案内
最後の一口をあまり噛まずに飲み込んで、アメリアは食事を終えた。テーブルの上を探すが目当ての物は見当たらず、小さくため息を吐く。ズボンのポケットからハンカチを取り出して、自分の口元を拭いた。
皿を運びやすいよう1つに纏めてから、それをどこへ運べば良いのか周りを見やる。諦めて座ろうかとした矢先に、重い音を響かせてドアが開いた。
「やぁ」
鋭く笑って歩み寄るレディを、アメリアは立ち上がったままで見つめる。
「意外と早かったわね」
大半が残っていたとはいえ、レディが消えてからアメリアはただ黙々と食べていた。そんなに時間はかかっていない筈である。
ニコッと珍しく人当たりの良い笑顔を浮かべて、レディは答えた。
「お客様を放っておくわけ無いじゃないか」
「……怖いわね、貴方」
「よく言われるよ」
すぐに自然な表情に戻してから、レディはアメリアの前の食器を取る。そのままそれを部屋の隅の方へと持って行った。陶器がぶつかる音が一度鳴って、それはすぐに軽快な足音で掻き消される。
「さて、何か気になることがある? 無ければ、君の部屋に案内するけど」
「大丈夫よ。何もないわ」
「じゃ、行こうか」
2回手招きした後、レディはドアに向かって歩き出す。その後を、アメリアが音の立てない歩き方で続いた。
再び引かれたドアが、久々の重労働に細い悲鳴を上げる。合わせて青い電球が点いて、コンクリートを冷たく照らした。真っ直ぐ続く両側の壁には、全く変わり映えのしないドアが乱れた間隔で並んでいる。
軽く後ろを確認したレディは、奥に向かって歩き始めた。
通路の突き当たりから右に曲がって、レディは一番奥の部屋を開ける。慣れた手つきで部屋の電気を点けた。
「ここだよ。何もないけど、ごめんね」
暖色系の優しい光が、部屋の中を包み込む。照らされた家具はどれも質の良さが窺えるものだった。配置はコンクリートの壁肌を上手く隠しており、完成された印象を与える。
今までとは全く違う雰囲気の部屋に、アメリアは息を呑んだ。
「言っただろ。お客様用だって」
いたずらに成功した子供のように自慢気に、しかしいつもの余裕を損なわない笑み。弾むような声でアメリアは我を取り戻す。
「ええ。凄いと思うわ」
「んー、素直に褒められると嬉しいもんだね。ここは私の趣味の部屋でもあるからさ」
レディの言葉通り、部屋の奥を見ればアルコールを保存するためのボトルラックが見えた。アメリアは苦笑して、乾いた息を吐き出す。
「まぁそれはどうでも良いとして、取り敢えず今日はこの部屋に泊まって貰っていいかな?」
「勿論よ」
「良かった、何かわからない事があればすぐ呼んでね」
ふふん、と上機嫌なままで去ろうとするレディを、アメリアが呼び止める。
「じゃあ、今。質問いいかしら?」
「……ああ、いいよ。取り敢えず座ろうか」
心の底から楽しそうな、凶暴な笑みを浮かべながら、レディは振り向いた。その声は何かを薄々察したかのようだ。
レディは深々と、アメリアは浅く腰掛けるように、二人は向き合って座る。
「そうだ、何か飲み物がいる?」
「いえ。そう時間は取らせないと思うわ」
無駄口は叩かせない、という意志の見える口調。へぇ、とレディが声のトーンを落として、呟く。
「じゃあ、何がわからないのか、聞こうか」
「貴方がわからないの」
「はぁ?」
想定していた質問のどれとも違う意味のわからない言葉を即答されて、レディは素っ頓狂な声を出した。失礼、と乗り出してしまった体を戻す間も、アメリアは毅然と背筋を伸ばしている。
「ええっと、もう一度言ってもらえるかな?」
「あら、耳は高性能じゃなかったの?」
「万が一聞き間違えてたら再調整が必要だから。確認だよ」
「貴方がわからないって言ったのよ」
真っ直ぐ言われ、レディは口元に手を当てて考え込む。ウェイン、まして他の人間とのやり取りでも、こんな事を問われたことはない。
「何がわからないのかな? 血まみれで触ったり意地悪した事なら、謝るけど」
「私は、そんなどうでも良いこと、気にしてないわよ」
「ふふ、そうだよね。ははは」
いつになく饒舌に喋り、挙げ句これ見よがしな皮肉に何も言い返せず、レディは愉快に笑う。一切の邪気のない、心の底からの笑い声だ。
「負けだ、どうしてそんなこと聞こうと思ったのさ」
「対等に仲良くなりたかったからよ。貴女達と」
淡々と答えられる理由の真意がわからず、レディは再び首を捻った。アメリアは続ける。
「貴方は私を知らない、私と似た人間を知ってるだけ。確かにそう思うわ。実際、私も貴方達の機械の体を見たときに、壁の中での差別ばかり思い出していたもの。
貴方達にとって余計な気遣いをしてしまったと思う」
「うん、まぁ、そうだね」
「知らなかったからそういうことをしてしまったのなら、知れば良い。だから聞いたのよ」
ふむ、とアメリアの言葉に数秒黙ってから、レディは試すように口を開く。
「真っ直ぐで素直なのは困るって、言わなかったかな」
「貴方達の昔なんて知らないわ。余計な気遣いはもうしないって、決めたのよ」
レディはなるほど、とトーンを抑えて呟く。真剣みを帯び始めた瞳を正面から受け止めて、それに、とアメリアは続けた。
「貴方達が私のことを上流階級のお嬢様って言うけど、あれは私にとってあまり嬉しくなかったわ」
「……お互い様って言いたいのかな?」
「そうね」
アメリアがすました声で答える。納得したように顔を伏せた後、レディの肩がプルプルと震え始めた。くつくつという笑い声は、次第に大きなものへと変わる。
「くふふ、ははははは! いや、こうも開き直られたら敵わないなぁ」
「何よ。これでも結構考えたんだからね」
大きく口を開けるレディをアメリアは拗ねた目で見やる。ひとしきり笑ってから、レディは悦の染み出す声で問うた。
「私、かなりキツいこと言ったと思うんだけど?」
「だから緊張したわよ。ウェインも無愛想だけれど、貴方は……本当によくわからないから」
「ふふ、いやでもおっしゃる通りだ。傑作だったよ」
油断をすればまた笑い出しそうなレディに、アメリアは「貴方のツボはどこにあるかわからないわ」と呆れる。
「ふふ、でもね」
レディの口調が切り替わる。アメリアを皮肉った時のような、意地悪な口調だ。
「アメリアのその正しさが、いつか自分を苦しめる事になる。今は大丈夫かもしれないけど、その時もアメリアが同じ事が言えるか、私は心配だな」
「貴方の言うように、相手を困らせるってこと?」
「そうだね。正しさっていうのは、世界を正しく見られる人間のためにある。さっきも言ったけど、ここはそういう奴ばかりじゃないからね」
「それは、貴方も?」
レディの口角が少し下がる。遠くを見るように細められた目が、優しい微笑を作り上げた。
「どうだろう。汚いものばかり見てきたからね。気付かないうちに目が濁ってたら、もう駄目かもしれないな」
「この部屋の趣味からして、貴方の見る目はあると思うけど」
「ありがとう。まぁ元から目は良い方だったんだ。まだ壊れてないし、大丈夫だろう」
さて、とレディは足を組み、勝ち気に唇を吊り上げる。柔らかく組んだ手を腿の上に置いた。
「下らない昔話で良いのなら、話せることは話すけど。聞きたい?」
「今は良いわ。言いたいことは大体言ったから」
「他に聞きたいことはある?」
「今はないわね」
「よし、じゃあ私は曲がってすぐの部屋に居るから」
「やっぱり、待って」
意気揚々と立ち上がろうとしたレディを、アメリアが呼び止める。きょとんとした顔で、レディは座り直した。
「今、何時かわかる?」
「時計ならほら、そこにあるよ」
レディが軽く指を伸ばした先には、木枠の置き時計が飾られていた。短い針が8、長い針が2を過ぎた辺りを指している。
時計を見るために上げた顔を、アメリアはすぐに下げた。何か言いたげに、もじもじと身を捻る。
「10時まで、ここに居てくれないかしら」
絞り出るような声に、レディは大きく目を見開いた。一度忍び笑いを漏らしてから、色々な気持ちの混じった微妙な表情を浮かべる。
「全く何というか、そう長くかからないんじゃなかったっけ?」
「良いじゃない、特にやることもないんでしょ」
「まぁ、特別今するべき事はないけどさぁ」
顔を下げたまま取り繕うアメリアをからかいながら、レディはコップのある棚まで歩いていく。
「ふぅ、流石に喉が渇いた。何か飲む?」
「私はお酒は無理よ」
「わかってる、私も飲む気分じゃないさ。それ以外ならいいんだね?」
夜は更けていく。




