1:虚夜
『ボクら虚夜に抱かれて』
バチンッ
ねっとりと漂う暗闇を切り裂く青い閃光。
その光に照らされた獣の影が、周囲の樹木の幹に一瞬写し出される。
(晶石の破裂程度じゃ怯みもしないか…)
四本足が地を駆る音と低い唸り声が、絶えず後ろから迫ってくるのを感じる。
一筋の光すら差さない暗闇に浸かった森。その中を俺は、晶石の閃光だけを頼りに全速力で走り抜ける。邪魔くさい枝を折り、泥水を跳ね、腐った倒木を乗り越える。
後ろから迫る獣から逃げ切るために。
腰のポーチから小石ほどの晶石を一つ取り、手前の地面へ投げつける投げる。強い衝撃を受けた晶石は破裂し、強烈な青い閃光が一瞬辺りを照らす。
(十歩先を右、そのまま前へ五秒。巨木の浮いた根の穴、そこに隠れるか…!)
一瞬映った木の配置を全て把握し、しっかりと網膜の裏に焼き付かせてから目を閉じる。その記憶の通りに木々の間をすり抜けて進んでいく。
(ここだ…!)
駆ける速度そのままに上半身を後ろに倒し、慣性に任せて根と地面の間にできた洞穴に滑り込む。
メキメキと小さな根を蹴り折りながら中へ入ると、意外にも大人三人ほど入れそうな広い空間に潜り込んでいた。
直ぐに剣を抜いて振り返るが、どこかで撒いたのか既に獣の気配は無い。
追ってきた獣が頭を穴に突っ込んでくれば、腰から抜いた剣で目を突き刺してやろうと思ったのだが、杞憂に終わったようだ。
ドッと肩の力が抜け落ち、体全体に張り詰めていた糸が緩んでいくのを感じる。
思い出したかのようにだらだらと汗腺から一気に溢れだした汗が目に入ってくる。
「ハァ…ハァ…ったく。虚夜にあんなデカい魔物に絡まれるなんて、ついて…ない?」
肩で息をしながら独り言を言っていると気づいた。
同じ穴の中。必死に隠しているような小さな吐息が傍から聞こえる。
誰か、いる
「誰だッ!?」
暗闇で何も見えないが、確実に人がいる。
剣を持った右手を突き出し、腰を滑らせながらゆっくりと近づく。
「う…ぁ! 近寄らないで…!お願い…」
すぐ傍から震えた声が返ってくる。
女の…少女の声?
ポーチから晶石を一つ取り出し、指先で強く弾く。
晶石はぽぅ…と淡く青い光を放ち、狭い穴の中を辛うじて照らし出す。
見えたのは、壁にぺたりと背を付け、少し怯えた目で俺を睨む少女。
頭の後ろで括ったクリーム色がかった長い銀髪。
蒼眼より更に澄み通り、まるで髪の色と同じ銀色のように見える双眸。
緊張し強張っているが容姿はよく整っている。若干少女のような幼さが残り、美しい…よりは可愛いのほうが表現に合っているだろうか。とにかく、街中で会えば男の大半は目が奪われるだろう見た目だった。
その彼女の手が腰元の短剣を今にも抜き放ちそうに震えていたので、俺は慌てて剣を収めて掌を上げる。
「まっ待ってくれ、大丈夫だ。驚かせてすまない」
「…貴方は?」
「“ヤドリ”のハクジ・ノースリーだ。ほら、証拠」
羽ばたく鳥のレリーフが施された真鍮のペンダントを胸から取り出すと、晶石の明かりの元に置き彼女に見せてやる。
「ヤドリ…。ヤドリの方なんですか?…よかったぁ…」
張り詰めていた緊張が解けたのか、彼女は握りしめていた短剣の柄から手をを放すとへなへなと地面に倒れ込んでしまった。
ここで気づいた。泥に混じって匂う血の匂い。
薄明かりの中で気づかなかったが、よく見ると彼女が穿いているブーツの片方が脱げて、そこから血がだらだらと流れている。
彼女の白く細い右脚に血でくっきりと浮かんだ獣の歯型。
「あいつらにやられたのか?」
「あ、はい…。追われてるときに噛まれて…。靴を脱ぎ棄ててなんとかここまで這ってきました」
「ひどい傷だ。歩けるか?」
「少し…辛いです」
「じゃあ、辛いだろうがもう少し辛抱してくれ。虚夜が明けたら背負って街まで行ってやる」
俺は包帯を取り出すと応急処置として彼女の脚に巻いてやる。
ついでに乾燥させた薬草の葉を1枚彼女に渡す。
「これは?」
「噛んでおけ。痛みが和らぐ」
「あ、ありがとうございます」
手当が終えると、消えかけていた晶石の明かりをまた新しいのに替える。
今はただそうして、壁に寄り添いながらこの夜が明けるのを待つしかない。
虚夜―
俺が生まれるよりずっと前、何十年も何百年も前からその夜は人々の生活にあった。
突如太陽を覆い隠して世界を完全な闇に堕とす第二の夜、それが虚夜だ。
虚夜が訪れる時間はまばらで、その間は長くても1時間と少し、だがその間魔物が活性化し人をよく襲うようになる。
そうして俺たちはいつ訪れるか分からない虚夜に怯える。人々は街に籠り、必要となる物資の調達・運搬や護衛を依頼請負組織“ヤドリ”に任せられるようになった。
しかし、明けない虚夜なんてものはない。
やがては世界の端から隠されていた日の光がまた差し込んでいく。
「虚夜が明けていきます…」
「そうだな」
隠れていた穴の外が彩を取り戻していくのを見て、俺は下ろしていた装備を再び身に着けていく。
これから少女一人を担いで街まで戻らないといけない。“ヤドリ”の仕事ではないが、むざむざ見捨てることなんてできなかった。
さて。
「あんた、名前は?」
「え、えっとリスティと言います。リスティ・フレネス」
「じゃあリスティ。街まで結構長いからな、下ろせる荷物とかあったらできるだけ頼む」
「わっ私そんなに重くないです!」
「冗談だ」
後ろに回した剣の鞘に彼女を乗せて、俺の首に手を回して落ちないようにしてもらう。
少し窮屈だが、頑張るしかない。