彼等の手から全ての魔法は
きらきらと光る思い出をお守りに、私はいま歩き出したんだ。
たとえ どんなに暗い場所だって、進む先を見失わないようにと、強い心で進んでいこう。限りない明日への道を、それでも確かに手に取れるように。
知らない場所も、知らない世界も、知らない誰かも怖くはない。だって、知らないのならば知れば良いのだと、私は確かに教えてもらったのだから。
なだらかな坂道を進み 丘の上の開けた所で村を見つけた。ひとまず道でも聞こうと一番近くの建物に近づく。入り口にかかった藍色の暖簾に「質」と書かれていて、どうやらここは質屋らしかった。
木造の 質素でこじんまりとしている建物で、可愛らしい雰囲気がある。けれど、左手の大きな白いお屋敷の迫力が強すぎて、場違いな気もする。こんなのどかな村の 穏やかな場所に、場違いなのはあっちなのにな。
扉には、開店中の看板が。せっかくなので寄ってみる事にした。
丸いドアノブを捻って押してみると、かららんというドアベルの音と共に、すっと開く。入って最初に驚いたのは、外からの見た目よりも店内が不思議と広く感じること。そして次に驚いたのは、質屋というより仕立て屋、というか手作り雑貨屋、という品揃えだったことだ。
「あら、いらっしゃい」
声を聞いて振り返ると、若い女性が、レジカウンターに座り縫い物をしていた。レジカウンターには裁縫箱も広げられていて、その自由さに ここは本当にお店なのかと疑問が芽生える。
「どうも、おじゃましてます」
「ええ、何かお求めですか、それとも探し物かしら。決まった物が無いのならどうぞ、こちらにおかけなさい」
差された先にはカウンターの前の丸椅子が。色々と聞きたい事もあるので、大人しく着席する。
ぼんやりした表情の女性の手元は、忙しなく布を縫ってゆく。複雑に折られ しわをつけられながら縫われてゆくそれは、フリルらしかった。
「すごいですね、器用で」
「あら、そうかしら? 長い間やっていると、時折自分がひどく不器用に思えるものなのよ。ほら、例えば今みたいに」
女性はそう言って、針を縫い跡にくぐらせて、糸をいくつか戻して、また縫い始めた。
「作業が手に染み付くとね、上手にはならないのだけれど、少しの粗がすぐわかってしまうようになるの。やだ、私だけかしらね? 恥ずかしいわ。いまのもう忘れてね」
「えっと、はい」
くすくす笑いながら「素直なのね」と彼女は笑う。
くすくすという控えめな笑い声は鳴り止まず、なかなかおさまらないようで、笑いすぎてひーひーと息を乱す頃になって、息を乱しながら静かになった。女性は ぜえぜえと息を整えながら立ち上がって、後ろの棚から黄緑色の布を一枚引き出して、私へ差し出した。
「見てるだけじゃあつまらないわよね、一緒にどう?」
そして、慣れた手つきで糸を通した裁縫針を、針山に刺して差し出されたので、恐る恐る受け取る。
女性は満足げに笑って「やり方は……わかるわけないわよね。まあ、やって見せるから覚えなさい」と、手元の縫いかけのフリルを ゆっくりと縫い始める。
折って、縫って、畳んでしわを付けて、広げて、折って、また縫って。リズムを踏むように、規則的に繰り返される作業に、私も手元で真似ながらやってみる。
「そうそう、そこは重ねて、そう、一緒に縫うの」
手を止めないままの指示を聞きながら、不恰好に縫ってゆくのが、とても楽しかった。
私が布を半分ほど縫ったあたりで、女性は「はい、おしまい」と完成したらしいフリルの縫い糸を、小さなハサミで切り離す。
「あれ、その布……ガーゼか何かですか?」
「なに? 今頃気が付いたの。包帯よ、あのぐるぐるする白いやつ」
「ですよね。でもその包帯、茶色い斑点がありませんか」
「さあ、どうかしらね」
くすりとほほ笑んで奥にひっこんだ女性に置いて行かれて、店内に一人ぼっちになってしまった。
仕方がないので、手元のレースを縫い進める事にする。けれど少し気になって、自分の布にも茶色いシミがあったりしないかと ひっくり返したり覗き込んだりして色を見るが、ただただ黄緑の布が広がるだけで、斑点の一つもない。あとはがたがたの青い糸の縫い目くらいだ。その縫い目の粗さと、先程女性が塗っていた均一な縫い目をつい 比べてしまって。楽しいのはいいが、玄人の手芸を見た後に素人の作品を見るとき程、もやっとすることもあまりないんじゃなかろうか。
それでも、彼女が帰ってくるまではと、ちくちく手を進めていく。
「ただいまかえ……あ、失礼しました。お客さんですか」
「どうも」
かららんとドアベルを鳴らして店内に入ってきたのは、長い髪を一つに括った男の子だった。
「おかしいなぁ、師匠に店番してるようにって頼んだはずなんだけど」
「女性の方ですかね、それならさっき奥の方に」
「そうですか。まったくお客さんほっぽって作業場にひっこむなんて……すみませんね」
そういうと、先程の女性のお弟子さんらしい男の子は、持っていた紙袋をカウンターに置いて、丸椅子をもう一つ持って来て、私の隣へと座った。
「フリル縫いですか」
「ええ、でもさっき始めたばかりで、あまり上手ではないんですけど」
「初めてでこれは十分お上手ですよ、僕なんて絆創膏だらけになって大変だったんです」
「絆創膏、ですか」
絆創膏、ケガ、血、包帯と頭の中で連想して、先程の女性がフリルに仕立てていた包帯が思い起こされる。けれども気にしてはならない気がして、ぐっと飲み込んで沈黙を選んだ。ただ、そこで会話が途切れてしまって、少し居心地の悪い静けさが男の子と私の間に停滞して。逃げ道を探すように 手元の縫い物を再開した。
「調子はどう? あら弟子、あなた帰っていたの」
奥へ続く扉から 女性がひょこりとあらわれた。
「ええ、先程。それよりも師匠、店番頼んでましたよね、なんで作業場の方から出てくるんですか」
「あら……?」
女性は不思議そうな顔で私の方を見ると「店番なら彼女に代わってもらったのだけど」と言って「ねえ?」と聞いてきた。
「いえ、頼まれていません」
「あら、そうだったかしら?」
おかしいわねえと首を捻る女性に、まったく師匠はと呆れるお弟子さん。その掛け合いだけで、世話焼きのお弟子さんと、どこまでもマイペースな彼女の毎日が容易に思い浮かべられて、小さく笑いが漏れてしまう。
「あらあら、弟子こそお客様を放っておいたらだめじゃない。ほら、お茶をお出しになんなさい」
「それは誰のせいだと……お茶ですね、少々お待ちください」
ぐちぐち言いながら奥へ消えたお弟子さんに 女性は笑みをこぼして、カウンターを挟んで私の向かいへ座り、お弟子さんの置いた紙袋を「邪魔ねえ」と脇へどける。わたしは フリル縫いを再開して、すぐに中断し、女性へと話しかけた。
「あ、そうだ。ここって何のお店なんですか?」
「あら、変なの。知らずに入ってきたのかしら」
これは本当にお客さんかも疑わしいわね、と女性は笑って立ち上がり、近くの商品棚から人形を一つ、抱えて持ってきた。
「さて問題です。これは何でしょう?」
「えっと、お人形ですよね」
「そうね、正解」女性はけらけら笑って、でもねと続ける。
「これは中身の無い人形なの、凄いでしょう。だからなんでも入るのよ。」
そしてその人形を、私へと押し付ける。「クイズの景品よ、どうぞ持って帰って頂戴」そういって離された手は「そうだ、まだ面白いものがあるのよ」と次の品物を取りに商品棚を漁る。
渡された人形を眺める。綺麗な顔をした 紅と白のドレスに身を包んだお人形だ。たしかに見た目よりも軽いけれど、中身がないとはどういうことだろう。なんでも入ると言われても、見回す限り 蓋のように開けられる場所も見当たらない。もしかして、からかわれているのだろうか。
「ふふ、気になるの? でも こっちも凄いわよ、どうぞ見てみて」
そして女性は、両手に抱えた商品をカウンターにざらっと広げて、楽しそうに、そして饒舌に解説をしていく。
「まずこれね、これは安眠まくらっていってね。その名のとおり、これを使って寝るとぐっすり寝られるの。そしてこっちは壊れない少女。普通のお人形ではあるのだけれど、切ったり破れたりしても元通りに直ってしまうのよ、すごいでしょう。となりのこの怪獣みたいなのはね、火吹き人形と言って、このとさかを押すと口から火を吐くのよ。だから火種が無くてもすぐに火がつけられてとっても便利。けれど火事には注意してね」
「へえ、すごいですね」
「でしょう、でもねこっちはもっとすごいの。この袋、お買い物ばっくんっていうのだけれど、伸縮性に優れた布で作っているから、たっくさん物を詰められて、なおかつどんなに沢山入れたって、あまり重たくならないのよ。それとこっちがおまもりボタン。これを付けたお洋服を着ていると、怪我から守ってくれるわ。そしてこっちは星空の雫ね。巾着の中身はろうそくになっているのだけど、これに火を入れて歩くと、夜空がきれいな場所にたどり着くことができるのよ。ああ、巾着は燃えたりしないから安心してね」
「あ、あの」
「あら、どうしたの? 何か質問かしら」
まだ説明し足りないらしく、次の商品を手に取っている女性に、思わず声をかけて、口ごもる。質問、質問ね。
「えっと、このお店はそれを売っているんですか?」
「あらやだ、そうねそうね、ここがなんの店かだったわね。つい熱が入っちゃって。やあねぇ、ごめんなさい」
カウンター上に散らばった商品を手早くまとめて、女性は椅子に座り直す。
「品物、凄かったでしょう」
「魔法みたいな説明ばっかりでしたけどね」
「そうでしょう、そうでしょう。でもね、本当に魔法みたいなことがおこるのよ。そして全部、私の手作りなの」
すごいでしょうと女性が威張るので、そうですねと返せば、上機嫌に、そして楽しそうに笑って「そうだ、いいことを思いついたわ」と手を打った。
「あなた旅の途中でしょう? 言わなくたって分かるのよ、だって知らない場所の匂いがするもの。ねぇ、いま手持ちはいくらなの? なにすっとんきょんな顔しているのよ、そうよ所持金の事よ。私はいま機嫌が良いの。大特価で旅に有用な道具、お売りするわよ」
「え、あ、はい……はい?」
女性の勢いに押されお財布を取り出すと、ひょいと取り上げられてしまう。なんだろう、詐欺だろうか。カモられるのだろうか?
「あら、湿気った中身ねぇ。まあいいわ、あなたどこへ行くつもりなの?」
「目的地がある訳では、無いんですけど……その、北に行こうかなって」
「じゃあ、方角が分かるものがあると良いわね。この村から北へ進むと、小さな港町へ出るのよ。そこに私の知り合いがいるから、気が向いたら寄ってみなさい。あの人も魔法みたいな品売ってるから」
女性はそう言いながら、後ろの棚から品物を掴んでは 小ぶりの鞄に詰め込んでいく。だけれども、小さな声で「気難しいやつだけどね」と最後にこぼしたのを 私は聞き逃しませんでしたよ。気難しい人は苦手なので、港町にたどり着いても会いに行くことはきっとないでしょう。
「はい、できた」
目の前に差し出されたのは、可愛らしい花柄の鞄。優しい色合いで、受け取ってみるとずっしりと重たい。
「ちょっと待ってなさいね、いま詰めた商品の一覧、紙に書き出してしまうから」
カウンターからするっと紙とペンを出して、レジを打ちながら、紙へさらさらと書きこんでいく。待っていてと言われたので受け取った鞄を横へと置いて、それをほーっと見ていたけれど、フリル縫いがあと少しなのを思い出し、書いている間縫って待つことにした。
「あら、ずいぶん上手に縫うようになったじゃない」
「そう、ですかね」
「最初持たせたときはすごく難しそうに縫っていたけどね、いまはなかなか恰好よく縫ってるわ。それだけでうちの弟子より上級者よね。あの子ったら私の真似して縫わせたとき、ひどいものだったのよ。布はだめになるわ、買い置きの絆創膏は無くなるわ、そろそろ諦めたら? って言っても意地になって手を止めないわで……でもね、そのときかな。私はこの子の師匠になったんだなって、実感したのよねぇ。ああ今のなしね 弟子には内緒だから」
話しながらも手を止めていなかったペンが、しゃっと音を立てて紙から離れる。女性はそれを目検して「よし」と呟いた。
「いやね、思い出話が多くなっちゃって。楽しくないわよね ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。十分に楽しいですよ」
「そう? ありがとう。ああ、それ縫い終わったのね。貸してごらんなさい 鞄に付けてあげましょう」
縫い終わったばかりのフリルと、横に置いていた鞄をひょいと取りあげ、女性は黄緑色のフリルを鞄に色々な角度で当てていく。
「あら、色が合わないわね。そうだ、腕輪にしてあげましょう。ちょっと待っていてね」
そう言って、女性が奥へと走り去ってしまう。縫い物もない私は、今度こそ手持無沙汰で、窓の外を眺めてようと立ち上がる……と、奥から走ってくる足音が聞こえた。
「お待たせ、出来たわよ。ほら、早速つけてごらんなさいな」
そう言いながら、私の腕を取って早速つけにかかっているのは彼女だったりする。のんびりした雰囲気とは裏腹に、結構強引な人だ。
「それにしても、早かったですね」
「まあね、だって私すごいから。このくらいならちょちょいのちょいよ。よし、似合うじゃない」
そう言われて、早業で作られた腕輪を見てみる。鞄と同じ花柄で、けれど黄色の強い生地でまとめられた幅広の腕輪に、私の縫った不恰好なフリルが、きちっと留められ、更にきらきら揺れる飾りまでつけられていた。うん、なかなか可愛い。
「本当は小物だけじゃなくてお洋服なんかも渡してあげたいのだけれど、いかんせんうちの商品は高いから。ごめんなさいね、あんまり値引くと弟子に怒られてしまうの」
師匠、あなたはちゃんと商売する気があるんですか! ってね。と、お弟子さんの真似をしておどける女性。私は「ありがとうございます」と笑って鞄を肩にかける。
「じゃあ私、そろそろ行きますね」
「そうね、弟子が戻ってくるまでに出てってちょうだい。あの子にばれたら、またうるさいから」そう言って指差すのは、肩にかけた鞄。多分そうとう値引いてくれたんだろう。このお店の定価は知らないが、お財布の中身が宿代にも困るほど軽くなっていない事を祈るばかりだ。
「今度近くに寄った時には、是非またいらっしゃいね」
「はい。それじゃあ、失礼します」
扉を開けると、かららんというドアベルの音。何時間ほどあの不思議なお店に居たのかは分からないけど、外はまるで時が止まっていたかのように、お店へ入った時と同じ穏やかな雰囲気のまま なだらかな坂が下っている。その先に広がる、私が抜けてきた森と、その中にあるだろう地下道の出口に思いをはせてから、逆向きに歩き出した。
「おまたせしました、お茶入りました」
「あら、弟子ったらずいぶん遅かったわね。お客様ならもう帰られてしまったわよ」
くすくすと笑うと、弟子は不機嫌そうに「お茶葉がなかったんですよ」とティーセットを窓際の丸いテーブルの上へと置いた。
「あら、そっちに置いてしまうの? こっちで飲みましょうよ、歩いて行くの面倒だわ」
「いい年して我が儘を言わないでください、目先の距離じゃないですか。それに、レジカウンターで飲食は禁止だって言ったのは師匠ですよ」
「そうだったかしら?」「そうでしたよ」
目を細めて肩を落として、体全体で呆れを示す弟子に、何も言えなくなって。しぶしぶ椅子から立ち上がる。あの女の子がいる間にあっちこっち移動して回ったから、すごく疲れてるのに。
「あら、これはなにかしら」
立ち上がるために机についた手へ紙袋が、かさっと触れる。「どっこいしょ」と立ち上がった私に、また何か言いたそうな弟子を無視し、丸テーブルの側の椅子に座って、紙袋を開いた。
「奈尚屋の砂糖菓子です。師匠が食べたいって言うから買ってきたんでしょう」
「あら、そうだったかしら。ありがとう」
せっかくお礼を言ってあげたのに、弟子はまた不機嫌そうにそっぽをむいて「先程だってお茶葉買いにまた奈尚屋に行ってきたんですよ。こっちの玄関お客様居るから裏から回って、それでお会計したら店主の奥さんに『買い忘れかい、めずらしくおっちょこちょいだねえ』なんて言われてしまって、どんなに恥ずかしかったことか」と、ぐちぐち。全部聞こえているのだけれど、それを笑うとまた怒るから、聞こえないフリをしてあげないと。
弟子の淹れてくれた紅茶を飲んで、奈尚屋のお砂糖菓子を一つ口に含めば、とても幸せな気分になれた。大幅に値引きして商品を売ったなんて事がばれない限り、平和なんだろうな、と窓の外を見上げて笑いが漏れる。怒られる前に 今日売った分を作っておかないといけないわね。
「ちょっと師匠、何笑ってるんですか。そんなに僕が滑稽でしたか」
「いえ、違うの。そう、砂糖菓子があまりに美味しかっただけよ。ありがとうね」
素直に褒めても 顔を変な形に歪ませる弟子に、本当よ と言って紅茶を飲み干す。
「さて、お仕事しなくちゃね。弟子もいらっしゃい、今日は裁縫の練習をしましょう。ほら、前に弟子が織った布があったでしょう。あれでなにか作れないかしら」
「ええ……あの使い古したずたぶくろみたいなやつですか?」
「あらあら、そんなこと言っちゃだめよ、弟子が初めてまともに作れた作品じゃない」
椅子から立ち上がって、作業場へと向かう。
「師匠、店はどうするんです」
「そうねぇ、今日はおしまいにしましょう。私、機織りの準備をするから、閉めておいて」
向こうで弟子からの非難の声が上がった気もするけれど、気にしない。でもね、黙ってらんないでしょう。ちょこっと齧っただけのお客さんに、裁縫師の弟子がその技量で負けるだなんて、ねぇ?
道なりに歩いて、村の外に出た。鞄に付けられたストラップが示した北に向かって 歩いて、歩いて。気付けば小さな林の向こうへと、村は姿を消していた。
だんだんと日も傾き始めて、野道がオレンジ色に染められる。腕輪の よくよく見ると形の歪んでいるフリルをつっついていた手は一旦はなして、少し、立ち止まってみた。今晩のお宿はどうしよう、野宿かな。
そういえば、と鞄の口を開ける。質屋の女性は旅に役立つものを詰めたと言っていた。なにか、例えばテントとか、寝袋とかが入ってるかもしれないじゃないか。
そう思って最初に取り出したのは、一枚の紙。女性が書いてくれたあの紙だ。いつの間に入れたのか、鞄の中から出てきた。お泊りセットとかないかな、と上から下まで見て行って、小さく笑ってしまう。なるほど、これはお弟子さんのお小言が怖いわけだ。
「裁縫師さん、あなたはちゃんと商売する気があるんですか」
壊れない鞄から始まる品目と、その横に書かれた0の列。そして、金額合計へ書かれていた『本日限定大特価! 十割値引きます』大特価って、全額免除って事ですか。無茶するなぁ。
「港町にたどり着いたら、気難しい人でも 会いに行ってみようかな」
あの女性の知り合いなら、きっと退屈だけはしないような気がする。もともと目当ての無い旅だし、小さな目標を立ててみるのもいいだろう。
……あ、でも、家の場所とか聞いてないや。
どうしようかなと品目を見れば『探し物の雫 巾着の中のろうそくに火を入れて歩けば、見つけたいものに出会えます。物でも者でもなんでもござれな優等生。ろうそくがなくなったら取り替えてください』見計らったようなチョイスにまた笑ってしまう。これ、絶対確信犯でしょう。
空を見上げればちらちらと星が輝く宵の頃。鞄の中から見つけた万能毛布を肩にかけて、今日はここで星を見ながら野宿をしよう。なんでもこの毛布で寝れば風邪を引く事は無いそうだ。更には水をはじき、破れにくく、軽くてかさばらないなんて、その名のとおり万能だね。
日が暮れたばかりの空へと手を伸ばすと、きらきら揺れる腕輪の飾りが目が留まる。光を反射して光るこの飾りは、よくよく見ればボタンのようでもあった。
「これ、本当に全部手作りなのかな」
花柄の鞄にぎっちり詰まった商品の数々。リストを見ると 全部魔法のような説明が書かれていて。でもなんとなく、本当に魔法みたいなことが起こりそうな予感がする。女性は全て自分の手作りだなんて言っていたけど、ならあの両手は魔法使いの手なのだろうか。お店へ入った時に、レジカウンターに座って洗練された手さばきでフリルを縫っていたことを思い出して、ありえないことも無いかな、なんて。
もしそれが本当なら、どんなに素敵な事だろう。
中身の無い人形、よく寝れる枕、壊れない少女に、火を吹く怪獣。
針と糸と、布だけで、呪文を紡ぐように夢を作り出すのは、彼女の一対の手。
たくさん入る鞄、怪我から守ってくれるボタン、星空を探す灯り。
全ての魔法は、彼女の手から作られていて。
そしてその魔法は、無限に膨らむ夢で溢れかえっている。
「明日になったら、また北に歩いて行こう」
一人ではあるけれど、今の私はこんなに未来へ期待を抱いているから。
きらきらと光る腕輪をお守りに、私はまた歩き出すんだ。
たとえ どんなに暗い場所だって、進む先を見失わないようにと、ろうそくに灯りを入れて進んでいこう。限りない明日への未知を、それでも確かに手に取れるように。
知らないお店も、知らない裁縫も、知らない店主も怖くはない。だって、知らないからこそ知る楽しさがあるのだと、私は彼女に教えてもらったのだから。
よろしければ、小説の最初と最後の文章を見比べてみてください。