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勇ましい俺のお嬢様

セレン目線(前編)です

前半ちょこっと「自力ガンバ」から流用。

 物心ついたときは、俺の世界は終わっていた。

 両親や兄弟が、いたかどうかも分からない。

 俺の周囲は常に悪意に満ち溢れ、殴られ蹴られ暴言を吐かれ蔑まれる。

 助けを求めても、必死に手を伸ばしても、それが報われることはない。

 暑さを感じていたのはいつまでか、寒さを感じていたのはいつまでか、痛みを感じていたのはいつまでか、辛さを感じていたのはいつまでか。

 皆の望むように、死ねば楽になるんじゃないか?

 その考えが頭に過ぎったことも、一度や二度なんかじゃない、けれど何故か体は必死に生きることを望み、死肉を漁り木の根を齧って泥水を啜る。


 ──シナナイ、シネナイ、アノヒトトデアウマデハ──



 そんな日々を過ごしたのち、気が付けばいつの間にか俺は囲われていた。

 ろくに手入れされていないあちこち崩れた長屋に、痩せこけた子供が集められていた。

 不衛生な寝床……壁と屋根とシーツがあって、雨露をしのげれば十分。

 一日一食、硬いパンと薄いスープ……毎日食べられるのが信じられなかった。

 「黒」と呼ばれ怒鳴られる……暴力を振るわれないならそれでいい。


 特に、悪いと思えることもなかったが、周囲の状況は刻々と変化していく。

 客が来て、子供を連れて行く。

 夜、寝ているうちに何人かがいなくなっていた。

 ある程度、子供がいなくなると、また何処からか連れてきて増えた。

 それの繰り返し……。


 ──ツカマルワケニハイカナイ、アノヒトヲミツケルマデハ──


 今日も客が来るらしい。

 見つからないように中庭の隅で、小さく丸まって蹲る。

 全ての感覚を遮断し、ただ石ころがあるかのように気配を殺す。

 なのに……。

 突然の破壊音に怒号に悲鳴、人が争う喧騒に物が倒れる音。

 それらの音が聞こえなくなって暫くした後、唐突に中庭に続く扉が開いた。

 咄嗟に木の陰に隠れて、中庭に出てきた人物を確認する。

 背丈は百センチほど、質の良さそうな乗馬服に両腰には随分と幅広な短剣を下げ、縦ロールのプラチナブロンドを頭の高い位置で一つ結びにしている子供。

 何故、性別判断がつかないかといえば、その子供が不思議な仮面を被っているからだ。

 目元だけが隠れる物ではなく、人形の顔のように全部が隠れる真っ白な仮面。

 大体、乗馬服を着て短剣とはいえ帯剣しているのだから男とも思うが、解けば背中まであるであろう長い髪が気にかかる。


 子供は腰から下げた袋の中から、何枚もの羊皮紙を取り出しそれを眺める。

 だが見づらかったのだろう、顎に親指をかけると帽子を被るように仮面を頭の上まで押し上げた。

 アーモンド形の猫の目のようなつり上がりぎみ紫の瞳、幼いはずなのに羊皮紙を読み込むその表情はとても子供とは思えない。

 正面に見えたその顔に思わず息を呑み、無意識に足踏みして 

 パキリ

 落ちた小枝を踏んでしまった。


「っ!」 


 瞬時に子供は短剣を鞘から抜いて構えこちらを鋭く射貫くが、俺の姿を確認して紫目をさらに大きく瞠った。

 ほんの僅かな間、互いを見詰め時が止まる。

 先に動き出したのは子供の方で、仮面を被り直すと高い庭壁を易々と乗り越えていった。


 どの位そのままぼんやりとしていたのだろうか、再び長屋が喧騒に包まれる。

 今度は複数の足音に男達の声……客、だろうか。

 一瞬迷っている間に中庭に胸部鎧プレートアーマーを着込んだ男達が雪崩れ込んで、俺と目が合いまた目を瞠られる。

 何だろう、俺はそう何度も目を瞠られるようなモノなのだろうか。

 今迄、侮り、恐怖、憎悪、不快、そんな目で見られた事しかないので、よく分からない。

 一際立派な胸部鎧プレートアーマーを着た男が、しゃがみ込んで目線を合わせてきた。


「坊主、名前は?」

「……」


 名前などない筈、だから首を横に振る。


「家は?」

「……」


 ここに来る前はどこかの森にいた、だから首を横に振る。


「家族は?」

「……」


 見た事もないし覚えていない、だから……。

 男は「あ゛-どうすっかなぁ」と頭をガシガシ掻きながら唸っている。

 客、ではないのだろうか?

 男はしばらく唸って大きな溜息を吐いてから、吹っ切れたように顔を上げた。


「よし坊主、領主様の所に行くぞ」


 領主様……その人が俺の客なのか、確かここで一番偉い人だったと思うのだが。

 男は俺の手を握ると歩きながら、他の男達に何事かの指示を出していく。

 途中に見かけた見知った大人達は一角に纏められて、猿轡と両手両足を後ろ手で縛られた上に背中で繋げて転がされていた。

 そして見事に吹き飛ばされていた玄関から、男と一緒に外に出る。

 囚われたあの日以来の久しぶりの外、何一つとしていい事などない外の世界。

 目の前に広がるのは、人家の欠片もない何もない荒野。

 こんな場所だったのかと周囲を見ていたら、男に馬上へと引き上げられた。

 

「内太腿を絞めて鞍を挟め、手は鞍の前の突起を持ってろ。 飛ばすからな舌を噛まないようにしっかり口を閉じてろよ」


 男の腕が俺の胴に回った直後、馬の横腹が蹴られ宣言通り最初から襲歩ギャロップで走り出す。

 凄い速さで走る馬の背から落ちないように、必死に鞍にしがみ付いていたのだから、客の家に着いた時はかなり体力を消耗してヘロヘロだった。

 だがそんな俺でも領主館マナーハウスとやらの立派さには、唯々呆然とするしかない。

 男に手を引かれて入った屋敷の内装も調度品も、装飾品など一度もお目にかかったことのない俺でも分かるぐらい凄い。

 屋敷に入って最初に現れた黒服の男も、こちらをチラチラと見ている紺色の服の女達も、今まで見た事ない上等な人達なのだと分かる。

 さらに黒服の男が屋敷の二階から連れてきた男などは、もう生き物として違うのではないかと問いたいくらいだった。

 そんな男達が、驚いたような困ったような目で俺を見ている。

 俺をここに連れてきた男と同じ目で……。

 男達が俺の頭上で何やら話し合い出したので、聞き流しながらぼんやりしていると何処かからか視線を感じた。

 いつもの癖でつい視線の元を探る、敵かそれ以外かを見定めるために。

 そして、再び出会った。


 二階の手すりからこちらを見ている、ドレスで髪も巻いているその姿。

 だが瞳は紛れもない紫目だし、背中で豊かに揺れている縦ロールはプラチナブロンドだ。

 お姫様だったのか、と無意識に口が動きそうになった瞬間、姫様はあの時と同じくらい軽やかな身のこなしで手すりを越えエントランスホールに飛び降りる。

 そして酷く慌てた様子で俺の元に駆け寄り、そのまま片腕でヒョイと立て抱きににした。

 驚いた、なんてもんじゃない。

 そのまま硬直して全く動けなかった。


「おっ、おとうさま、このこはわたくしの、じゅうしゃにいただきますわっ!」


 そう言われ抜群の安定感のまま二階へ、そのまま駆けていく。

 途中ですれ違う幾人もの男女か声をかけてくるのが、姫様はまるっきり無視して部屋に飛び込むと俺をソファーに下ろした。


「……あの」

「ちょっとまってね」

 

 口を開きかけた俺を制し、姫様が一度閉じた扉を開くと、そこには幾人もの男女が心配げな顔をして立っていて。


「なにかいそいで、たべられるものをおねがい。 それとせんせいに『ようじができたので、ごごからのじゅぎょうはあすにおねがいします』とことづけてもらえるかな」


 姫様が指示を出すと、男女はワラワラとその場を後にする。

 そして大して待つこともなく、女の一人がワゴンに甘い香りがする物とポットを乗せて戻ってきた。


「ありがとう、あとはわたくしがするから、さがっていいわ」


 そう言ってワゴンを受け取り、扉を閉め鍵までかけてしまった。


「アップルパイなんだけど、とりあえずおなかにいれてくれる?」


 一人分だろうか、丸いパイから三角に切り分けられた分が目の前に置かれる。

 恐る恐る手掴み──カトラリーもあったが、その時は使い方も知らない──でパイを口に運ぶと、生まれて初めて味わう甘さと美味しさに手も口も止まらず、あっという間に食べ尽くしてしまった。


「おいしかった?」


 無言で首を縦に振る。


「もっと、たべられそう?」


 首が取れそうなぐらい、縦に振った。

 姫様は柔らかく笑うと、残りのパイも手早く何個かの三角状にナイフを入れ、丸のまま俺の目の前に置く。


「どうぞ、ぜんぶめしあがれ」


 言われるまでにパイを食べ、手ずから入れてくれた紅茶を飲んだ。

 夢中になって食べて、飲んだ。

 我に返ったのは、パイがなくなり紅茶のポットも空っぽになってしまった時。

 慌てて顔を上げても目の前のソファーには誰もいなくて、でも、さらに部屋の奥にある小さな机に姫様は寄りかかって立っていた。

 あの人形の様な仮面を身に着けて。


「……あの」 


 長屋に来たのが姫様で間違いなかったという安堵感と、なぜ今仮面を被っているのかという疑問で、首を傾げながら声をかけようとしたが


「……あなたには、わたくしのすがたがわかるのね、いまもあのときも」

「えっ? あ、うん」


 姫様は仮面を外し俺の目の前のソファーに座る。


「このかめんにはね、にんしきしょうがいのまほうがかかっているの」

「認識障害?」

「みえてても『みえない』きづいていても『きづかない』そんなまほうのかめん」

「でも、俺には見える」

「うん、くろかみくろめのあなたには、たかいまりょくようそがある。 きっとまほうたいせいもたかいのだろうから、きかないのね」


 姫様は一息吐くと真剣な目で俺を見る。


「あのね、ないしょなの」

「は?」

「わたくしが、あんなふうにわるいひとをやっつけているのは、だれもしらないひみつなの。 だからあなたも、だまっててほしいんだけど、そのかわり、あなたのこれからのみのあんぜんは、ほしょうするわ」

「身の安全?」

「ええ」

「……でも俺は」


 今までの人生を振り返って目を伏せる。

 黒髪黒目の化け物と、忌子と、魔物と、常に悪意に満ち溢れ、殴られ蹴られ暴言を吐かれ蔑まれた。

 姫様はそんな俺の心情を知ってか知らずか、何気なく言う。


「くろかみくろめはまをよぶ、なんてむかしはいわれていたけれど、いまではちゃんとたいしょほうほうがわかっているわ、げんいんのまりょくをせいぎょすればいい。 わたしのまほうのせんせいは、まえのまじゅつしだんちょうなのよ」

「魔術師団長」

「おうこくでいちにをあらそう、まほうのたつじんよ。 でもまほうのべんきょうがいやなら、まふうじのくびわをするっててもあるの。 でもまほうがつかえなくなっちゃうから、ちょっともったいないきもするけど」

「勿体ない?」

「わたくしは、まりょくがすくないから、しんたいきょうかのまほうしかつかえないの。 だから、まりょくがたくさんあるあなたが、ちょっと……ううん、かなりうらやましいわね」


 助けを求めても、必死に手を伸ばしても、それが報われることはなかった。


「……俺の身の安全を保障してくれる、と」

「ええ」

「なら俺は、姫様の側にいたい」

「んーいっといてなんだけど、わたくしのそばはけっして、あなたのみのあんぜんがほしょうされるとはいいがたいわ」

「姫様の側にいるために魔法の勉強が必要ならするし、護衛の訓練が必須ならする、さっき言ってた従者として修行が当たり前ならする。 だから、姫様の側がいい」

「あらら」


 姫様の目には、侮り、恐怖、憎悪、不快、そんな色はない。

 驚愕と困惑、でもその紫目の奥に僅かな好奇の色が見え隠れする。

「あくやくれいじょうのくろかみのじゅうしゃねぇ、ゲームのきょうせいりょくおそるべしだわ」と、何やらブツブツ呟いていたけれど、パンと手を叩いた。


「じゃぁ、とりあえずおためしで、むりそうだったり、ほかのほうほうがよくなったりしたら、えんりょなくいってね」

「俺は一刻も早く強くなって、姫様みたいに悪い奴等をやっつけたい」


 今まで自分を押し殺していた悪意、それらを一瞬で薙ぎ払った姫様を素直に格好いいと思った。

 剣を構えた見目も、庭壁を易々と乗り越えた様相も、二階の手すりを越えエントランスホールに飛び降りた身のこなしも、大人と対等に渡り合っている風格も、御伽噺に出てくる英雄のようで……。

 だが


「えーと、ゆめをこわしちゃうようで、わるいんだけど、これわたくしのしゅみだから」

「……へ」

「たたかうことがすきなだけ。 でも、ごえいきしたちにけがさせるわけにはいかないから、まものとかわるいひとをあいてにしてるの。 いわば『ただしいぼうりょくのつかいかた』なわけだから、おてほんにしないほうがいいわ」

 

 言われた事実に一瞬頭が真っ白になったが、だがよくよく考えてみれば身分の底辺を這いずっていた自分なのだ。

 清廉潔白なお姫様より、俺の客……主によっぽど相応しいではないか。


「よろしくお願いします、ひ……いえ、お嬢様」

「うん、とりあえずよろしく、っと、ごめんなさい、なまえなんていうの?」


 名前、騎士の男に聞かれた時も口籠ってしまった。

 頭に思い浮かぶのは、お前、あいつ、そいつ、そして『黒』と。

 だけど

 ── ン ──

 ── レ……ン ──

 ── セレ…… ──

 一度も聞いたことのないはずの幻の音が鼓膜を擽る。


「セレン、と」


 何故か、そう呼ばれたかった。


「そうセレン、じゃぁ、まずはおふろね」

「……はい?」


 お嬢様はニッコリ微笑むと、俺の手を引いてソファーから立ち上がる。

 

「れいほうのじゅぎょうがあるときは、ごぜんちゅうのはしりこみあとにおゆをつかうから、まだわたくしののこりゆがあるわ。 みぎれいにしてから、おとうさまのところにいきましょう。 わたくしがみがいてあげるわ」


 部屋を出てズンズンと廊下を進む。

 途中、先程と同じように廊下ですれ違う男女達が驚いて見ているが、俺の方がよっぽど困惑している。

 いくら教養のない俺でも分かる、子供でも女の主が従者を風呂で磨くとかありえないからっ!


「ちょっ、ちょっと、お嬢様!?」

「だいじょうぶ、だいじょーぶ、いたいのはさいしょだけだから」

「何ですか、その痛いのってぇ!」


 暑さを感じていなかったのに、寒さを感じていなかったのに、痛みを感じていなかったのに、辛さを感じていなかったのに。

 今まで自分を押し殺していた感情、それらを自覚なく一瞬で薙ぎ払ったお嬢様。


 そんな我が主に力で敵うわけがなく、あわや風呂場に連れ込まれそうになった時、騒ぎを聞きつけた黒服の男が来てくれて、その人がお嬢様の代わりに風呂の面倒を見てくれた。  

 風呂に入れられて、伸ばし放題だった髪は切られ、汚れっぱなしだった体は身綺麗にされ、一度も触れたことのない服を着せられた。

 与えられた使用人部屋の一室、ベッドと棚と机と椅子、そしてクローゼットにはすでに数着の服が掛けられていた。

 長屋では十人が押し込められるような広さの部屋を、一人で自由に使っていいと聞いた時には本気で驚いた。

 改めて領主様──旦那様と顔合わせして、正式にお嬢様の従者見習いという役目を貰えた。


 翌日、従者見習いとしての第一任務は、魔力制御のための魔法授業だった。

 お嬢様に連れられて広い庭に出てみると、白髪に白髭で僧衣ローブを着込んだ老人が立っていて。


「せんせい、きゅうにおよびたてしてもうしわけありません」

「いえいえ、全く構いませんぞクレリット様。 して、その子が」

「はい、わたくしのじゅうしゃみならいのセレンといいます」

「セレンです、よろしくお願いします」

「ほうほう、成程成程」 


 お嬢様の紹介に合わせ頭を下げると、元魔術師団長だという人物はそれはそれは楽しげに目を細めた。

 今迄そんな目で見られたこともないので、ちょっと引く。


「いままでまりょくのひくい、おしえがいのないせいとで、こころぐるしかったのですが、これでぞんぶんにごかつやくできますでしょう、せんせい」

「いやいや、クレリット様の魔法へのお考えと着眼点は斬新ですから、とても貴重で有意義なものですぞ。 しかしこれで、その夢物語が完成されますかな」

「せんせい、さいしょからとばしてはだめです。 まずセレンにはちゃんと、まりょくそうさをおしえてあげてください」

「勿論ですとも、でもまぁ、善は急げとも言いますしな。 頑張ろうの、セレン」

「はっ、はい」


 何やら不穏な気配がするけれど、知らぬ存ぜぬを通そうと思っていたのに、お嬢様が新たな燃料を投下してしまう。


「あ、そうですわ。 せんせいのつくってくださったにんしきしょうがいのかめん、セレンにはききませんでしたの」

「……ほぉ、これは、儂も頑張らねばなりませんなぁ」


 修行のランクが上がった瞬間だった。


 一か月、午前も午後も、ほぼ魔法授業で魔力操作漬けの日々だった。

 二か月、魔法の授業は午前中だけになり、午後からはお嬢様と同じような授業を受けることになる。

 三か月、初級魔法の授業が始まり、午後は授業以外に従者の修行にも入る。

 四か月、中級魔法の授業が始まり、従者の修行の幅が広くなってくる。

 五か月、上級魔法の授業が始まり、従者の修行は仕事と言うか生活のほぼすべてに成り代わっていく。


 で半年が過ぎ、痩せこけていた体もそれなりに育ち、従者としての教育を受け、周囲とも馴染んでくると、物事が良く見えるようになってくる訳で。

 その過程で、お嬢様がちょっと残念であることに気付いてしまった。

 頭が悪い訳じゃない、態度が酷い訳じゃない、可愛くない訳じゃない、ただそれらの全てがほんの少しづつ残念なのだ。

 身体強化の魔法しか使えないけれど、魔法に対する造詣は恐ろしく深い、魔法の先生でさえその発想に驚くのだから一体五歳児が何処でそんな知識を身につけたというのか。

 だが座学の授業となると話が別で、計算や歴史──特に戦術──等の授業はいいが、外国語や音楽や詩になると全然覚える気がないようなのだ。

 舞踊や礼法の成績が悪い訳ではない、運動神経のいいお嬢様は足捌きも切れがいいし、微動だにしない体幹が素晴らしい。

 そうそれは『足捌き』であり『ブレない体幹』である、『ダンスステップ』とは言い難く『女性らしい姿勢』でもないのだ。

 また刺繍に至っては壊滅的で、誤魔化すためにこっそり手伝った俺の方がメキメキ腕が上がってしまった始末で、大公令嬢としては致命的だ。 


 俺を救って、何も知らない俺の面倒を見てくれた、完全無欠のお嬢様という色眼鏡は外れた。

 お嬢様は確かに強い、誰にも負けないぐらい強い、でもまだ五歳児の女の子で何処か危なっかしい。

 誰か一緒にいなければならないのだ、そう、誰かが……。



 七か月、上級魔法を一通り修めたので魔法の授業を午後に回してもらい、午前中は『お嬢様の領内走り込み』に付き従うことにした。

 だが始めの内は、追いかけるのに慣れている護衛騎士達より早くにお嬢様に撒かれてしまう始末。

 しかしその過程で、今迄関わり合いのなかった護衛騎士達と仲が良くなり訓練に混ぜてもらえるようになった。 

 当然、攻撃系の魔法は使えないので、コテンパンにやられる日々だが。


 八か月、魔法の先生と相談して『探索魔法レーダー』を開発した。

 お陰でお嬢様の居場所は特定でき追い付くことは出来るようになったが、相変わらず『お嬢様の領内走り込み』では撒かれてしまう。

 それでも、護衛騎士の誰よりも粘れるようにはなっていた。

 騎士達の訓練には、補助魔法や防御魔法を駆使して、何とか付いて行けるようにはなった。

 

 九か月、探索魔法レーダーと補助魔法を使って、やっと『お嬢様の領内走り込み』に完璧に付いていけたと思った次の日、今まで以上に簡単に撒かれ探索魔法レーダーで探したらとんでもなく遠い場所にその姿があった。

 そう、今迄お嬢様は身体強化も手加減をしていて、認識障害の仮面も被っていなかったのだ。

 全てを使われ、本気になったお嬢様には手も足も出ない。

 その鬱積を騎士達との訓練にぶつけていると、中級までの攻撃魔法の使用が許可された。

 どうやら先生と隊長の間で魔法の実施と魔道具の効果も兼ねた訓練を想定したらしいが、今迄魔法に対して免疫のない騎士達は大変だと思うが勿論手加減はしない、うん断じて八つ当たりなどではない。


 十か月、今月、お嬢様は旦那様のお供で王都に行かれる。

 立場が大公令嬢ではなく、護衛というのはどうかと思うが、まぁお嬢様が楽しそうなので良しとする。

 留守番を言われてしまったのは残念だが、この間にお嬢様に追いつきたい。

 探索魔法レーダーと補助魔法程度では、どうやっても本気のお嬢様に追い縋ることができないのだ。

 撒かれて、探索魔法レーダーで探してもお嬢様ははるか遠くにいて、追いつく前にまた場所を移動してしまっている始末。

 先生に相談すると、様々な魔法の案を提案された。

 能力値開示ステイタスオープンや鑑定、宝物箱アイテムボックスそして転移。

 全てはお嬢様の発案で、先生に話していた夢物語の魔法ばかり。

 ただ、能力値開示ステイタスオープンと転移の魔法の概念は、先生と一緒に新たな魔法開発の基礎となった。


 十一か月、探索魔法レーダー、身体強化、風魔法の補助に、新たに開発した追跡魔法ハント地図魔法マッピングそれだけ駆使して、漸く本気のお嬢様に遅れる事無く付いていけた。

 翌朝「はいこれセレンの分」と認識障害の仮面を渡された時は、お嬢様に認められたようで堪らなく嬉しかった。

 『お嬢様の領内走り込み』と護衛騎士団では言われているが、当然、領内をただ走っているだけではない。

 領民の噂を聞いたり探ったり、冒険者組合(ギルド)の掲示板を見たり、冒険者と組合員の話を聞いたりと情報収集を第一としている。

 まぁ、領内を警備している騎士隊の詰め所にまで侵入していたのには、少々驚いたが「必要悪よ」とお嬢様はカラカラ笑う。

 領民の噂で、東の街道に小鬼ゴブリンが時々出てきて困る、なんて聞けば、行って森の奥に隠れ住んでいた集落ごと叩き潰し。

 冒険者組合(ギルド)の掲示板で、上級パーティでも手こずりそうな大型魔物の討伐依頼があれば、行って一刀両断で首を落とす。

 冒険者と組合員の話で、領の端の小さな村で病が流行っていると聞けば、森で効能の高い薬草を刈り、滋養のありそうな獲物も狩って、村の入り口に置き。

 騎士隊の詰め所で、犯罪に関わる怪しげな人物の報告書が上がっていたら、急襲して当人をふん縛り犯罪の証拠と共に詰め所の前に転がしておく。

 これだけの善行をお嬢様は認識障害の仮面を被り、誰に知らせる事無くたった一人でやっているのだ。

 だから不思議に思って訊ねる。


「どうしてお嬢様は功績を誇らないのですか? きっと皆、有難がって感謝します。 英雄や神を称えるかのように崇めるでしょうに」

「え゛-面倒くさいわ」

「はい!?」

「わたくしのコレは趣味よ。 なのに皆が、わたくしに頼りきったらどうするの? 次から次に、アレをしろコレをしろと言ってくるのよ。 下手をしたら、国が乗り出してくるかもしれないわ。 趣味を仕事にするつもりはないの、わたくしは精一杯好きな事をして長閑に暮らしたいだけ」


 長閑という概念が今一違うような気がしないでもないが、自分の今迄の人生を鑑みれば確かに長閑だろうし、今の生活を奪われたくはない、だから。


「だから、皆には内緒」

「はい」

「……まぁ、お父様やその周囲、魔法の先生辺りは気付いているでしょうけれど、それでも、ね」



 十二か月、お嬢様は六歳になられた。

 相変わらず『お嬢様の午前中の領内走り込み』は続いているが、ちょっとした変化があった。

 粗方、領を脅かすような魔物がいなくなったのだ。

 お嬢様曰く、魔物と言えど自然の均衡の上に成り立っているので、人の領域を犯さない限り全てを駆逐する気はないらしい。

 だからその分、暇と手間が開いたお嬢様は「趣味なの」と言って俺に様々な魔法の概念を仕込んでいく。

 一つ一つ魔法を実現させると、お嬢様が子供の様に──実際子供だけど──大喜びするから、ついむきになって魔法を作り出していく。


 そんな長閑な日々がこれからも続いていくと思っていたのに、皮肉にも新しく覚えた俺の魔法がそれを否定したのだった。

お待たせしたのに、竜王まで行けず無念ナリ~orz

そして魔法の名称をちょこっと変更。

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[一言] ここの真ん中あたり、『雨ニモ負けケズ』をひねった感じで爆笑しながら読みました。大好き!
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