精一杯鍛えられたから、楽しいです
『君クレ』のゲームと似た世界に転生していると気が付いたクレリット。
まず最初にしたことは
「ステイタスオープン」
……何も変化がない。
流石現実、上手くはいかない。
と思いながら紅葉のような掌を見て、もう一つの可能性に賭けてみる。
「かんてい」
……やはり何も起こらない。
コロンとベッドに仰向けに倒れこんだ。
「やっぱりダメかー。 どっちも、クリエーターまほうだったしなぁ」
クリエイター魔法とは、オリジナルの『君クレ』で実装されている魔法ではなく、素人クリエーターの追加パッチで新しく作られた魔法だ。
と、言う事は、ここはオリジナルの『君クレ』の世界か。
いやいや、大体ヒロインは魔法要素が高かったから魔力は使い放題でそれ中心に鍛え上げたけれど、悪役令嬢はどうだっただろう?
大体ゲームソースのプログラムで戦闘データーが弄れたのは、ヒロインと攻略対象者だけだった。
それも能力値開示や鑑定で、数値として見ていただけなので、実際の『魔力』という物の感じ方が分からない。
掌をじっと見る、現代人の感覚にすり替わってしまったからか、それとも魔法要素が乏しいのか、まぁ要調査だ。
そのままプニプニと二の腕を揉んでみる。
幼女だから仕方はないが、筋肉の欠片もなかった。
クレリットの前世は運動が得意で、自分を鍛えるのが好きで、剣道、柔道、合気道、空手と有段者だった、
ベッドから跳び起きると、毛足の長い絨毯の上に裸足のまま腰を落として立ち、幾つか空手の型を繰り出してみる。
体は違うが魂がちゃんと型を覚えているらしく動きに支障はなかったが、型を十手も出したあたりから息が切れて体が動かなくなる。
元々の体力がないからか、それともここ数日は部屋に閉じこもってベッドに潜り込んでいた所為か。
呼吸をゆっくりと整え、気合を入れる為にパン!と両手で頬を張る。
ここは、剣も魔法もある『君クレ』に似た世界、改めてそれを思い知ってクレリットの口角が徐々に上がっていく。
自分はまだ四歳になったばかり、剣でも魔法でも将来の期待値は未知数で、前世では不可能だったことが可能な世界だ。
剣で横一文字に敵を薙ぎ払ってみたい。
魔物を魔法で倒してみたい。
そこまでいかなくても、悪漢を拳の一撃で沈めてみたい。
ここが乙女ゲームに似た世界?
知るものか、自分はこの腕一本で生き抜いて見せる……まず、その為には。
これからの事に考えを馳せていると、きゅるる、と小さな腹が空腹を訴えた。
ともかく食事をしよう全てはそれから、ゆっくりした足取りで扉のノブに手をかける。
その後クレリットは、最愛の妻を亡くして悲しみの縁に沈んでいる父親に、卑怯ともいえるとんでもない交渉を持ち掛けた。
「おとうさま、おかあさまがなくなって、わたくしきづきましたの。 ひとはいつしぬかわからないと。 だからわたくし、せいいっぱいすきなことをしたいのです。 たいこうれいじょうのわたくしは、あきらめてくださいませ」
「好きな事? 一体何をしたいんだい」
「わたくし、しにたくありませんから、じぶんをきたえたいのです」
「死にたくない……から」
「はい、からだをきたえてじょうぶにしたい。 けんをならって、わるいひとにまけないようにしたい。 まほうをおさめて、ふりょのできごとにそなえたいのです」
「そうだね、死にたくない、よね」
「はい」
「分かった、剣と魔法の教師を招こう。 だけど、必要最低限の勉強と礼法と舞踊は学んでおくれ、将来困ることにならないようにね」
「はい、ありがとうございます、おとうさま」
涙ぐむ父親に精一杯の拙い淑女の礼をする幼女が、今、口角を緩めているとは誰も思わないだろう。
その日から、クレリットは人が変わったと周囲に言われるようになる。
午前中は乗馬服を着て、髪を巻くこともなく高い位置で一つに結び、屋敷の広い庭を走り込み、部屋では重い物を持ち上げたり降ろしたり、空気椅子に立ったり座ったりを繰り返す。
午後からは家庭教師による授業になるのだが、その比率が令嬢のそれとしてはおかしかった。
座学や礼法や舞踊よりも、剣術や魔法の授業の方が多いのだ。
半年を過ぎる頃になると、さらにおかしな状態になる。
最早ドレスを着て髪を巻くのは礼法と舞踊の授業の時のみ、普段から髪は後ろで束ね、ブラウスにベストとズボンといった令息風の服を着るようになった。
魔法は残念ながら内包魔力がそう多くなかったので、一つの魔法以外覚えるのを止めた。
身体強化の魔法一択に絞ったのだ。
それに伴い、授業は剣術中心に組まれるようになり、平気で大公の護衛騎士達の演習場に入り込んで剣を合わせられるほどになっていた。
勿論、最初はクレリットが負ける方が多く、さらに騎士達は手加減をしていた。
だが、一週間後には手加減が難しくなり、二週間後には手加減していると負けるようになり、三週間後には手加減などできなくなり、一か月後には騎士達の方が負け込むようになってしまった。
クレリットに辛くも勝てるのは、隊長、副隊長、後は攻撃魔法が得意な騎士だけだ。
二か月、クレリットは身体強化の魔法の威力を上げることにより攻撃魔法を弾き、魔法が得意な騎士を下した。
三か月、護衛騎士の中でクレリットに勝てる者はいなくなった。
四か月、クレリットの走り込みは屋敷の庭から、領内全ての範囲となった。
当然騎士も何人かが護衛──必要かどうかは別として──として付いて来ようとしたが、あっさり距離を開けられ見失ってしまう始末。
そして何故か、領内の魔物による被害件数が激減し、領の境界線ギリギリの場所に魔物の死体が積まれている事が時々あった……しかも午前中だけ。
魔物の死体は新鮮な上、どれもこれも首が奇麗に切り落とされていたので血抜きされていると同じ状態で、結局、誰の所有物か分からなかったので──何人かが所有権を主張したが、同じように処理して証明してみろと言ったら引き下がった──肉は孤児院に寄贈され、素材を売った分は冒険者組合の臨時収入となり冒険者達に還元された。
五か月、領内の犯人検挙率が鰻登りになり、犯罪件数が劇的に減った……何故か午前中だけ。
しかも犯人は、治安部隊である騎士隊の詰所前に縛られて転がされていた。
中には賞金首もいたが、犯人達に誰にやられたかと聞いたものの「分からない」「見てない」と言うばかりで、告示の看板を出したが誰も名乗りを上げなかったので──因みに『嘘偽りを述べた者は処罰する』と書いた──賞金は騎士隊詰め所預かりとなり、周辺警備の強化に利用された。
六か月、クレリットは剣術教師から免許皆伝を貰ったのだが、そのご褒美にと父親に強請った品が、これまた令嬢としては有り得ない物だった。
大規模な戦争か、大型魔物の襲来か魔物氾濫でも起こらない限り、騎士は重装備の全身鎧を着ることはまずない。
通常は機動性を重視し軽装であり着ても鎖帷子や胸部板程度、少々の出動でも胸部鎧なのだ。
だから普段は扱いやすい洋刀か、精々幅広剣を好んで帯剣している。
しかし四歳児とはいえ身体強化で能力を嵩上げしていると、それらの剣では軟過ぎて今迄一体何本を破壊させてきたか。
両手剣のような巨大で重い剣なら、使用には耐えうるかもしれない。
だが、クレリットの身長は百センチもいっていないのに、 最低でも百二十センチ以上の両手剣をどうやって持ち歩けというのか。
だから『君クレ』の世界にはなかった武器の鍛冶を、父親にお願いしたのだ。
近隣貴族も訪れた、クレリット五歳の誕生日パーティ。
久方ぶりにドレスを着て、髪を巻いて奇麗に着飾ったクレリットはまるでお人形のような令嬢だったのだが、そんな幼女が満面の笑みで一番喜んだのが父親からの贈り物だった。
さもありなん、と思ってはいけない。
それは、分厚くて鋭い剣の先の部分を、独特な形の柄に固定された短剣だった。
柄──握りと言った方が正しいだろう──は、刀身には垂直で、鍔とは平行になっている。
握れば拳の先に切っ先がくる仕組みの物で、そんな物騒な短剣が一対。
前世では『ジャマダハル』と呼ばれる武器を両手に装備して、ドレスのままその場で何手か剣技の型を決めるクレリット、そして。
「すてき! わたくしこのけんにはじぬよう、もっとがんばりますわ」
「そうだね、これから先も元気で過ごしておくれ」
喜び合う親子の様子は微笑ましいが内容が内容なだけに、我が子を大公令嬢のお近付きに、あわよくば婚約者になんて企んでいた貴族達は唖然とし、息子達は顔面蒼白になり、館の警護に当たっていた騎士達は身を震わせていたとか、いないとか。
さて、そんな長閑?な大公領で一つの事件が起こり、とある人物が保護され、領主館は今現在、混然としている。
きっかけは、騎士隊の詰め所に投げ込まれた一通の密告書。
『領の端、大公未承認の孤児院、児童誘拐及び奴隷売買の疑いあり』
手紙と一緒に添えられていた、奴隷売買の契約証の羊皮紙の束。
疑い、どころではなく完全完璧な物証だ。
海に面した港湾でもあるエルランス大公領は、良きにつけ悪きにつけ外からの流入出が盛んなのだ、人も、物も。
エルドラドン国では現在、奴隷は認められていないし、当然、人身売買も禁止だ。
発覚すれば、例えそれが貴族であろうと、いや貴族だからこそ爵位の返上や廃爵を覚悟しなければならない。
それなのに、愚かな犯罪に手を染める貴族がいるのは、数代前まだ戦時だった頃の名残や習慣が抜けきらないのだろう。
当時は戦争奴隷が存在し、また貧困や食糧難や親が戦争で死んだりして、子供の奴隷も多かった。
需要と供給、それが戦時だけでは終わらず平時となり王国法に違反する行為だと知った上で、発覚しなければ構わないと考える輩が未だいるのだ。
そんな犯罪者に好き勝手させる訳にはいかないと、騎士隊が急ぎ孤児院に向かったら、全ては決した後だった。
長屋と言ってもいい程くたびれた建物の玄関は見事に吹っ飛ばされ、入口付近に大人達──恐らく奴隷売買に関わっている者──が気絶し、ご丁寧に猿轡と両手両足を後ろ手で縛られた上にそれらを背中で繋げて転がされているものだから、目が覚めても縄を解くどころか満足に起き上がる事さえできないだろう。
そう、今迄の騎士隊詰め所前に転がされていた犯人達と同じ捕縛方法。
今度こそ正体が分かるか!? と騎士達が色めき立ったが、今回も犯罪者達は「何も見ていない」「分からない」と言うだけだ。
保護した子供達に至っては、全員が酷く痩せていて目に生気はなく、ぼんやりとしている。
恐らく逃げたり暴れたり自分で考えることができないよう、食事を極端に少なくした上で何がしらかの薬を盛られているのだろう。
そんな子供達の中、ある意味この場にいても当然で、この場に最もいるべきではない子供を見つけ、騎士達は驚愕に目を瞠る。
誰よりも痩せていているが、吸い込まれそうなほどの黒い瞳は僅かながら生者の色を宿している。
薄汚れて伸ばし放題の髪色は、汚れさえも染めてしまいそうな黒。
黒髪黒目、魔を呼ぶ少年。
しかし、その言い方は正確ではない。
黒髪黒目、昔は魔を呼ぶなどと言われ、発見され次第に殺されていたのには迷信でも、民間信仰でも、妄信でもなく、正当な理由がある。
黒髪黒目の人間は総じて魔力が高く、物心つかない幼少期や、大人になってからでも、魔力制御できずに暴走してしまうことが多い。
その被害は甚大で、当時はそうやって自衛するしかなかったのだ。
だが、もし、何らかの方法で上手く『飼え』れば、少年を買い上げた者は無尽蔵の魔力庫を得たも同然になる。
危険な芽を持つ子供、故に放逐することなどできず、だからといって現状まだ何もしていない子供を、闇に葬るだなんてことは許されない。
騎士隊の隊長は上役の判断に委ねるため、少年を領主館へと連れてきたのだ。
突如、現れた黒髪黒目の少年に、大公も護衛騎士も執事も驚嘆に言葉をなくす。
さてその処遇に頭を悩ませていると、大人しくもぼんやりとしていた少年の黒目が一点を見て目を瞠る。
何事かと思い視線を追えば、エントランスホール上の二階の手すりからこちらを見ている大公令嬢の姿。
今から礼法の授業があるのだろう、ドレス姿に髪も巻いている、お嬢様仕様だ。
少年が何か言わんとしたのか口を開きかけたその時、クレリットは手すりを越えエントランスホールに飛び降りると、酷く慌てた様子で少年の元に駆け寄り、そのまま彼を片腕でヒョイと立て抱きに抱え上げた。
身長百センチ弱の幼女が、痩せているとはいえ自分よりも身長のある少年を幼児抱きにしている姿は、何とも奇怪な光景だ。
「おっ、おとうさま、このこはわたくしの、じゅうしゃにいただきますわっ!」
クレリットはそう言い残すとそのまま二階へ、一目散に自分の部屋目指して駆けて行った。
「お嬢様!?」「どうされたのですか??」と、 すれ違う使用人達の声が上の階から聞こえて、それが遠ざかっていく。
困惑、疑惑、思惑と三者三様の思いを馳せて領主館で惑い合う。
さて、部屋に連れ込んだ少年──セレンとクレリットの間にどのような話し合いがなされたかは分からないが、その後のセレンはほぼクレリットと同じ時間を過ごした。
最初は何くれとなくクレリットが面倒を見ていたのだが、セレンと周囲が馴染んできた半年後にはその関係が怪しくなる。
従者としての教育を受け、痩せこけていた体もそれなりに育ってくるとセレンの方がクレリットの世話を焼くようになっていた。
保護されて以降、魔法教師からしっかり魔力操作法を学び取ったセレン、一年も経つ頃になると護衛騎士全敗の『お嬢様の午前中の領内走り込み』に平気で付いて行けるほど魔法の扱いが上手くなった。
そして、クレリット七歳、魔の森で大蛇を倒したことにより、長閑?な生活は一旦幕を下ろすこととなる。
「クレリット・エルランス、貴様との婚約破棄を言い渡す!」
── アア、ヤットオワッタ ──
「殿下、決闘は私の勝ちですので、名誉を回復させて頂きます。 陛下には『契約は破棄されましたので、これからは自由にさせて頂きます』と」
「……契……約?」
「伝えてくださいましたら、お分かりいただけます。 では殿下、ごきげんよう」
クレリットは一方的に言うだけ言うと、従者を伴いホールから出る。
そのまま廊下を歩き、教育棟を抜け、中庭を通り過ぎ、裏庭に辿り着く。
裏庭は普段から人気のない場所ではあるが、今日は卒業パーティで三年生と担当する教師ぐらいしかいないので、本当に人の気配もない。
一回、深呼吸するとクレリットは王都では常に被っていた、最後の猫を脱いだ。
「セレン、今までありがとうね。 爪と魔法鞄出してくれる?」
クレリットは手を出し、いつものようにセレンが宝物箱の魔法を使うのを待つが、彼に動く様子がない。
「お嬢様、どうされるおつもりですか」
「『立つ鳥跡を濁さず』ってね、国から出る前にやれる事はやっておくの」
「捨てられた地に行かれるのですか」
「そう、岩山を薙ぎ払って平らにしとくわ。 払った岩山は煉瓦位の大きさに斬り揃えておけば、後々建材に使えるでしょ。 王都に森が迫ってきたら留学から戻ったジークフリード殿下が思い出すでしょうし、遅くとも騎士団か魔法師団が演習に行けば事は発覚するわね」
「どうやって、捨てられた地まで行かれるおつもりで」
「え、走って」
今更、何を言っているのだろうとクレリットは首を傾げる。
セレンは身体強化の魔法をかけたクレリットの足の速さと持久力を、身に染みて知ってる筈だ。
馬で一日かかる捨てられた地までの道程も、クレリットにかかれば一時間程度になる。
「お一人で行かれるおつもりですか」
「えっ、でも、私は国を出るつもりだから、セレンに付いてきてもらう訳には」
「私は……いえ、俺はもう用なしですか。 将来、捨てるつもりなら、何故こんな特殊な魔法を仕込んだのですか」
興味本位で、その言葉をクレリットは呑み込んだ。
自分とは違う魔力タンクでもある少年に、どこまで可能なのかクレリットは魔法の概念を教え込んだ。
それはゲームプログラムソースを弄るのと同じことで、彼女にとっては前世からの慣れた行為。
教え方が良かったのか、教わる方も優秀だったからか、お陰でセレンは聖魔法を除く全属性持ち、しかも上位魔法も楽々の無詠唱と、とんでも魔法チートに育ってしまった。
さらに能力値開示や鑑定、魔法鞄に宝物箱そして転移と、おおよそのクリエーター魔法も習得済み。
しかも従者としても完璧以上の技術を修め、主人の身の回りの世話に衣装や荷物の管理と荷物持ち、給仕だけならまだしも料理も洗濯も掃除もできるのだから、スーパーダーリンならぬスーパー従者だ。
「セレンは優秀だから、きっとすぐにいい主人が見つかるわ」
「『黒髪黒目の大公令嬢の従者』として有名な俺がですか」
「う゛っ」
それは申し訳なく思っている。
黒髪黒目はどうしても普通の貴族には、未だに受けが良くない。
だから必要最低限以外は連れ回さない方がいいとは思っているのだが、愛用の大太刀になる竜王の爪がそれをさせてくれなかった。
竜王の爪はクレリットが触れると大太刀に変化する……どうしても変化してしまうのだ。
あのサイズの大太刀だと、肩に担ぐぐらいしか帯剣する方法がない。
大公令嬢がドレスのまま大太刀を担いで普段生活をするとか、何の喜劇だ。
魔法鞄をセレンと一緒に開発してみたが、相性が悪いのか収納することができず、竜王の爪を爪のまま収納できたのは、セレンの宝物箱だけだった。
「じゃっ、じゃぁ、魔法師団に就職したらいいわ。 勧誘されているのでしょう」
「大公家の庇護がなくなったら、俺なんて一瞬で実験動物扱いですよ」
「そっ、そんな事はないと思うけれど」
「それに大公家の籍がなくなるのなら、俺は容赦しませんけど」
「なっ、何を?」
妖艶に微笑むセレンに──はい分かってます、攻略対象者とヒロインを始末すると言ってるのですよね──クレリットは視線を泳がせる。
セレンは従者として完璧を期すからか、クレリットに尽くし過ぎる感がある。
まぁ、あの最悪の孤児院から救い出す要因となったのが彼女だと、唯一知ってる所為もあるからだろうが。
「あのねセレン、私は自由になったの。 だから貴方も自由になっていいのよ」
「自由に、ですか」
「そう、もう私に付き合う必要なんかないのよ」
「……お嬢様は捨てられた地を整備したら、国を出るのですか」
「うーん、そうね、竜王国に行ってみようかと」
「竜王に会いに、ですか」
「えぇ、今度こそ勝って見せるわ!」
フンス!と鼻息荒くクレリットは両手を握って力説するが、セレンの表情は優れない。
きっとあの時の惨状を思い出しているのだろう。
「竜王国の場所は分かるのですか」
「御伽噺だと『北の世界一高い山の頂付近』って言われてるから、その辺を目指そうかと」
「なら、幾日も野営になりますよね。 天幕や食料や衣装はどうされるのですか」
「私には身体強化があるから、天幕も衣装もいらないわ。 魔法鞄に食料だけは、入れるだけ入れるつもりだけど」
クレリットがそう言うと、セレンは重々しく溜息を吐く。
「妙齢な女性が何を言っているのですか。 大体、北は寒いのでコートも必要でしょうし、身一つで野外に寝る事などお嬢様にさせられません。 それに魔法鞄の容量はそんなにありません、精々小部屋一つ分で大した量は入りません」
いや小部屋一つ分って十分でしょ、とクレリットは心の中で突っ込みながらも、苦笑する。
「私の能力を知っても女性扱いするのは、お父様とセレンとジークフリード殿下くらいなものよ」
でも、だからこその不満もある。
「結局、ジークフリード殿下もセレンも、私と手合わせしてくれなかったわね。 二人は仲良く手合わせしてたのに、ずるいわ」
年に一回一週間ぐらい学園休んで森の深層まで潜る。
深層まで行くのにセレンの転移で行けるけれど、大型魔物への牽制や討伐も兼ねて大太刀を晒しながら森の中を進む。
道中、幾分開けた場所で存分に大太刀を振るう。
周囲に人的被害を与えないから、セレンに本気での手合わせをクレリットは申し出たが素気無く却下され、本当は闘ってみたかったけれど身分上そう言えなかったジークフリードとセレンが手合わせを始め出した時は、超絶羨ましかった。
「まぁ、殿下とは痛み分けですが、今この場にいれるだけ俺が有利です」
「?」
「ともかく、お嬢様が俺に自由にしろとおっしゃるなら、俺は自由にお嬢様に付き従います」
「それ、意味ないような」
「……では、このアップルパイは誰が食べるのですか」
「え!?」
「焼いてきてますよ、お嬢様が自由になれるかもしれないお祝いの日ですから。 林檎増し増しでジャムもたっぷり詰め込んだアップルパイを」
胡散臭く微笑むセレンに、はわはわと狼狽えるクレリット。
こっちの世界のお菓子の味は単純で、クレリットが前世から好む酸味もあるアップルパイはセレンにしか作り出せないのだ。
食べたい欲望と解放しなければならないという責務、二つを天秤にかけて……。
「……嫌になったらいつでも言ってよ、もうセレンは自由なんだからね」
「はい、お嬢様」
「むぅぅぅぅ」
いつもこんな風にセレンに良いように丸め込まれてしまうのだが、それがクレリットの不利益になることは決してないのだから、今一納得しかねてる。
眉を顰めるクレリットの手に、セレンはクスクスと笑いながらそっと自分の手を添える。
「まずは、捨てられた地に跳びます。 そして整地を済ませたら、北の国境砦まで跳びますよ。 国境を抜け国を出たら、お祝いにアップルパイを食べましょう」
「じゃっ、チャッチャと済ませるわ」
「了解です、お嬢様」
セレンはダンスを踊るかのようにクレリットの腰に手を添えると、そのまま転移した。
誰もいなくなった裏庭にそっと一陣の風が吹く。
束の間の休息の後、再び長閑?な第二幕が上がるのは今暫く先の話。
本編終了、セレン目線で1・2話予定。
やっぱり竜と対峙する武器は『ドラゴンキラー』だよねw