計銀貨四枚、村が立て替えて払っておいた」
ラルフレインの記憶を基に博貴が考察する。このリスタル村の様子、家屋の完成度、そして村人たちの着ている服の完成度……それらを鑑みると時代は世界史によるところの中世の西欧のそれ。金貨、銀貨、銅貨による貨幣経済は始まっているものの、僻地中の僻地であるこのリスタル村は、貨幣経済に移行しなくとも物々交換で充分生活出来る状況だ。
「凶作の際、外部から種芋を購入するためにと、皆で出し合って貯めておいたお金。そこから立て替えて払っておいた。銀貨四枚じゃ」
「えっと……」
銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚
ジャガイモ栽培で領主が徴収するのは五割、残りの五割で余裕があるなら一割あたり銅貨三十枚で領主が買取り。
村内は物々交換が主流だが、ご近所の田畑手伝いや酪農・森林整備の手伝いは、一日あたり銅貨三枚計算。
「銀貨……四枚ですか」
「うむ、銀貨四枚じゃ」
「今、手持ちの銅貨すら無いんですが……」
「うむ、急がなくて良いから……な」
――こうして、ラルフレイン・ベイルの借金生活は始まったのである――




