【第一部】絶望 二章 地上と地底 12
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母方の親族の顔を、恭介はあまり覚えていない。
会う機会が、なかったためだ。
母の実家は小規模な工場を経営していた。
金融不況でその工場が立ち行かなくなっていた時、突然舞い込んだ娘の縁談。
大手製薬会社の社長からの結納金は、工場の年間収益の一桁上の額。
家族思いの亜由美に、断れるはずはなかった。
例え彼女に、慈しみあう恋人がいたとしても…
恭介の脳裏に浮かんでくる、父と母の結婚式。
バブル期を彷彿とさせる豪華な挙式。
純白のドレス姿の母は、すべてを受け入れたような、穏やかな笑顔。
父は時折、眉間に皺を寄せていたが、亜由美を見つめる眼差しは柔らかなものだった。
そんな父の右手首には、白い小さな箱型の、ブレスレットが揺れていた。
一年後。
夫婦に待望の赤ちゃんが誕生する。
思いやりの心を持って欲しいという母の願いを取り入れて、父が付けた「恭介」という名前。
ああ、俺も生まれた時は、父に愛されていたのか。
だが、一歳の誕生日を過ぎた頃から、創介の視線は険しいものになる。
恭介の容貌は、母の遺伝が濃く出たため、父に似ているところが見当たらなかった。
小さな水疱のような創介の疑念は、彼の胸を侵食する。
歩き始めた恭介が、父のもとに駆け寄ろうとして手を振ったとき、膨らんだ疑念が弾けた。
恭介は左手で手を振った。こいつは左利きだ、と創介は思った。
アイツと同じ!
創介の右手首に付けてある白い箱に、点状の黒い滲みが浮かんだ。
恭介に対する創介の態度は、年を追うごとに堅くなった。
この辺になると、恭介の記憶とも重なってくる。
亜由美は父の愛情の薄さを補うように、恭介を大切に育てていたが、その姿勢が更に、創介の心中を冷たくしていたのだ。
―父は、俺が自分の息子でないと、ずっと思ってきたのか
「いいえ、創介さん。あなたの子どもです、恭介は!」
母が叫んでいた。
恭介は、母の声が聞こえて冷静になった。
ただ、創介はそうならなかった。
札束で頬を叩くように、彼は欲しい物や人を手に入れてきた。
亜由美に恋人がいることは知っていた。
それでも、何としてでも彼女を手に入れたかった。
創介の心の滲みは、創介自身の良心の咎め。
それを認めたくない人間は、自分の欲しい答えを言ってくれる人を傍に置く。
この頃、側近になった仙波は、創介の良心に蓋をする人物だった。
「遺伝子検査を行い、親子関係を鑑定しましょう」
恭介には覚えがある。
一度、口の中に綿棒のようなものを突っ込まれたことがあったのだ。
誰かに、語学研修参加に必要だからとか言われたが、あれは仙波だったか。
DNA鑑定で、藤影創介と藤影恭介の親子関係は、ゼロパーセントという結果が出た。
創介の決意は固まった。
恭介を、排除すると。
創介の手首の、ブレスレットの鎖が切れた。
転げ落ちた箱型のものは、墨のような色だった。




