血色の道
時折来る対向車を避けて、ベニートはスピードを上げる。後ろから迫るスポーツカーとの距離は、もう既に車一台分ほどにまで詰まっていた。
サイドミラーを見ながら、追い抜こうとするスポーツカーの前を塞ぐ。追突する一歩手前で、再びじわじわと距離が開いた。
この駆け引きをもう何度も続けている。神経が磨り減るような感覚が、ベニートの怒りを更に加速させた。
「AI! サルヴァトーレに電話を掛けろ!」
呼びかけに対して胸の内ポケットの端末が反応し、コール音を鳴らし始める。長い長い間があって、もういい! と叫びかけたところで通信が繋がった。
『どうかなさいましたか?』
「どうしたかだと!? 追われているんだ! 奴らに!」
『奴ら、というのは私達を襲撃した者の事ですか』
「それ以外の誰がいる! 何とかしろ!」
怒鳴り散らすベニートにうんざりするような返事の間があって、端末から音声が返ってくる。
『それは問題ですが、運転に寄越していた者はどうしましたか?』
「それは今、関係のあることなのか!」
『何かあればすぐに連絡を入れるように言っていました。貴方自らが連絡をしてくるということは、何かあったのかと思いまして』
端末越しですら、その声は押し潰すような圧を放つ。ぐ、とベニートは押し黙るが、それも長くは許されない。
「……殺された。奴らに」
『わかりました。応援を向かわせます』
では、という言葉と共に通信は切られる。ベニートはギリギリと歯ぎしりをして怒りを紛らわすが、後ろからウェインが迫っている事に気づき、慌ててハンドルを切った。
あともう少し、もう少しで辿り着けるのだ。こんな下らないことに付き合っている場合ではない。
焦燥に満ちた心に反して、体から汗は流れない。アクセルを踏んでいない足が、貧乏揺すりのように不規則なリズムを刻んでいた。
ドイルとの会話が終わってややあったか、後ろについたスポーツカーの更に後ろから、サルヴァトーレのマークが特徴的な黒いスポーツカーが数台見える。思いの外早い救援に、ベニートは口の端をグイッと上げた。
「あの男も使えないと思っていたが、思いの外優秀なようだな」
サイドミラーで背後の動向を確認すると、こちらを追っていた赤いスポーツカーが堪らず曲がり角を曲がる様子が見えた。サルヴァトーレの車もそれを追っていく。
振り切れた。これでもう奴は追ってこないだろう。こちらの正確な位置などわかるはずがないのだから。
いいぞ。素晴らしい。完璧だ。やはり私はツいている。神が居るとするならば、きっと私を愛している。
アクセルを踏む足の力を緩めて、ベニートは長く息を吐き出した。
「音楽でもかけたい気分だ」
興奮からか、ベニートは何時になく饒舌になる。初めての出来事だったのだ。ここまで派手に命を狙われることが。水面下での暗躍は、幾らでも経験があるのだが。
しかし乗り切ることができた。あともう少しでこんな場所ともおサラバする事ができる。そう思うと、心が躍った。
幅の広い道をゆっくりと進んでいく。最早急く理由も無い。私の障害となる者は全て、ここに置いていくのだから。
後は私の計画通り事を進めれば良い。
そうして差し掛かった何度目かの十字路。悠々としたその横っ腹を刺すように、赤いスポーツカーが突っ込んできた。
「なッ!?」
凄まじいスピード。躱すことはできない。ベニートは驚きの声を出すことが精一杯だった。
衝撃、鉄が軋む音。ベニートの車は勢いを受け止めきれず横転し、そのままコンクリート壁にぶつかって止まった。スポーツカーは激しくスリップして、十字路の奥に消えていく。
「あ、あの男ッ……!」
助手席に投げ出されたベニートが憎しみの籠もった声を上げる。体の至る所をぶつけ、掻き回されたにもかかわらず、全くダメージを負っていなかった。車自体も余程丈夫に作られていたようで、外装が多少ヘコんだ程度の傷しか見えない。
上を向いた運転席のドアを蹴破るように開けて、ベニートは車内から這い出す。壁の奥に沈みかける太陽に体が照らされた。
体の隅々にべっとりと赤い液体が張り付いている。腕についた一部を指ですくい取って、それが最初車に乗っていた運転手の物であることを思い出した。
それもそうだ。完璧に限りなく近いこの私が、こんな汚らしいものを撒き散らすはずがない。
フン、と鼻を鳴らし、手についた汚物を払う。飛沫となったそれが道に撒き散らされてから、ベニートは辺りを見回した。
奴がまた追ってこないとも限らん。姿を隠さなければ。
地面の血を踏みにじるような足取りで、ベニートは目についた裏路地に入った。
◇◆◇
スポーツカーから降りたウェインは、服の内側から大型のリボルバーを引き抜いた。
早足に歩きながら、体に不調がないか関節を回す。軽く振るった左腕がカチャリと鳴った。表情は硬い。ベニートとぶつかった十字路まで戻り、すぐに横転した車を見つけた。
上を向いたドアが開いている。逃げ出したか。
歩み寄り、開いたドアから中を確認する。人の姿は無い。かわりに何かが炸裂したかのように血が撒き散らされていて、濃い鉄の臭いが充満していた。隅の方に、ぐちゃぐちゃに崩れた肉片が転がっている。
素早く周りに目を走らせて、ウェインは滴るように伸びる血痕を見つけた。一部は靴の形に踏み広げられている。
先を追えば、裏路地の1つに続いていた。
これはアイツの血じゃない。だが、体に血がついたと考えれば……。
思考を巡らせながら、ウェインは血の跡を追う。
足を止める時間は無い。左腕で端末を操作して、ドイルに通信をかける。コール音は聞こえず、代わりに繋がらなかった事を伝える重い音が鳴った。
握りしめるように電源を切ってから、ウェインは血が続く裏路地へと走り出す。




