1) 怒り心頭
「ママ、ママあ!」
歴史を感じさせるような古くて大きな家の中に、せわしげな足音と子供の叫び声が轟く。
その悲痛な叫びは涙声に満ち満ちており、その足音は台所にいるであろう母親に対して、助けを求めるべく廊下を駆ける足音であった。
「ママ、ママあ!おじちゃんに殴られた!」
台所出入り口の引き戸をガラガラと開け、少年は気付いた母親の懐に勢い良く飛び込むと抱き付いたまま、嗚咽を漏らし続けていた。
何やら宴会でもやっているかのようで台所は大忙し。煮物焼き物揚げ物と様々な料理が、次々と調理されては皿へと盛り付けられて運び出されて行く。まさに戦争の様相を呈しているのだが、そこで働いている女たちの表情は明るい。老婆や中年女性や若い女性など何ら統一感を覚える事は無いのだが、その世代差を埋めるように笑顔が溢れている。
彼女らを集団と捉えると、見るからに「一家、一族」の集まりなのだが、一人だけ異彩を放つ女性。集団からちょっと浮いているその母親に向かって、泣き叫ぶ少年は助けを求めたのであった。
「おじちゃんに殴られたって、どのおじちゃんに殴られたの?」
「ひろたか……ひろたかおじちゃんだよ。ゲンコツで殴られた!」
「博貴さんが殴ったの?ウチの子になんて事するの!」
何故そのおじちゃんに殴られたのか原因も話す事無く、少年は頭の痛みを母親に訴え続け、母親は母親で何故殴られたのかを尋ねもせずに、『博貴おじちゃん』を思い浮かべながら憤怒の表情を浮かべている。
〜〜あの穏やかな博貴がそうそう暴力を振るうなんて〜〜
台所の女性陣はその思いを口にしたいのだが、憤懣やるかたないその母親を遠目に見詰めるのが精一杯。割烹着や三角巾を身に付けて作業する女性陣とは一線を引くように、今どきの洒落た格好に洒落たエプロン姿を身にまとう母親との構図は、明らかに大多数の田舎者と都会のセレブ夫人。敵に回すと面倒臭そうなその都会派レディを、まるで腫れ物にでも触るように距離を取るだけである。
大晦日、十二月三十一日の夜。大自然に囲まれた長野県のとある田舎の村。その村のさらに山手側にある藤間家での出来事。
古くは豪農で財を成し、村議会議員や県議会議員も輩出した事もある由緒正しきこの藤間家が、節目となるこの年末年始の大晦日に大騒動を巻き起こす。
きっかけは藤間家当代の次男博貴のゲンコツから。そして息子が殴られ怒り心頭となった長男の嫁涼子が博貴に逆襲を開始し、その結果一つの悲劇が誕生するのである。




