振り返らずに
イムを中に運んだ後、ウェインはアジトの外で座り込んでいた。持ってきたボトルを軽く煽り、顔を上に向ける。太陽はもう既に壁の奥に隠れ、伸びた影が辺りを暗く染めていた。空は未だ赤いが、それも長くは無い。
再びボトルに口をつける。中に入った酒が、熱を灯すように喉を通っていく。しかし、それでもまるで酔うことができない。
悪酔いするだろうと度数の低い酒を持ってきたが、間違いだった。逆に燃焼しきれない感情が募るばかりで、一向に気分が晴れはしない。
生温かいため息を吐き出すと、背後から錆び付いた音が聞こえてくる。振り返ると、恐る恐るといった様子で、中からアメリアが出てきた。
「隣、いいかしら」
聞きながらも、返事を待たずにアメリアは座る。手を伸ばせばギリギリ手が届く程度の距離。澄んだ空気が、息づかいを微かに伝えてくる。
静かな時間が続く。ウェインは服の内側から煙草を取り出そうとして、すんでのところでやめた。
「依頼の結果を聞きに来たのか」
ボトルに蓋をしながら、ウェインはアメリアに問いかける。アメリアは一度地面に視線を落としてから、ギュッと目を瞑って、開いた。
「今、話してくれるなら、聞きたいわ」
「わかった」
言葉とは裏腹に、ウェインの口は重たげだ。それがどうしようもない事実を予感させて、アメリアは震える息を吐き出す。
「まず最初に、契約を破ったことを謝らせて欲しい」
「というのは、やっぱり……」
「ベニート・フェルセンは死んだ」
その言葉にアメリアは歯を食い縛って目を閉じる。強い後悔が滲むその表情に、ウェインは顔を逸らした。
言葉そのままの意味で捉えれば、「アメリアの父親を殺さないで欲しい」という願いを破ってはいない。ベニートは、アメリアの血の繋がった親ではなかったのだから。しかしそれは自分への言い訳だ。アメリアに通じる理屈ではない。
アメリアの願いと、レディの願い。そしてウェイン自身を天秤にかけて、選んだ。その結果が仮に正しくとも、契約を違えたことは謝らなければならない。
それがどれだけ残酷な真実であろうとも。
ややあって、アメリアは目に溜まった光の粒を強引に拭ってから、ウェインに問う。
「話を続けて貰えるかしら」
「俺が殺した。責めるなら俺を責めてくれ」
「……父はなんて?」
アメリアの問いは、恐らく契約の本題のことだろう。
アメリアに対するベニートの本心は、どんなものだったのか。
ウェインは数秒答えられずに、言葉を選ぶように口を開く。
「結論から言えば、アメリアのことを大切に思っていた。今までのことは全てサルヴァトーレを騙すための演技で、壁の中に戻るために奴らを利用するつもりだった。自分が壁の中に戻った後、アメリア達を中に戻すつもりだったらしい」
「それじゃあなんで、貴方は父を殺したの?」
「……俺が深く追い掛けたせいで、それが都市の連中に勘づかれた。このまま壁の中に入れるのは危険と判断された。俺が居なくなれば壁の中に戻ることができると思ったベニートは、俺に襲いかかってきた」
「だから不可抗力で殺したと?」
「そうだ」
ジッとこちらを見るアメリアに、ウェインは深く瞑目する。静まり返った中ですまない、と小さく口を開いてから、ウェインはゆっくりと目を開いた。
アメリアは変わらぬ表情で、こちらを見つめ続けていた。
「俺からの報告は、これで終わりだ」
「やっぱり貴方、嘘が得意なのね」
「何を言ってるんだ。俺は依頼に対して誠実だぞ」
「もし、貴方の話が本当なら。私は貴方を恨めばいいの? 死ぬべきは貴方だったって、そうすれば私は壁の中に戻れるのにって」
再び沈黙がよぎる。ウェインがボトルの蓋を開けようとして、それを引き止めるようにアメリアが口を開いた。
「ごめんなさい。無理矢理には聞かないわ。何があったかは、大体わかるもの」
「俺は嘘はついていない」
「はいはい」
頑なに答えるウェインに、アメリアはクスリと笑う。自然な微笑みを、ウェインは見とれるように見つめてしまった。
それから地面に視線を落として、項垂れる。
「思ったよりも、大丈夫そうだな」
「そう、見えるかしら」
「ああ」
下から見たアメリアの表情は憂いを帯びているようで、しかし瞳には強い色を宿していた。虹彩が空の赤を拾って、爛々と輝く。
「多分、決まったからでしょうね。これからどう生きていくか」
「それは?」
「私は壁の中に戻るわ。そして、父の過ちを正してみせる」
壁の奥を見上げるアメリアの横顔を、ウェインは最早まじまじと見ていた。
不可能だと思うその前に、囚われているとすら感じた。まだ、あの男の幻影に。だがそれにしては、その表情から病的なものが何処にも見えない。
ならば何故、そこまでこだわるのか。
「それは本当にお前の望みなのか」
奴はもう死んだんだぞ、と言外に伝えるように、浮かんだ疑問をそのままに、問いかける。向けられた表情は穏やかだが、確固たる何かがあった。
「父のせいで苦しんでいる人が壁の中に居る。見過ごせないわ」
「それはお前の責任じゃない。そこまで背負い込む必要はない筈だ」
「確かにそうかもしれないわね。無責任な考え方をすれば」
「お前は……」
お前は無責任になって良いんだ、と言おうとして、右腕から伝う温もりに遮られる。見れば、ウェインの右手を包み込むように、アメリアが両手で握っていた。
「苦しんでいる人が居るなら救いたい。私のせいで傷ついた人なら尚更」
真っ直ぐとこちらに向けられる目に、ウェインはグッと押し黙る。見込み違いだった。アメリアは既に、ベニートの死を受け止めていたのだ。それを乗り越えて、自分の答えを出していたのだ。
否定できない。例えそれが、奴とは真逆に破滅したものであっても。
「好きにしろ」
目を背けながら、やんわりと右手を払ってウェインは答える。アジトに戻ろうと立ち上がりかけて、またもアメリアの言葉に遮られた。
「最後にもう一つ、お願いしたいことがあるのだけど」
「なんだ。言うだけ言ってみろ」
「貴方達の仲間に入れて貰いたいの」
その言葉は最後に縋り付く場所を求めているようで、ウェインは咄嗟に目を伏せる。
アメリアの居場所は俺が奪った。最初から仮初めのものだったとしても、壊したのは俺だ。この願いを断る資格は無い。
しかし同時に、1つの疑問がよぎる。
「壁の中に戻るのが目標じゃないのか」
その願いは、最初に掲げた願いとは矛盾するものだ。
単純な問いに、アメリアは微笑む。
「そうね。壁の中に戻るのが最終的な目標。だけど私は、最短の道のりが最適な道のりだとは思わないわ」
その言葉で、ウェインはアメリアに浮かぶ憂いの理由を知る。
信念として、矜持として、父の過ちを看過することはできない。だがそれは決して叶わない望みだとわかっている。だから遠くに置いておく。手は届かなくても、決して視界からは外れないように。
そうして自分で納得をして、諦めようとしている。或いは、壁の中に居た自分と訣別しようとしているのだ。
ウェインが2つの願いを天秤にかけて選んだように。アメリアもまた、大きな決断をしていた。
だが。
「俺達の仲間になるのは、駄目だ」
「どうして?」
「前も言っただろ。お前が思っているほど俺達の仕事は高潔じゃない。汚れ仕事もするし、常に危険がつきまとう。お前じゃ無理だ」
「私にだってできることはあるわ。少しぐらいなら治療だってできるし、雑用でも構わないから」
「それだけなら他の奴にもできる。無能を食わせる余裕は無い」
厳しい言葉を使って、ウェインはアメリアを拒絶する。
並べる言葉に嘘はない。余裕が無いというのは仕事を選ばなくなれば解決する問題だが、そうなれば危険は今以上になる。
万が一にでも目の前で仲間が死ぬのは、ウェインにとって絶対に避けたいことだった。例えそれがアメリアにとって残酷なエゴだとしても、だ。
詭弁を吐くなら、ここよりも良い居場所が何処かにある。
「でも、私は貴方やレディのことだって救いたいわ。恩返しがしたいの」
驚くほど傲慢な事を言うくせに、アメリアの表情は不安げだ。自分の考えを見透かしたような言葉に、ウェインは一瞬、大声で怒鳴りかける。だがそれは咄嗟に引っかかって、止まった。
こういう奴だったな。
苦虫をかみ潰したようにウェインが笑う。
「……レディが起きるまではアジトを好きに使って良い。それ以降は話し合って決める。いいな」
返事を待たずに立ち上がり、ウェインはアジトへと踵を返す。
「ありがとう」
アメリアの言葉には振り向かなかった。




