白いシャツ
それほど長い時間はかからずにウェインは戻ってくる。錆びかかった蝶番の耳障りな音に、アメリアはテーブルに突っ伏していた頭を上げた。絡まった神を手櫛で整えようとするが、言うことを聞かない髪が幾つか逆立つように暴れる。
「随分とお疲れみたいだな」
「ええ、まぁ。昔から体はあまり強くないの」
「気分でも悪いのか?」
「大丈夫よ。本当に少し疲れてただけ」
「そうか。こんなのしか無かったが、いいか?」
ウェインが軽く投げた白い塊をアメリアは危なっかしく両手で受け取る。広げてみると、何の飾りっ気もない無地のTシャツだった。背中側に裏返してみても、何の文字も絵柄もない。
あまりのシンプルさに、アメリアは微妙な笑いを漏らした。
「着替えるんだったら出て行くが。何かあったら言えよ」
「あの、その」
「なんだ」
すぐに去ろうと背中を向けかけたウェインを、アメリアは咄嗟に呼び止める。振り返っての問いにあう、と言い淀んだ。
「用が無いなら、行くが」
「待って、違うの。その、ごめんなさい!」
バッと頭を下げたアメリアに、ウェインは何とも言えない表情を浮かべる。疑問と窮屈さと不快感が混ざったような顔だった。顎に手を当てて、考え込むために首を捻る。
短い沈黙があって、ウェインは口を開いた。
「何に謝られてるんだ? シャツを持ってきたことなら、大袈裟過ぎるぞ」
「いや、だからその、デリカシーのない発言をしたかなって思って……」
あわあわとするアメリアの様子を見て、ウェインはんん? と更に頭を捻った。会話の内容を思い返しても、特に気になるような言葉を言われた記憶は無い。
自分の感情云々ではなく、アメリアの発言を思い出そうとして、そこでやっと納得がいった。
自分の顔に、呆れと腹立たしさが表れていくのがハッキリとわかる。
「あれか、子は親を尊敬するものだ。みたいな事を言っていた、あれか?」
「ええ」
「あの程度で傷つくような柔なメンタルはしてねぇよ。そもそも俺達の事情なんて、お前は知らないだろうが」
「それでも、考え無しの言葉だったから」
「一々そんなので謝るのか? 全く育ちが良いな。お察しの通り生まれも育ちもゴミみてぇな人間には、どうにもわからない理屈だぜ」
「そんなに自分を卑下する必要は無いわ」
「卑下させたのはお前だろ。なんだ、自己満足の謝罪を入れられて、俺は神の御前にて許しますとでも言えば良いのか」
声を荒げてないにも関わらず迫力のあるウェインの言葉に、アメリアは押し黙る。サッと伏せられた視線に、ウェインはハッキリと聞こえる大きさでため息を吐いた。
「どうでも良いことで謝られても腹が立つだけだ。どうせ今日限りの関係だ、もっと適当でいいんだよ」
「そんな」
「間違えるなよ。あんたらは客で、俺達はその依頼をこなすだけだ。それ以上もそれ以下もない。こっちのことは、金を払えば動く道具だと思ってればいいんだよ」
「その言い方は、おかしいわ……」
「おかしいさ。俺達は金を積まれれば何だってする。今に、お前のことを敵に売るかもしれないぜ」
ウェインの自虐的な笑いに、アメリアはピクリと反応する。下を向いてしまった顔はどうしても上がらず、行き場のない力の籠もった腕がプルプルと震えていた。
ウェインは不機嫌そうに舌打ちをして、今度こそアメリアに背中を向ける。
「俺達みたいなのに関わるのは、これで最後にしとけよ」
聞こえるかどうかわからない声量で言い残し、ウェインは部屋を去って行く。扉の閉まる音を聞くまで、アメリアは顔を上げることができなかった。
◇◆◇
ウェインは深く息を吐いて、通路の壁に背を預ける。どれだけ息を吐こうが、胸につっかえている重い物は出て行きそうに無い。
横目でドアがしっかりと閉まっているのを確認してから、コートの内側から電子煙草を取り出した。咥えると先端のライトが小さく灯る。人差し指と薬指の間に深く挟んでから、浅くゆっくりと吸った。
冷たい空気が肺に流れ込んでくる。少し昂ぶっていた感情も、合わせて沈んでいった。
だが、気が落ち着く事はあっても晴れることはない。晴らそうとすること自体が逆効果であるかのように、面倒な考えは積もっていく。
溜まった煙を吐いてから、ウェインは電子煙草の電源を切った。低い天井を見上げながら手持ち無沙汰にそれを回す。
ふとすれば暴れ出しそうですらあるウェインに、声をかける人間がいた。
「浮かない顔だね。どうした」
「レディか。おやっさんは?」
「まだ作業中、後から来るってさ」
レディは肩を竦ませて、ウェインと向き合うように立った。ウェインが電子煙草を握っているのを見て、Gパンのポケットに手を突っ込む。
クシャクシャになった煙草の箱を取り出してから、軽く底を叩いた。
「全く、もしかしたら私達が帰ってこなかったかもしれないってのに。お気楽なもんだよね」
レディは箱から顔を出した煙草を取り出す。電熱式のライターで火を点けてから、壁に背をつけて吸い始めた。
煙草の持ち方は、ウェインと同じものだ。
「おやっさんが俺達を待ってて、おかえり、なんて言うのも気持ち悪いがな」
「確かに」
だろ、と笑うウェインを、レディは目を細めて見る。睨みつけるような視線から逃れるように、ウェインは顔を下に向けた。
白く煙る息を吐いて、レディは口調を変えずに問う。
「それで、何があったの?」
「どういうことだ。何にもねぇよ」
「まさか。そんなに顔に出しておいて、言い逃れできると思ってる?」
おもちゃを見つけた子供のような笑顔で、レディは問い詰める。わかったよ、とホールドアップしたウェインは、やっつけ気味に電子煙草を咥えた。
「アメリアと少し話してな。少し面倒くさくなっただけだ」
「ウェインは元から面倒くさい男でしょ」
ジロッと睨み返すウェインを見て、レディはけらけらと笑った。
「冗談だよ。何を話したのさ」
「下らねぇことだ。今更こうやって話すのも馬鹿らしい」
「その下らないことを私は訊いてるんだ」
考える時間を取るために、ウェインは深く煙草を吸った。吐き出した煙がレディのそれと混ざって、すぐに溶けて消える。
「親は尊敬するべきものだ、って説教されたんだよ」
「なるほど、それで?」
「そういうのは良くわからないって答えた」
「要領を得ないな。なんで荒れてたのかを訊いているんだよ」
再びの沈黙。紫煙だけのやり取りが間を埋める。レディはいつもの余裕を崩さずに、ただ待っていた。
「わからない」
「わからないって何が」
「話の続きだが、その後デリカシーのない発言をした、とか何とかで謝られたんだよ」
「ほーう」
面白くてたまらないといったレディの声を無視して、ウェインは言葉を続ける。
「多分それが頭に来てるんだが、それがどうしてかわからない。だから余計に腹が立ってるんだ」
「ふふ、いやなるほど。相変わらず可愛いな、ウェインは」
「毎度お褒めに預り光栄だよ。全部話したんだから、余計なお世話でも寄越したらどうだ?」
「知らないよ。ウェインの気持ちの問題なんて、そっちで勝手に解決すればいいじゃないか」
言葉の端々から笑いが漏れ出しているレディに、ウェインはただ睨むことしかできない。一人美味しそうに煙草の先を磨り減らすその姿に、割に合わねぇなと眉間を押さえた。
憂さ晴らしには刺激の足りなかった電子煙草をコートに戻す。
「さて」
何か思いついたようで、レディは咥え煙草で両手を叩く。こうなったらロクな事にはならないと知ってるウェインは、ため息と共に肩を落とした。
「すぐにおやっさんを呼んでくるから。ウェインは向こうで待っといて」
「おやっさん呼んで何するんだよ」
「また後で答える」
そう言い残して、レディは駆け足で去って行く。ウェインはその後ろ姿を見守りながら、コートのポケットから通信端末を取り出した。慣れた動作で、「フェルセン家」の項目を開く。
その画面を数秒見つめてから、上で何かが暴れるような音を聞いて、ため息を吐きながら端末の電源を落とした。




