【第一部】絶望 二章 地上と地底 2
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北風が吹いていた。
恭介が行方不明になってから、まもなく一年。
恭介の母である亜由美は、ぼんやりとベッドに腰かけていた。
傍らには、藤影家の使用人が二十四時間待機している。
最愛の息子が外国で行方知れずと聞かされた亜由美は、発狂したかのように取り乱したからである。
されど、亜由美は自宅から出ることができない。
涙は出ても、声にならない。
医師の診断では、自律神経失調症による、ある種の構音障害。
発声に必要な筋力が、著しく低下していた。
亜由美の部屋のドアが開く。
亜由美の夫、創介が北風をまとってやってきた。
「はずせ」
創介は、待機している使用人に命じた。使用人が下がると、淡々と彼は語った。
「恭介がいなくなって、もうすぐ一年だ。海難事故の場合は、行方不明のまま一年たてば、特別に失踪宣告の手続きができる」
―失踪、宣告…?
「要するに、恭介の死亡が確定するのだ」
亜由美の大きな瞳が、さらに見開かれた。
―なぜこの夫は、こうも冷ややかに話すのだろう。息子のことなのに!
創介は亜由美の感情など無頓着に話し続ける。
「恭介の死亡届と同時に、分家の新堂のところの侑太君と、正式に養子縁組をすることにした。跡取りは必要だからな」
創介は薄く笑いながら言い放つ。
「少なくとも、侑太君は俺の血縁、俺の血を引いている。頭の出来も恭介より良いぞ」
亜由美の血の気が引いていく。
―ああ、まだそんなことを。恭介は、恭介は、あなたの!
涙があふれだした亜由美の姿を、満足そうに見つめたのち、創介は出ていった。
亜由美は、うまく力が入らない指を重ね、ただただ祈りをささげた。
少女の頃、よくそうしていたように。
新堂侑太は藤影の姓を名乗ることになり、笑いが止まらなかった。
昔から嫌いだった恭介を無事に葬ることができ、テレビ局のカメラの前で号泣してから、学校の連中も何かと優しくしてくれるようになった。
創介からの期待を肌で感じ、学校の勉強はもとより、将来の社長候補として、経済学や国際情勢も学ぶようになった。
明日からは中学部の生徒になる。
「ゆうくんは、何部に入るの?」
牧江果菜が侑太のベッドで横になっていた。
「俺は部活はやらない。生徒会に入るから」
創介からは、跡取りになるのなら、中学一つくらい手中に治めろと檄を飛ばされていた。
「そっか。あたしはどうしよっかな、ダンス部かな」
果菜は侑太の手を取り、
「とりあえず、しようよ」
とベッドに引きずり込んだ。
侑太に懸念があるとすれば、小沼悠斗の存在だけだった。
戸賀崎翼は、藤影製薬グループの一つ、トガサキヘルスコンシューマの研究室に入り浸り、動物実験に励んでいた。
原沢廉也は、文部科学省の外郭団体から身体能力を認められ、トップアスリートになるためのトレーニングに毎日参加していた。
そして小沼悠斗は、ひっそりと恭介の墓参りを続けていた。
悠斗は、恭介の死を信じていなかった。
信じたくなかった。
都度、頭をよぎる事故への疑問。
なぜ恭介だけが水没したのか。
なぜ他のメンバーは、すぐに救出されたのか。
あんなに恭介をないがしろにしていた新堂侑太が、恭介のために泣いたのか。
なぜ俺は、恭介を助けてやれなかったのか…
墓参を済ませて霊園を出たところで、悠斗は声をかけられた。
振り向くと見知らぬ男性がいた。中年と思われるが、ひきしまった体躯の男性。
「君は、藤影恭介くんのお友達?」
私はこういう者だと、名刺を渡された。そこには、島内仁という名前と、携帯番号だけ記されていた。
怪訝な表情の悠斗に、島内は言う。
「私は、昨年の藤影君の事故が、単なる事故だと思えないんだ。それで今、いろいろ調べている。ぜひ協力してほしい」




