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夾竹桃

作者: 宮永文目

2022/03/03

 花園に植えられてあった一輪の花を手折ると、指先をその棘が引っかいて、ぷっくりした小さな赤い膨らみが、私の指先を伝っていった。

 綺麗な薔薇には棘があるものだと、兄は言った。

 だけど私にとっては、この棘こそが、棘に作られたこの傷こそが、花園で唯一綺麗なもののように思えた。

 母も兄も花ばかりを見て、そうして笑い合ったり、気に入った花を摘んでみたりしていた。あのように、無邪気な様子で楽しんでいる家族を、美しいと思った。ずっとその姿だけを見ていたいと思った。けれど、やはり色とりどりの花が咲き乱れる中では、二人の可愛らしい姿も、何だか夢の中の出来事のようだ。

 指先の赤い一雫が、地面に垂れた。土はすぐさま、黒く滲むようにして私の血を吸い込んだ。噎せかえる香水のような匂い、花園は、少し臭かった。

 

 花は、嫌い。誰からも愛されるような綺麗な装いをして、この世に生まれてくる。

 そう思っていたのに、よく見てみると人を傷つける棘がある、見えないところに人を殺す毒を持っている。私はそういう花のほうが好きだ。

 私はこれまで、母の言うような花の良さも分からなかったし、兄の褒めるような花の美しさも分からなかった。けれど、誰かを傷つけるための、そういう特徴のある花はお綺麗ですね、なんて言うと二人には胡乱な目で見つめられてしまった。

 だって、薔薇も、水仙も、夾竹桃も、鈴蘭も、どれも綺麗で魅了されてしまうのだもの。

 刃物だって、人を傷つける物だけれども、父はギラギラ光るそれを、大切そうに眺めていた。私は案外、父に似ているのかもしれない。


 母も兄も可哀想だった。二人して笑っているときに、父が来ると、ぴったり笑うことを止めて、戸惑ったあげく気まずそうに黙ってしまう。

 父が叱るわけではない。二人が笑っているときにだって、わずらわしそうな()()()すらしたことはない。それなのに、何だか父の前では笑ってはいけないような、二人とも勝手にそんな気がして黙っているのだ。


 父も可哀想だった。父だって本当は、家族が笑って過ごしている姿を見たいだろう。ただ、一緒になってはしゃぐなんてことが、ちょっぴり気恥ずかしくて、ちょっぴり憂鬱ゆううつで、悲しくなるから笑わないのだ。格好は毅然きぜんとしているが、胸臆では、はるかに寂しい思いをしているのだ。そのような自意識すらも、私とひどく似ていた。


 そんな可哀想な家族を見るたびに、自分の中にある侘しさを見つめているような気分になる。私は、母の不貞によって生まれた子供であるから、どうしようもなく、この家族にとっての毒なのだ。

 母の後ろめたさは、私のせいだ。

 父が精一杯気にしていないように努めても、一緒に笑うことができないのは私のせいだ。

 私があまりにも母に似ていないものだから、母と私が言い争いをするときなんて、「こんなにも意見が合わないなんて、あなたは誰に似たのかしら」と、母は大抵これを言いかけて、気がついたように口(ごも)る。そんなことがある度に、冷や水を浴びせられたような気分になる。私と母と、二人合わせて惨めだった。

 兄は、私達のいさかいが始まると、にわかに慌てながらその場からいなくなる。兄はよく私に構ってくれるが、それもただの取り繕いでしかないことを、とうの昔から知っていた。私を見つめる際、その眼差しが異端を思う色で満ちていたことを、私は知っていた。

 ごめんなさい、と心の中ではいつも思って、決して口には出さない。それを言えば、兄もいっそう悲しくなる。


 謝罪は少しの慰めにもならないで、人をみすぼらしくさせる。父も同様に、母の姦通を咎めず、謝ることすら許さず、ただ一人で泣いていた。

 この家族は私のせいで、実に可哀想なのだった。

 

 少しだけ、やりきれない思いがして、指先の傷を舐めた。私の母に似ていない部分は、どこの誰とも分からない、男の性格なのだろう。私に流れている血のどこかに、その男はいる。

 ときどき、母の言うことにカッとなったり、疎外感に嫌気が差したりして、めちゃくちゃにしたくなる。そんな思いをするのは、とても疲れる。疲れることは、なるたけしたくないけれど、ふとしたときに、身も心もさらけ出して、恥ずかしい思い、耐えられない思い、全部をこの家族におかえししてやりたいと思う。

 今の私を生み出してもらった、累積の所業に少しでも報いたいと思う、それを親孝行というのではないかしら。きっと私は、荊棘けいきょくにはなれないけれど、毒となって、私の家族を彩ることができる。

 不道徳によって造られた家族なのだから、そうして一生をみだりな生活で、裏には哭声を隠しながら生きるとよろしい。もう私は、どうしようとも苦しいことから逃れるつもりはありませんから。

 泰然としている家庭も、実を覗けば、緊張の糸が張り詰めているのだ。それらの均衡は、ずっと、ずっと、心許こころもとなく拙いものだけれど、今まであったどんな家庭よりも、妖しく、美しく揺らめいている。


 ◯


 ……わたくしの家族の、あの沈黙。美しいとさえ思えてくるから不思議です。でも、きっと、わたくしの家族は夾竹桃なのですね。だって、わたくしだって毒ですけれど、不貞を犯した母も、咎めることのできない父も、いたたまれない兄だって、どの人も可哀想で、お綺麗で、立派な猛毒ですから。

 あなた、このあいだの便箋の最後に、金木犀の花弁を滲ませてくださいましたね。わたくしも、お返しです。どうぞ、これがわたくしの花。綺麗な花弁ですって、夾竹桃は、どこを取っても毒でございます。

よろしくお願いします。

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