【第三部】 開始 六章 遺伝子と環境 11
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恭介らが、白井の実家を訪れた頃、フリーライターの島内はセッコク島にいた。
瑠香を伴い、島の持ち主、畑野健次郎に会いに行ったのである。
「島内さんが、おじいちゃんと知り合いだったなんて、世間てホント狭いと思うわ」
「ははは、私もそう思うよ」
南国の空は高い。
健次郎の自宅の前で、二人は待っている。
ほどなくして、陽炎燃え立つ道の端に、健次郎の姿が現れた。
「お久しぶりです。畑野博士」
「よせやい。そう呼ばれていたのは、もう何十年も昔のことだ」
健次郎は二人を誘い、風通しの良い部屋へ案内した。
「君のレポートは読んだよ。都会では、ヘンな薬が流行っているようだな」
「一部の薬に、海人草が使われているそうです」
健次郎は一つ息を吐く。
「虫下しが必要なのか、若者たちは」
「私がここに来たのは、二十年前のこの島での火災の話を聞きたかったからです。あの、藤影薬品工場の」
「まあ、そんなことかとは思っていたがね」
セッコク島で藤影薬品が手掛けていたのは、この島で、当時簡単に入手できた、石斛を原料とする漢方薬と、島周辺の海域で採れる海藻を元にした、海人草であった。
「島内君。君の弟さんも、たしか、あの火事で」
「はい、重傷を負いました」
その後、島内の弟は、火災による外傷は治癒したのだが…
「弟が最期に残した言葉が、今も気になっています」
時計の針は、午後七時を指していた。それでも、この辺りは、夕暮れ前の明るさが残る。
「弟は『遺伝子は変性する』と何度もつぶやき、『悪魔の薬』と、絶叫したのです」
「エピジェネティクス、か」
健次郎が言った瞬間、遠くで雷鳴の音が聞こえた。
DNA内の遺伝子は、生まれてから死ぬまで、不変のものと考えられていた。
ところが近年、環境的な変化により、遺伝子も変化したり、特定の遺伝子を発現させたりすることが判明してきた。その変化を「エピジェネティクス」という。
「畑野博士は、日本における『エピジェネティクス』研究の第一人者であったと、私は弟から聞いています」




