愛しい俺の戦乙女
セレン目線(中編)です。
戦闘による流血、残酷、痛い表現、部位欠損、流血表現あり。
お嬢様は戦闘狂なので、とっても楽しんでおられます(苦笑)
「お嬢様ぁぁぁぁっ!」
巨大な爬虫類の手に鷲掴みにされ、大人の拳ほどもある爪先がお嬢様の華奢な右肩に食い込み、皮膚を裂き、肉を削ぎ、鮮血が迸る。
だがお嬢様はしてやったりと口角を上げ、ジャマダハルを交差させ鋏で断絶するかのように、己の肩に食い込んだ爪を無視してその指の関節に食い込ませる。
パキン!と甲高い音と共にジャマダハルは砕け散るが、己が身と引き換えに敵の血飛沫を上げ指を断絶する。
物理的に巨指が剥がれ緩んだ好機に、その巨手を蹴り上げ後方に回転しながら地上に降り立つ。
肩に食い込んだ爪を、何の躊躇もなく引き抜くお嬢様。
すわ大量出血、そう思った次の瞬間には血は止まり肉は盛り上がり皮膚が再生する。
後に残るのは、真っ赤に染まりながらのボロボロに裂かれた片袖。
そしてその代価は、竜の爪先が中指の第一関節から一つ。
「お嬢様、っお嬢様ぁぁぁぁぁ!」
巨大な岩影に隠れ、身の丈十メートルもある紺碧の竜と対峙する、お嬢様の後ろ姿を見る事しかできない自分が心底情けない。
どうしてこうなった!
唯々、それまでの思想がグルグルと頭の中を回る。
『午前中のお嬢様の領内走り込み』は、今までと少し様相が変わってきた。
勿論、同じように情報収集や、魔物の討伐に犯罪者の捕縛はしているが、それ以外に領地外の荒野で、ひたすらお嬢様と魔法の開発をしている。
お嬢様の提案する魔法理論を先生と考察し突き詰めて、俺の余りある魔力を使って現実におこす。
大体は失敗するが、それでも諦めず唯ひたすらに考察を続けるのだから、いつかは成功する。
一つ二つと俺の魔法が増えていく。
能力値開示、鑑定、宝物箱そして転移。
全てが夢幻、想像もできなかったような魔法ばかりだが、それらは何とか形になったばかりで、まだまだ練らねばならない。
鑑定は経験値や魔力耐性が高いと、見られなかったり弾かれたりする。
お嬢様の能力値は表層までしか見させてもらえないし、先生には魔術操作によって弾かれる。
が、幸いにして今の所は鑑定できないような能力を持った魔物に出会ったことはない。
宝物箱はまだまだ容量は小さいし、転移に至っては自分だけが数百メートル移動するので精一杯で、思い描いた場所に跳ぶなど夢のまた夢だ。
魔力操作を緻密にしなければならないし、詠唱も簡略化しないと駄目だろうし、目指すは当然、無詠唱だ。
ともかく、お嬢様と一緒に試行錯誤の毎日で、その日もそうである筈だったのに……。
人が訪れない荒野であろうとも、いやむしろそうであるから魔物の気配を探って当然。
魔力操作の練習も兼ねて、探索魔法、追跡魔法、地図魔法、それらを融合して発展させた、索敵魔法を全方向に展開している。
ふと、それに巨大な何かが触れた、方向は北、場所は……空っ!
顔を上に向け遠くを凝視すると、俺の異変に気付いてお嬢様も視線を上げる。
雲一つなく晴れ渡った空、目視ではまだ何も見えないが、索敵魔法では巨大な何かが凄い速度でこちらに向かって飛んできている。
現在確認されている空に住む魔物はそう多くはない。
昆虫系を除けば、飛竜や人面鳥、後は竜だ。
どれも巣を持ち、縄張りを荒らさない限り、滅多に襲ってくるようなことはない、筈。
飛竜や人面鳥程度なら勝てる相手だが、竜に至ってはピンキリだ。
以前、冒険者組合の緊急クエストで『火山に巣くった火竜の討伐』を受けたこと──勝手にだが──はあるが、それは多少大きく育った単なる火蜥蜴であって、俺が氷漬けにしてお嬢様がそっ首を落として、ってな感じで終わった。
だけど、この飛行速度は……だが、ここが目的地とも限らない、通り過ぎるだけかもしれない。
希望的観測を願いながら空を凝視していると、ポツンと小さな点が見え、瞬く間にそれは巨大な影となり、ズゥン!と大地を振動させ目の前に降り立った。
身の丈十メートル、口は裂け巨大な牙が覗き、頭から尻尾の先まで紺碧の鱗に覆われ、蝙蝠のような皮膜の翼をもつ竜が縦に裂けた爬虫類独特の目で此方を見る。
その圧倒的な存在感で恐怖に凍り付きながらも、いつものように無意識で鑑定を試みて瞠目した。
「っ! あっ、あ」
「セレン、鑑定どうだった?」
「駄目です、弾かれたのではなく解析不能に……けれど名前が」
「名前?」
「『竜王』と」
「へぇ」
青褪めてガタガタと震え始めた俺に対して、お嬢様は竜王に対して嬉しそうに目を細める。
「御伽噺の竜王なら、お話はできるのかしら?」
「えっ!?」
驚く俺を他所に、お嬢様は一歩前に出た。
今お嬢様は乗馬服を着ているが、スカートを摘まむような姿勢で淑女の礼をする。
「わたくし、この領地を治めております、エルランス大公の娘、クレリット・エルランスと申します。 竜王様とお見受けいたしましたが、何か御用でしょうか」
竜王は軽く首を傾げると、身の丈と同じぐらい長さがある尻尾が波打ちズシン!と地面を打つ。
普通の人間ならばそれだけで腰を抜かしただろう。
『ほぅ、脆き人の子が我に怯えぬか』
竜王の言葉は音ではなく直接頭に響く、精神感応というやつか。
正直、その音だけでも気が遠くなりそうだ。
「人の世でも名高き竜王様、直々のお越しで御座いますれば」
『ふむ……このあたりの魔物の気配が異常に弱く少ない、変異種の魔物でも生まれたかと思ってきてみたのだが』
「変異種? いえ、そのような魔物は見ておりませんが」
『そのようだ、変異種の魔物ではなく、変異種の人の子だったとはな』
「まぁ、わたくしの事でしたか」
竜王は軽く頭を下げ、お嬢様は対外用にコロコロ笑う。
だがこっちは、いつ竜王がお嬢様に襲い掛かってくるんじゃないかと気が気じゃない。
『人の子よ、何を成す』
「何を、で御座いましょう?」
『魔物を廃し駆逐するのか? 人を従え伸し上がるのか? 全てを滅ぼす破となるのか?』
グゥゥゥゥと竜王の咽が低く鳴る。
返答次第でどんな事になるのか。
「特に、何も」
『何も?』
「限界までこの身を鍛えるつもりではおりますが、他にどうこうしようとは思っておりません」
『鍛えて何とする』
その問いにお嬢様は嬉しげに口角を上げた。
対外用の笑みではない、本心からの微笑を。
「竜王様であれば、お分かり頂けるのではないかと」
『……』
竜王の細長く裂けた瞳孔が丸くなる。
俺は唐突に理解した。
この二人は同類なのだと。
人と竜、種族や姿形こそ違えども全く同じモノ。
ただお嬢様には人の世の理が、竜王には竜の世の理がある、唯それだけで。
こわい、こわい、こわい。
いつ竜王がお嬢様にその牙を剥いてくるか。
怖い、怖い、怖い。
今の俺ではお嬢様を逃がすことはおろか、盾にすらなれない。
コワイ、コワイ、コワイ。
なのにお嬢様は可愛らしく小首を担げて、俺の息の根を止めるのだ。
「一つ、願いが叶いますのでしたら」
『何だ』
「竜王様と手合わせをいたしとう御座います」
息を呑んだのは、俺か竜王か。
静寂の後、丸かった竜王の瞳孔が縦長に戻り、ユラリ、ユラリと尻尾が横に揺れるのは、一体どんな心情なのか。
『良いのか? 我にかかれば人の子の体など、羽虫も同然ぞ』
「一寸の虫にも五分の魂と言いますわ」
『死ぬ気か?』
「ホホホ、そんなつもりは毛頭御座いませんわ」
『ふむ……ならば変異種の人の子よ、かかってくるがいい』
「まぁ、ありがとう御座います」
嬉しげにその場で飛び跳ねるお嬢様の両肩を、思わず強く掴んだ。
今迄そんな不躾な態度を取ったことなどなかったが、今はそんなこと気に掛けるだけの余裕はない。
「なっ何言ってるんですかお嬢様! 本気ですかお嬢様っ!!」
「本気も本気よ、この世界の戦闘力頂点に出会えるなんて、千載一遇のチャンスじゃないの! いいから、セレンはちょっとそこに隠れてて」
物凄くいい笑顔でそう言って、俺を巨岩の陰に押し込んだ。
数歩離れ腰からジャマダハルを抜き両手に構えると、自分に身体強化の魔法をかける。
お嬢様の基本数値は、鍛え上げられた騎士のそれより桁が上だ、その数値が本気の身体強化でさらに桁上がりしていく。
千、万、十万……もはや人の領域ではない。
俺の意識が絶望の色に染まっていく。
駄目だ、それじゃ駄目なんだ。
お嬢様の数値が俺には見えた、鑑定で見えてしまう数値までしか上がらない。
竜王の様に解析不能や弾かれたりしないっ!
「駄目です、お嬢様っ!」
俺の手はお嬢様には届かない。
「エルランス大公が娘クレリット、いざ参ります!」
お嬢様は竜王の巨躯に向かって、軽快に大地を蹴った。
お嬢様は敏捷さとその小さな体の利点を生かして、竜王の攻撃を避け続ける。
竜王も殲滅する訳ではない、小さな人の子との手合わせだと理解しているから、ただ肉弾戦あるのみでブレスを吐いたり魔法で攻撃することもない。
だが結局お嬢様のジャマダハルは、竜王の頑強な鱗に傷をつけることはできず、ならばと目を狙い体を駆け上がったお嬢様はその鋭い爪でついに捕らえられてしまう、しかしそれもまたお嬢様の策の一つで、まさに肉を斬らせて骨を断ったのだ。
それで冒頭の惨事へと戻る。
地に降り立ったお嬢様は失った得物の代わりに手に入れた獲物を持ち、ニッと笑う。
竜王もその身から戦闘の雰囲気が消え、切断された中指を呆然と見る。
『我が怪我をするなど、何百年ぶりだろうか』
「申し訳ありません」
『よい、掠り傷だ』
竜王が指先に魔力を込めると、なくなった中指が元通りに再生していく。
『そなたにこそ済まなかった、思いのほか頑丈で力加減を誤った。 爪を立てる気はなかったのだが……身体強化で再生しているとはいえ傷は傷、竜の血は様々なモノを癒すのだ、舐めるといい』
お嬢様は手に持っている竜王の爪の根元の切断面をしげしげと見て、逡巡してからペロリと舐めた。
「っ!」
次の瞬間、お嬢様が光に包まれた。
目も眩むほどのまぶしい光の中、現状を把握しようと無意識に鑑定が発動する。
鑑定できていたはずのお嬢様の数値が、上から次第にぼやけていく。
光が完全に収まった時には鑑定は全て解析不能となり、お嬢様の手には刀身は優に身長を越え、片刃の身幅は易々と彼女の姿を隠す太さで、刃先は鋭く光り刃毀れ一つない巨大な大太刀が握られていた。
「これは!?」
『ふむ、どうやら我が爪は、そなたに与したようだな』
「わたくしに?」
『そなたの刃と引き換えに、我からもぎ取り我が血を身に受けたのだ、敬意を表しその役目を担ったとしても何ら不思議はなかろうて。 なるほど攻守のバランスを憂慮したか、恐らくそれはそなたの成長に合わせて身を守る盾とも成るべく、さらに大きくなりそうだな』
「え、これ以上大きくですか」
そう、その太刀のサイズは今でさえ両手剣より大きいのだ。
もしサイズ比率が変わらないのなら背負うことさえ無理で、お嬢様はその太刀を肩に担ぐしか帯剣する方法がなくって、淑女としては致命的だ。
まぁ最悪、俺が持てばいいことではあるが。
お嬢様は嬉々として片手で軽々太刀を振っているから、俺でも問題なく持てると思う……多分。
竜王から闘気が消えたこと、お嬢様が普通に会話していることで俺の恐怖の感覚も麻痺してしまったのだろう、フラフラと岩陰から出ると宝物箱に常備している体力回復薬を手渡す。
「お嬢様、これを」
「ありがとう、セレン」
笑顔でそれを受け取り、ンクンクと喉を鳴らして飲んでいるお嬢様の様子は無邪気そのものだ。
元々、お嬢様の一点特化魔法の身体強化の副産物で怪我は再生しているし、竜王の血を含んだことで超回復の恩恵も受け、体力回復薬も飲んだのだから見た目の傷などはない……が、もちろん含む所はある。。
これまた常備してある手拭を取りだし体力回復薬をたっぷりしみ込ませると、お嬢様の血で濡れた顔や肩や腕を拭いていく。
少々、乱暴な手つきになってしまうのは仕方がないと思う。
「ちょっ、ちょっとセレン、あの」
「黙って、動かないでください……清浄魔法」
魔法を唱えたとたん、お嬢様の髪やドレスから砂埃が払われ、見た目はすっきりとした。
だが流石に爪で裂かれた袖は直らないし、血の染みも消えない。
「すごいわセレン、清浄魔法も実践レベルで使えるようになったのね!」
「いえ、やっと埃を払える程度ですので」
この清浄魔法もお嬢様から提案された魔法の一つ。
本来なら、すべての汚れは消え去り風呂に入った後の様にすっきりするものであり、出来れば雑菌や病原菌なども消滅させたいとかで、効能からいえばまだまだ開発途中なのだ。
こんな俺達の普段通りのやり取りを見て、竜王が興味深げに声を上げる。
『ふむ、こちらの人の子も変異種なのか、なかなか面白い魔力の使い方をするものよ』
「そうで御座いましょう竜王様、セレンは世界一の魔法使いになるのです!」
竜王の言葉に満面の笑みで答えるお嬢様。
魔法使いというのは、子供がよく口にするような職業だ。
市井であれば魔法使い、貴族に召されれば魔術師と明確に名称で線引きされている職業。
そのうちの最高位は王宮の魔術師団長ということになって、今は俺の魔法の先生の元副団長だった人らしい。
なのにお嬢様は、魔法使いと言い切った。
貴族や国に囲われるのではなく、世界一の魔法使いになると断言した。
その絶対的な信頼に、ゆるく口角が上がるのが止められなかった。
『あい分かった、変異種の人の子らよ。 ならば、また見えることもあろうぞ』
本来、爬虫類の顔には表情をもたらす筋肉はない。
だが丸くなった瞳孔に細められた眼差し、そして牙が見えそうなほどに上がった口角、明らかに楽しそうに笑っているのが分かる竜王の顔につられ、お嬢様はも表情を整える。
「えぇ、いつかまた御前に」
裂けた袖に血まみれのドレス、だがそれでもお嬢様の淑女の礼は凛として奇麗だ。
竜王はそのまま大きな翼を広げ、その巨躯をものともせずに軽く飛び上がる。
本来なら羽ばたきに合わせ風圧がくるものだが、何らかの飛行魔法を使っているのだろう、そのままの姿勢で上空に浮かび上がっていく。
見上げる首が痛くなるほど上空に上がると、その場で旋回し、次の瞬間には北に向かってものすごい速さで飛んで行ってしまった。
竜王が索敵魔法の範囲から外れて、ようやく通常の感覚が戻ってきて……つまり、一気に体が恐慌状態に陥ったのだ。
手足は震え、膝は笑い、腰は萎え、歯の根は合わずカチカチと鳴る。
「えーっと、セレン大丈夫?」
「なっ、なん、で……お嬢、さっまっ、は、平気、なんっ、で、すかぁ」
「うーん、面白そうだから?」
「……」
お嬢様のケロリとした顔に、思わず毒気が抜け強張っていた体から力が抜ける。
情けなくもその場に崩れ落ちて胡坐をかき、肺にたまり切った息を吐く。
「で、お嬢様」
「何?」
「どうするのですか、それ」
「あ゛ーねぇ」
視線だけで指し示す先は、嬉しそうに振り回している大太刀。
俺が言いたい事が分かったのだろう、身の丈、見回りほどもある刀をしげしげと眺めて、お嬢様は小首をかしげて一試案。
「どうしようか、この人斬り包丁」
「ぶっ!」
神器と言っても過言ではない元竜王の爪に対するあまりな表現に、俺は息を喉に詰まらせしばらく噎せ返ることになった。
長い間、エタなっててすみません。
一身上の都合で書く気力が下がっていたのですが、今回テンション爆上がり事案が起こりまして
「あのネタまでは書かなくては!」と奮起した次第で。
しばらくは、リハビリかねてノロノロ更新予定です。